4-2 これは独り言以外のなにものでもありません
灯台もと暗し。
「いつも太医院に世話になりすぎてて、街にも医士がいることを忘れてたぜ」
月英と翔信は包み直した荷を抱えて、小走りに目的地へと急いでいた。
大通りを南下し、路地へと入り、商店よりも民家の方が多くなってきたところで、一軒の家を前に足をとめた。
「ここで合ってるよな」
「多分。張朱朱さんが言うには、最初の茶葉を持ち込んだのもここだって話ですし」
目の前の家には、『医』と『薬』という字が彫られた看板が掛けられてある。
ここは王都の診療所だった。
「春来先生ありがとー!」
月英達が入ろうとしたところ、入れ違いで子供が飛び出してきた。
元気いっぱいに「またねー」と、診療所の中に向かって手を振っている。
中からは「または無いようにねえ」と、朗らかな笑い声が聞こえてくる。どうやら診療所の主である街医士は在宅のようだ。
月英がすみませんと声を掛けながら中へと踏み入る。
次の瞬間、診療所の中と外とで「あ」と息ぴったりに声が重なった。
急に足を止めた月英を不思議に思い、翔信が後ろから診療所の中を覗く。そして、やはり彼も月英と同じ反応を示した。
「ああっ! 春廷じゃんか!」
驚きに翔信が声を上げる。
診療所の中には街医士だろう初老の男性と、太医院にいるはずの春廷がいたのだ。まさかだろう。
「ど、どうして春廷がここに?」
突然の状況に月英は目を丸くしていたのだが、春廷はふふと意味深な笑みを浮かべる。
「少しでもアナタに――」
春廷がそこまで言いかけた瞬間、自分の役割を思い出した翔信が二人の間に割って入った。
「駄目駄目駄目! 接見禁止ーッ!」
「ハッ!」
「そうだったわ!」
翔信の焦り声に、春廷と月英は慌てて背を向ける。
危なかった、と翔信がふうと息を吐く。
「しょ、翔信殿。僕たちは真犯人を見つけるために、持ってきた茶葉に毒物が混ぜられてないかを判別してもらいに来たんですっけ。じゃあ、さっそく医士の人に茶葉を見てもらわないとですよねえ」
「嘘だろ……そんな状況説明みたいな会話ってある?」
「あーっと、父さん。それで万里は実家にも父さんのこの診療所にも、一度も顔を見せてないのかしら? 月英が急にいなくなってから、万里も香療房を空けるようになったのよ。でも心配はいらないわよねえ。何か一人でやってるみたいだし、あの子はしっかりやれる子だもの……ねえ、そう思わない? 父さん」
「こっちもかよ」
月英は、必要あるかというほど丁寧に状況説明をしながら翔信に会話を振り、春廷は何をそんなに自分の父親を連呼する必要があるのかと言うほど父親を強調していた。
そういえば、万里が実家は街医士をやっていると言っていた覚えがある。
「えぇ……何なんなのこの茶番劇……」
わざとらしい状況に、翔信は瞼を重くして嘆息していた。
しかしどうやら大目に見てくれたようで、翔信は二人の独り言を禁止はしないでくれた。
「おや、廷と万里のお友達かい」
そこへ、笑みを噛み殺した声で月英の背に声が掛けられる。
「何か色々と面倒な事情がありそうだが……つまり、君たちはその手に持っている荷の中に、毒が入っていないか調べてほしいのかい」
「そ、そうです!」
月英は、振り向いた先にいた人物に飛びつくようにして距離を詰めた。
今、壁の方を向いている彼によく似た垂れ目が印象的な、柔和な雰囲気の男性だ。
「はじめまして、ここで街医士をしている春来です」
目が細められれば、目尻に烏の足跡が刻まれる。
「初めまして、陽月英です」
「ああ、君が! お噂は息子達から聞いているよ。随分と破天荒なようで」
「は、破天荒?」
一体どのように伝えられているのか。まあ、おそらくは万里が九割誇張して伝えているのだろうが。
翔信も春来に自己紹介を返すと、早速に荷を春来へと渡した。
すると春来は月英には分からない道具や薬品を取り出し、茶葉を鑑定していく。
