3-6 しっ…静かに
木の幹に背を預けた燕明は、立てた膝の間にすっぽりと月英を収める。
「次回って……お前はまた捕まるつもりか」
やめてくれ、と燕明は額を押さえて溜め息をついていた。
「陛下、どうしてここに――あぶっ!」
「声を落とせ。衛士に気付かれる」
ベチンと大きな手で、口どころか顔全体を覆われ言葉も視界も奪われる。
なぜ衛士に気付かれてはならないのか、と言葉を発せない月英は首を傾げた。
「お前への接見が禁止されてるんだよ」
なるほど。
――…………ん?
一瞬納得しかけたが、まったくなるほどではなかった。
つまり、彼は接見禁止だというのに、わざわざ会いに来たということだろうか。
月英の顔を押さえていた燕明の手がゆっくりと離れていく。
そうして開けた視界の中に現れた燕明の顔を見て、また月英は首を傾げることになった。
「陛下?」
僅かに逸らされた燕明の顔は、悲しそうに顰められていた。
しかし、月英は悲しそうと思ったものの、燕明の眉間に刻まれた深い筋や引き結ばれた唇が、哀感からくるものなのか、悔悟からくるものなのかの判別はつかなかった。
「すまない」
結ばれた燕明の唇から発せられた言葉は、声の出し方を忘れたかのような頼りなさだ。
「何がですか?」
月英の首は傾きっぱなしだ。
次の瞬間、月英はまた燕明の手に引っ張られていた。しかし、今度倒れ込んだ場所は地面ではなく、暖かな燕明の胸。
痛いくらいに両肩を抱きしめられ、首筋を彼の絹糸のような髪が滑り落ちる。
「――っお前がこんな状況なのに、何もできなくてすまない」
ああ、そういうことか、と今度こそ月英は納得した。
「陛下が謝ることじゃないですから」
「それでもだ」
肩口に顔を埋めた燕明の顔は見えないが、声が変わらずに弱々しいところを聞くと、やはり顰めっ面なのだろう。
「そりゃあ、こうなったことは驚きですし、移香茶を誰かに怪我されたのはとっても悲しいですけど。でも、こうして機会を与えてくださったのは、多分陛下ですよね?」
「…………」
自然と月英の手は、燕明の背中を撫でていた。
日向ぼっこする猫太郎たちを撫でるような柔らかな手つきで、何度も皇帝の背中を往復する。
「ありがとうございます、陛下。もしあのままだったら僕、わけも分からないまま宮廷を去ることになってたと思うんで」
彼は何もできなくてと言ったが、正直、この状況は充分すぎるほどだ。
一度捕らえられた囚人が、監視付きとはいえ王宮の外を出歩けるなどと、普通ならばあり得ないだろう。
「きっと陛下は、僕の知らないところで色々と頑張ってくださったんでしょう?」
「…………」
いつもはうるさいくらいに相づちや小言を詰めるのに、どうやら今回に関しては無言を貫くつもりらしい。否定しない時点で、無言は肯定と同じだというのに。
相変わらず月英の手は燕明の背中を撫で続け、燕明は月英を腕の中に閉じ込めている。最初は自分と違う体温に、相手との境界線を感じていたが、その線もじわじわと曖昧になってきた。
「大丈夫ですから」
身体がぽかぽかする。
「今、刑部の翔信殿と一緒に、僕が犯人じゃないって証拠を探して回ってますから。大丈夫。だって、僕じゃないんですからきっと証拠は見つかりますって」
そこでようやく、のろのろと燕明の頭が持ち上がる。
「月英、何か俺にできることはないか」
月英の肩を抱きしめていた燕明の手は今、月英の両手を握っていた。
「駄目ですよ。陛下は皆の陛下なんですから。これ以上を望んだら、それこそ罰が当たっちゃいますって」
「本音を言うと……俺はお前だけを特別扱いしたい」
月英は微苦笑した。
「だから駄目ですって。嬉しいですけど」
「万民の皇帝として間違った発言だと分かっている。だが、それでも俺はお前だけを誰よりも大切にしたいんだ」
「充分ですから」
与えられすぎている、という自覚もある。
「この皇帝という椅子も、お前がいたから座れたようなものなのに……その椅子が今、とてつもなく邪魔で仕方ないんだ……っ」
ああ、彼は今もどかしさを感じているのだ、と月英は燕明の表情の意味を知った。
「陛下から玉座をとったら、ただの変態美丈夫じゃないですか」
「なんだと!? お、俺のどこが変態だ!?」
美丈夫は否定しないのか。
さすが『萬華国の至宝』だ。
自尊心が高くて素晴らしい。
「僕は変態美丈夫に認められたいわけじゃなくて、陛下に認められたいんです。だから、陛下はずっとその椅子に着席をお願いします」
「だからお前……俺のどこが変態なんだ。失礼な」
「えーと」と月英はわざとらしく顎に指を添え、赤く染まり始めた空に視線を飛ばす。
「初対面で首筋の匂いを嗅がれたりー、急に抱き上げられたりー、あぁ、あと半裸で背後から抱きしめられたってのも――」
「わああああああっ! 待て待て待てそれは……っん!?」
月英は燕明の反応にクスクスと肩を揺らしながら、人差し指を彼の唇に置いた。
「静かにしないと。衛士に見つかっちゃ駄目なんでしょ?」
カッと目尻を染めた燕明は、月英の指から逃げるように顔を逸らす。
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