22.お、ま、え、か
お昼を過ぎて、周囲から漂う飲食系出店の凶悪なイイ匂いに、お腹が鳴る。
音楽があるから、周りの人にはバレていないはずだ。
ちょっとぼーっとする。
髪を隠すためだったけれど、帽子を被っててよかった。直射日光だったら、もうとっくに根を上げていたと思う。
笑顔は絶やしていないけれど、体が機械的に動くだけになってる。学園でのダンスと違って、決まった形を繰り返すだけだから、余裕はあるが……。
「お姉ちゃん! 飲み物買ってきたから、こっち」
不意に手を引かれて輪の外に連れ出される。
「こっちに座って、はい、オレンジジュース」
日陰に座らされ、ジュースのコップを渡された。
一口口を付けると、そこからは一気にジュースが喉を滑っていく。
喉が渇いていたことに、全然気づいてなかったんだ。
結構大きなコップだったのに、すぐになくなってしまった。
「はい、お姉ちゃん。お昼食べてないでしょ?」
三女が渡してくれたのは、薄っぺらく焼いたパンで肉や野菜を巻いたものだ。
感謝で目が潤む。
わたしは飢えていたのだ、とても。
人目も気にせず大きくかぶりつくわたしを、三女と三男が慌てて周囲から見えないように隠してくれる。
「お姉ちゃん、お腹空いたのはわかるけど、もう少し気をつけてね」
三女が周囲に気を配りながら、そう注意してくる。
「泣きながら食べたら、化けの皮が剥がれるよ」
剥がれるのは化粧であって、化けの皮ではないよ三男。
潤んだ涙をハンカチの角で吸い取り、気を取り直してお淑やかに食べる。
ジューシーなトマトとシャキシャキのレタス、それに細切りにした味付きお肉、そしてそれをまとめるあっさりとしたパン。
ここに、ウチのチーズを入れても合うだろうな。
しっかりと味わいながら、何度も噛み締めて食べる。
おいしい、おいしい、おいしい。
ごちそうさまでした、とても美味しゅうございましたと心を込めて手を合わせる。
まだ食べられるけど、食べ過ぎで踊ったら具合が悪くなるかもしれないので、ひとつで我慢だ。
「もっと買ってこようか?」
三女が気を利かせてくれるけれど、首を横に振る。
「ぶっ通しでダンスしてるから、引いてる人もいたぞ。あんまり人間離れなことするなよ」
三男が大袈裟に言う。
人間離れ……ではないと思うけれどね。
帽子を脱いでパタパタ扇ぎながら、報告があるという二人の話を聞く。
「さっきバンディ兄さんが来て、屋台がほぼ直ったって教えてくれたよ。明日はちゃんとお店を出せるって言ってたわ」
嬉しそうな三女からの報告に頷く。
うんうん、よかった。さすが長男と父、思ったよりもずっと早く直したんだね。
「あと、家の裏の林の方でエラに乗ってユキマルが散歩してたら悪い人見つけたから、アレクシスさんが全員捕まえたって」
ちょっと待て三男、情報量が多過ぎやしないか。
三女が三男の言葉にウンウンと頷いているから、本当にそう聞いたんだと思うけれども。
「悪い人たちは、金で雇われただけだから、詳しいことは知らないって言ってたって」
雇い主の名前はまだわかっていないってことか。
悪意のある人間が、我が家を狙っている。
一人や二人じゃない人数を雇えるなんて、順当に考えれば長女を狙うエンネス男爵子息の仕業じゃないかと思えるんだけど。
「だから、一人きりにならないように、人がたくさん居る場所にいてって」
「おやつに釣られて、誰にでも付いていかないように注意しとけ、って言われた」
子どもにするような注意は、まず間違いなく二男からの伝言だろう。
二男に直接言われなくてよかった、もし面と向かって言われたら、ケンカになっていたところだ。
だが、双子にこんな伝言を頼むとは、なんて姑息なヤツだ。今日帰ったら、絶対に締めねばならないな。
「私たちはもう帰るけど、お姉ちゃん一人で大丈夫? 今お兄ちゃんたち、屋台を設置し直してるから来られないって言ってたの」
「大丈夫よ、人の多い場所に居るから」
心配そうな顔をする三女に小声で伝えて安心させてから、帰って行く二人を見送った。
二人が見えなくなったころ、一人の青年が近づいてきた。
身なりが良くお洒落なその人は、愛想のいい笑顔で話しかけてくる。
「こんにちは、お嬢さん、ご機嫌はいかがですか」
わざとらしいお辞儀に、わたしは立ち上がり、微笑んでスカートをちょっと摘んで持ちあげ礼を返す。
そうすると、彼は殊更嬉しそうに笑う。
「レベッカ・ダインさん、どうかボクと踊っていただけませんか?」
わざわざフルネームを言ってくる人に今日初めて会った。
