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エピローグ

 がらりと広い部屋だった。

 部屋の片隅には椅子がひとつ置かれていて、椅子に腰かけたリヴィは窓から外を眺めていた。ときおり吹き込むそよ風が純白のウェディングベールを揺らす。そよそよと音もなく。


 ここはブリックヘイブンの街の片隅にある、とある小さな教会の控室だ。控室の中にリヴィ以外の人の姿はなく、心地よい静寂が満ちている。

 リヴィはもう30分も前からこの場所にいる。輝かんばかりのウェディングドレスに身をつつみ、来たるべきときを静かに待っている。


 かすかな音を立てて控室の扉が開いた。入ってきた者は使用人服姿のドリスだ。ドリスはいつもと変わらない口調でリヴィに話しかけた。


「参列客の皆さまが式場に入られたようです。10分と経たずに入場となりますので、どうぞ心の準備をなさってください」

「そう……わかったわ」


 リヴィが心ここにあらずで答えたので、ドリスは心配そうな顔をした。


「リヴィ様……どうされましたか? 何か不安なことがおありですか?」

 

 優しい口調で尋ねられて、リヴィははてと首をかしげた。


「不安……ということではないのだと思うの。ただ本当にこれが現実なのかわからなくなってしまって。ひょっとして全部夢なんじゃないかしら。私は幸せな夢を見ているだけで、目が覚めればまたあの暗い屋根裏部屋へと引き戻されてしまう……」


 ぽつりぽつりと独り言のように語りながら、リヴィはまた窓の外を見つめた。窓の外にはたくさんの木々が生い茂っている。それは屋根裏部屋から見ていた景色とよく似ている。だからリヴィはふとありもしないことを考えてしまう。


(この幸せな夢はいつか醒めてしまうのではないかしら。目が覚めたらまた虐げられるだけの日々が待っているのではないかしら……)


 ぼんやりと窓の外を眺めるリヴィの手のひらに、ドリスの手のひらが触れた。とても温かな手だ。子どもあやすような口調でドリスは言った。


「リヴィ様、これは夢ではありませんよ。全ては現実の出来事、リヴィ様がご自身の力で切り拓いた確かな『今』です」


 優しい声に耳を澄ませながら、リヴィは無意識にドリスの手を握り返した。指先に伝わる人の温かさが、確かにここが現実であることを教えてくれた。

 幸せな『今』が醒めることはない。物語は永遠に紡がれていく。


 ドリスの手のひらを握りしめたまま、リヴィは微笑みを零した。


「ドリス、ありがとう」

「え?」

「私はずっとドリスに救われてきた。私を屋根裏部屋から連れ出してくれたのはドリスだったし、初めてこの髪に触れてくれたのもドリスだった。バルナベット家の屋敷にまだ居場所がなかった頃も、ドリスはずっと私の味方でいてくれた。ドリスがいなければ、私はとっくの昔に潰れてぺちゃんこになっていたと思うの。最初から最後まで、いつも変わらず傍にいてくれてありがとう」


 繋がった手のひらを見つめ、ドリスは照れくさそうに笑い返した。


「今日が最後などとは言わず、これからもずっとお傍にいますよ……と言ったらアシェル様に怒られてしまいそうですね。『私より先に永遠の愛を誓うな』と」

「それは確かに、そうかもしれないわ」


 2人は顔を見合わせてくすくすと笑った。おごそかな式事を前にした、ほんの一時ばかりの穏やかなときだ。

 また控室の扉が開き、使用人服姿のヴィクトールが顔を覗かせた。長く伸びた髪を後頭部でひとつに結わえ、左目には古びたモノクル。いつもと変わらない格好だ。


「リヴィ様、間もなく入場の時刻です。聖堂の扉前でスタンバイなさってください」

「わかった、すぐに行くわ」


 リヴィはドリスの手を放し、立ち上がった。純白のウェディングベールが揺れる。輝くウェディングドレスが花開く。ヴィクトールは目を細め、優しい口調で言った。


「お綺麗ですよ、リヴィ様。今までに見たどんなドレス姿よりも」

「ありがとう、ヴィクトール」


 そうして穏やかな時間を名残惜しみながら、リヴィは控室の扉をくぐった。扉の外側には、またすぐに別の扉があって、その向こう側からは花嫁の登場を待つオルガンの音が聞こえ始めていた。

