4-3 いい加減にしろ翔信
この部省の長の神経質さを模したような空気の中、粛々として業務を進めるのが内侍省官吏たちの日常だった。
しかしこの日ばかりは、普段通りとはいかなかった。
「たのもーう!」
若々しい声と共に、突如内侍省の扉が開かれた。
内朝に位置することもあり、滅多に外部の官吏など訪ねてこない内侍省にとって、それはまさに青天の霹靂であり、それがまた青天色の瞳を持つ者だとすれば、騒がずにはおれなかった。
ガタガタッと総員が腰を上げ、入り口に険しい顔を向ける。
「おっ、お前は!」
「例の太医院の!」
「泥棒猫ッ!」
息ぴったりである。
「誰が泥棒猫ですか」
勝手に昼下がりの有閑夫人にありがちな艶話に巻き込まないでほしい。
というか、万里は内侍省で一体どのような立ち位置にあったのか疑問がわく。
「まあまあ、皆さん落ち着いてくださいよ。ちょっと聞きたいことがあるだけなんですから、大人しくしててください」
「何でちょっと上から目線なんだよ!」
月英の物言いに、内侍官たちがさらに色めき立つ。
「何か、敵地って言ったの分かるなあ……」
月英が何か発言する度に、合いの手のように内侍官たちからヤジが飛ぶのだから。発言の内容さえ気にしなければ、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。
しかし、月英はケロリとしている。
「こんなの慣れたものですよ。最近まで全方位から向けられてましたからね!」
「お前の、時々挟むその弩級の自虐ってなんなの? やめてよこっちの心が痛い。ぬくぬく生きてきてごめんなさいだよ……あ、待って。ちょっと気持ちいいかも」
「…………」
「だめだって月英、その目は。嗚呼……っ、できたら野郎じゃなくて張朱朱さんに向けられたかった……っ」
ぶるっと身体を震わせた翔信を、月英がドブ底で拾った饅頭を見るような目で見つめた。
いったい、この数日で彼に何が起こったというのか。
いよいよ本格的な扉を開き始めている。
月英、翔信、内侍官が三者三様の様子を見せる中、たまりかねたとばかりに、部屋の奥にあった扉がけたたましい音を立てて開いた。
「うるさいですよ! 何をしているのですか!!」
神経質な尖り声と一緒に現れたのは、ここ内侍省の長である呂阡である。
苛立ちで血走った三白眼で睨まれ、内侍官たちは「ひっ」と喉を鳴らした次の瞬間には、机に向かって筆をとっていた。
翔信までが氷の視線に射貫かれ、仕事(逃げ場)はないかとあたふたしている。
しかし、月英は遠慮しない。
呂阡の姿を見るやいなや、ドドドと押しかけ女房も真っ青な勢いで呂阡へと押しかけた。
「初めまして、僕は陽月英って言います! あのですね、ちょっと聞きたいことがありまして、教えてくれますよね!」
「よ、陽月英……!?」
呂阡は詰め寄った者の瞳を認めて、口端を引きつらせる。
『あの者に関わって変わらぬ者などおらぬよ』
いつか言われた、孫二高の言葉と高笑いが呂阡の頭の中に響いた。
彼の思うところは、『正直関わりたくない』である。
しかし目の前には、氷の内侍と呼ばれる自分に対し、おくびも怯むこともなく突進してくる医官がいる。
普通の者は呂阡が目を眇めただけで氷漬けにされ、圧倒してくる者などいない。
「――っ誰かに似た厚かましさですね」
かつての部下を思いだし、不覚にも少々興味を惹かれると思ってしまった。
「というよりまず、確か今、あなたには自由などないはず」
さすがに月英が収監されたという事実は、朝廷官たちには共有されていた。
他の官吏たちのほぼは知らないことであり、呂阡は言葉を濁して伝える。
「とりあえず、内侍省に迷惑を掛けるのだけはやめていただきたいのですが。正直、もうここにいる時点で充分に迷惑ですがね」
出て行けとばかりに、凍てついた目を向ける呂阡。
しかし、月英の逞しさは呂阡の『普通』を超える。
「あ、じゃあ迷惑ついでにもっと迷惑掛けていいですか?」
「どうしてそうなるんですか」
「えぇ……敵地なのに仲よさそうなんだけど」
月英と呂阡の軽妙な会話のやりとりに、翔信が困惑気味に声を漏らす。
「今仲良くなりました!」
「やかましい。仲良くなんかありませんから」
呂阡はもう一度『出て行け』との念を込め月英を睥睨した。
しかし、月英は青い目を瞬かせて首を傾げるばかり。
「呂内侍、差し出がましいようですが……そいつに普通を期待しないほうがいいですよ」
ぼそりと掛けられた翔信の言葉を耳にし、呂阡は額を押さえて天を仰いだ。
天井に向かって吐き出された長い長い溜め息に、内侍官たちは肩をビクッと揺らし、月英は「長っ」と呟いていた。
「……ここでは官たちの邪魔になるので、お話はあちらで伺います」
青筋の立つこめかみを揉みながら、呂阡は「聞いたらすぐに出て行ってもらいますがね」と、苦渋の決断だということを匂わせながら特別室へと迎え入れた。