わたしはパタパタと手を横に振って、タスキの数字を手で示した。一瞬ムッとした顔をした彼だったが、わたしの意図に気づき表情を和らげる。
「五番? ふむ、こちらの祭では、名前を呼ぶのは控えるのですか? では、お嬢さんとお呼びしても?」
わたしが微笑んで頷くと、彼は満足そうに口の端を上げた。
長女を知っていて、この町の人ではない人物。
割と印象は好青年っぽいんだけれど……エンネス男爵子息の可能性は高いよね。
長めの明るい茶色の髪に、濃い茶色の目、身長はわたしと同じくらいで、痩せ型。
声質は高くて早口だから、若干神経質に聞こえる。
ダメ元でステータスを見たら、イケた。
■ピオネル・エンネス、三十歳、エンネス男爵の一人息子、ダイン家長女を妻にしようと画策中。暴力で相手を従えることで快感を得る変態。コノツエン学園は四度留年。
へえ……。
いけないいけない、つい目が据わってしまうけれど、微笑まなくてはね。
「美しいお嬢さん、ボクと踊っていただけますか」
頷き、帽子を深目に直してから、彼の手に手をそっと載せる。
男女が大きな輪になって踊っている中でペアでダンスをしている人たちもいるので、そこに誘われたということだろう。
コイツをここに足止めできるなら、いくらでも踊ってやろうじゃないか。
ダンスの輪の中に入り、彼に倣ってダンスのホールドをする。
ダンスパーティの特訓の成果を遺憾なく発揮して、ピオネル・エンネスが望むようにダンスのお相手をする……んだけど、この人、ダンスが下手。
数歩目で一度足を踏まれた。
痛みと驚きで跳び上がるかと思ったけど、なんとか我慢して涙目で彼を見れば、彼は得も言われぬ恍惚とした表情でわたしを見ていた。
へ、変態だ。
暴力で快感を得る変態だ。深く被った帽子の下で、思わず真顔でドン引いてしまう。
ヤバすぎる、いくらでも踊ってやるって息巻いていたけれど、無理、手を振り払って今すぐ逃げたい。
「申し訳ない、実はあまりダンスが上手くなくて」
見えすいた言い訳をする彼に、引き攣った愛想笑いを返す。
それからも、隙あらば足を踏みに来る彼を躱しながらダンスをする。
ライゼスとのダンスの十倍疲れてしまう。
「他の人の事を考えてるね?」
ピオネル・エンネスが囁いてくる。
曖昧に微笑み、クルッとターンして濁す。
バタバタしているように見せないで、踏もうとしてくる足を躱すのが本当に大変。
綺麗にダンスをするのも、評価になるんだから、コイツのせいで評価を落としたくない。
「ダンスの心得もあるなんて、君は本当に、ボクのお姫さまになるべくして、生まれてきたんだね」
怖ぁ……。
聞こえないふりで視線を外に向ける。
「ふふっ、そんなつれないところもいいね」
鳥肌が止まらない。
「ねえ、ボクのお姫さま、このまま連れ去ってもいいかい? いいだろ?」
いいわけないだろ。
気が逸れた隙に足を踏まれる。
「い……っ」
「ああ、素敵だ。もっと君の声が聞きたい」
悲鳴が聞きたいの間違いだろうな。
裏返り、恍惚とした声が、本当にもう気持ち悪い。
「近々ボクはマルベロースの領主になるんだ。どうかボクの、領主の妻になってくれないか」
あんたはマルベロースの代官の息子だろう。
エンネス男爵は、領主であるライゼスの父から任命されてマルベロースを治めているに過ぎないのに、あたかも自分が領主であるような言い草だ。
わたしを庶民だと侮っているのか、本当に理解してないのか、どっちなのかはわからない。
もう触れるのも嫌だ、そう思って手を離そうとしたとき、痛いほど強く掴まれた。
「君に選択肢はないよ。家族が大切だろう? ダイン家は家族の結束が強いそうじゃないか。家族が傷つくのなんて、見たくはないだろ」
ああ、やっぱりコイツが黒幕か。
ペラッペラの黒幕だったな。
手下が捕まったことも知らないで、意気揚々としている。
足が止まり、手を握られたままにらみ合う。
「いいね、その目。屈服させたいイイ目だ」
帽子のつばの下から覗き込むように見られて、仰け反った。
「あなたは、蛇のような目だわ」
「おお? やっと口を利く気になったのかな。でもその言葉はダメだ、ボクは蛇が嫌いだからね、覚えておいて」
誰があんたの好みなんか覚えるかと内心毒づく。
「手を離して」
「ボクに命令するのか? さっき教えてあげたのに、もう忘れたのかな、君の家族の運命はボクが握っているんだよ」
「どういうこと」
わたしの言葉に、彼は愉悦を顔に浮かべる。
「ボクの合図ひとつで、君の家に暴漢が押し入る――かもしれないってことだよ」
脅迫の言葉を彼が口にしたとき、強い風が髪を隠していたわたしの帽子を飛ばした。