その際、春廷に「あれとって」や「そっちのちょうだい」などと、曖昧な指示を飛ばしていたのだが、春廷はものの見事に春来の意図に全て応えていた。
これが親子か、と月英は感心し通しだった。
「――さて、結果だが、この荷に毒は入ってなかったよ」
「良かったあ」
しかし、安心したのも束の間、まったく安心できた状況でないことに気付く。
「ってことは、また鄒央さんと張朱朱さんに手伝ってもらわないとだ」
がっくりと力なく項垂れる月英の背を、翔信がドンマイと叩いていた。
「それにしたって、同じ事を繰り返すにしても、毎度毎度こうして春来さんに鑑定を依頼するのはちょっと手間だよな」
確かに。もし毒が入っていたとしても、分かった時点で配達人はもうどこかへ行ってしまっている。
「受け取ったその場で、すぐに判別できる方法があったら良いんだけどな」
「せめて包が開けられたかどうか、その場で分かる方法があれば」
「今だと、一度開けられてても、綺麗に包み直されたら分からないもんな」
二人は首を右に左に倒しながら、悩ましげな声を漏らす。
「茶心堂と東明飯店じゃないと開けられない鍵をつけるとかですかね?」
「それじゃ犯人も開けられないから、囮にならないだろ」
「それもそうですね」
すると、あーでもないこーでもないと悩んでいる中、コホンと一際大きな咳払いが鳴った。
まるで、注目してくれとばかりの大げさな咳払い。
しかしその咳払いを発した人物は、依然として壁を向いたままだ。
「あ、あー……父さん」
「どうしたんだい、廷」
言葉自体は普通そのものだが、返事をする春来の声は震えていた。
「最近まで万里って内侍省にいたじゃない」
「そうだね」
「えっと……それでそのクセなのか、ワタシが香療房に入ろうとするとすぐ『札を見せろ』なんて言うのよ」
「ははっ、それはクセじゃなくて、構ってほしくてじゃれてるんだろうね」
春来が嬉しそうに笑っていた。
聞いているこちらとしても、実に微笑ましい兄弟話なのだが、恐らく春廷はそのような雑談をしたいわけではない。
――春廷は何を伝えようとしてるんだろう。
必死に月英が頭を悩ませていると、隣で翔信がうわごとのように呟いた。
「そうか……札だ」
「え、札?」
札が何だというのか。
月英は春廷の言ったことを、何度も繰り返した。
「えっと……札と万里と内侍省……? ――って、もしかして!」
バラバラだった単語が、月英の中に微かに残っていた記憶と繋がる。
パァと目の前が明るくなった心地だった。
次に目指す場所が決まった。
月英は時間が惜しいとばかりに、翔信の手を強引に引く。
「翔信殿、早く! 早く内侍省に行きますよ!」
「ちょ、ちょっと待て、月英! ええっと内侍省は確かお前にとって……」
「大丈夫! あそこは身内判定されない場所です!」
「あ、そうなの?」
「むしろ、敵地判定です!」
「それってどうなの?」
途端に、翔信の顔がげっそりとやつれる。
「敵地に乗り込みたくはないなあ」
「何言ってんですか! 敵ならやっつければ良いだけですよ!」
「どうしてそう好戦的なの。お前本当に下民? どっかの大将軍の血とか引いてない?」
翔信の戯言は無視して、月英は足取りの重い翔信の背をグイグイと押す。
「春来さん、ありがとうございます。お邪魔しました!」
「はは、元気があって良いねえ。若いことは素晴らしきかな」
のほほんと笑って手を振る春来に頭を下げて、診療所を出る。
しかし、月英は言い忘れたとばかりに、上体のみを後ろに反らせ診療所の中に顔だけ戻す。
「あ、それと、とても《《良い壁》》をお持ちですね!」
「ブッ!!」
堪えきれなかった春来が思いっきり噴き出す音を背に、月英は今度こそ診療所を後にした。
背後から「誰が壁よー!」と聞こえたような聞こえなかったような。
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