 リヴィは深呼吸をして扉の前に立った。

 ドリスとヴィクトールが左右開きの扉を開けた。

 華やかなオルガンの音色が鼓膜を震わせた。


 ***


 血で染めあげたかのようなルビーレッドの髪には、純白のウェディングベールがよく似合う。

 

 ドリスとヴィクトールの導きにより聖堂内へと立ち入ったリヴィは、1歩また1歩とバージンロードを歩いていた。祝福、畏怖、好奇、たくさんの人の視線が全身に降り注ぐ。

 聖堂の入口から祭壇に向けて一直線に伸びるバージンロードは、花嫁の人生を表しているのだという。ならば同伴者のいない孤独の歩みはリヴィの人生そのものだ。『厄憑きリヴィ』と世間に蔑まれ、家族にすら疎まれた哀れな少女。ただ赤い目と髪を持って生まれたというだけで、生きることさえ否定され続けた惨めなリヴィ。


 バージンロードは間もなく途絶え、リヴィは祭壇へと辿り着いた。ふいに顔を上げれば目の前にはアシェルがいた。シルバーグレーのテールコートに身を包んだアシェルは、一足早く聖堂へと入場し、リヴィが己の元へと歩いてくるときを待っていた。リヴィの登場に微笑むこともせず、たくさんの人の視線に臆することもせず、無表情の仮面を張り付けたまま。


 その後の挙式は滞りなく進んだ。

 讃美歌斉唱に神父による聖書朗読、儀式的な誓いの言葉。参列者の人々は衣擦れの音にさえ気を遣いながら、祭壇に並ぶアシェルとリヴィの後ろ姿を見つめていた。


 ふいに神父の導きが止んだ。

 痛いほどの静寂が辺りを包んだ。

 アシェルはウェディングベールの端に指先をかけ、リヴィの瞳を見つめながら無感情にこう言い放った。


「ようこそバルナベット家へ、リヴィ・キャンベル。今日この日をもって、貴女は晴れて暗殺一族の仲間入りだ。嘆いても悔やんでも逃げ出すことは叶わない」


 アシェルの表情と口調は『冷徹無慈悲な暗殺一族』イメージそのもので、観客席はさわりと湧いた。「やはりバルナベット家は恐ろしい」「彼らは人を愛する心など持たないのよ、根っからの殺人鬼だもの」人々が小声でささやく中、アシェルはリヴィの鼻先に唇を近づけた。

 そして中途半端にまくりあげたウェディングベールの内側で、リヴィにしか見えないように微笑むのだ。


「リヴィ、愛している。私は貴女を必ず幸せにする」


 そうささやいた瞬間のアシェルの幸せそうな顔といったら。


 ありふれた恋物語などではなかった。

 人々から祝福される結婚でもない。

 それでもその幸せに溢れた瞳に見つめられることが嬉しくて、リヴィもまたウェディングベールの内側でささやいた。


「私も愛しています、アシェル様。貴方と出会えてよかった」

 

 誰にも気付かれないように、顔を見合わせ笑いあった。

 聖堂にいる参列客は、誰1人として知ることはない。祭壇にいる花嫁と花婿がどれだけ深く愛し合っているのかを。彼らがどのようにして愛を育んできたのかを。愛情に溢れた幸せな未来を歩むのかを。彼ら以外の誰も、知ることはない。


 そうして中途半端にまくりあげられたウェディングベールの内側で、外界からは隔絶された2人きりの世界で、惹かれ合うように唇を重ねた。



 厄憑きルビーは幸せになりたい~虐げられた令嬢は暗殺一族の愛され花嫁になりました~Happy end.

 厄憑きルビーは幸せになりたい、本話にて完結となります。たくさんの皆さまにお読みいただきありがとうございました。

 『おまけ小説:もう一つの恋のゆくえ」を公開予定していますので、そちらも合わせてお読みください♡

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