6.卒業式
晴れやかな吉日。
いつもよりも念入りに魔法で綺麗にした制服と、緊張した面持ちで今日の日を迎えた生徒たち。
わたしもオブディティもいつもより口数が少ないのはきっと、オルト先輩に会える機会がこれで最後だと思うからだ。
さみしいなと思う。
「王都っていったら馬車で十日だっけ? 遠いよね」
飛行機や新幹線があればビューンて行けるだろうけど、そんな便利な乗り物はこの世界にはまだない。
魔法があるんだから、一瞬でたどり着いてもいいのにな。
なんなら、一瞬でワープできる魔道具でもいい。でも自動ボードでもあれだけ燃費が悪いから、やっぱり難しいんだろうな。そもそも、ワープするための理論とか、色々必要になってくるんだろうし……となると、タブ先生の魔法物理学を学ぶというのも悪いことじゃないのかも。
物理学という名前のハードルに負けて授業を取らなかったけれど、部活の時に色々聞いてみるのもいいかもしれない。
「ソレイユさん、オルト先輩が自分から言うまでは、話を振らないでくださいませね」
「うん、本人が黙ってるのに、他の人から聞いちゃうなんて、アレだもんね」
うっかり難関への就職おめでとうございます! なんて言わないようにしなきゃだ。
フンスッと鼻息も荒く頷き、部屋のドアを開けた。
* * *
いつもとは違う空気。
いつもとは違う緊張感。
いつもとは違うざわめき。
本当に卒業式なんだ。
引き締まった表情の先輩たちの横顔を見て、強くそう思った。
たった二年しかない学園生活だけど、わたしたちの一年一年はとても長くて。
卒業式の祝辞もとても長くて……。
危うく寝るところだったけれども、そんな空気ではないので頬の内側を噛んで何とか意識を保ち、乗り切った。なんなら音楽鑑賞会の時よりも緊迫していたと思う、不謹慎だけどね。
領主様からの祝辞は長くなかったんだけど、どこそこの会長とか、王都のお偉いさんとか、長かったぁ……長いのがステイタスの証しなのかなと思ったよ。
制服での卒業式が終わると、夕方からドレスに着替えて祝賀会になる。
夕方になると寮を含め学園の至る所に幻想的な灯りが入り、整えられた庭まで柔らかな光に彩られた。
「きれい……」
寮の窓から学園を見渡し、思わず感嘆がこぼれる。
「本当に美しい光景ですわね、そろそろパーティ会場に向かいましょう」
爪の先まで整えられたオブディティに誘われ、二人一緒に部屋を出た。
わたしも母と姉に鍛えられた化粧をして髪もいつもより華やかに結い上げ、背筋を伸ばしてゆったりと歩く。
「今日は一緒でいいの?」
「そろそろ、噂話もマンネリで飽きましたわ。新しい話も入ってこないようですし、なによりわたくしたちが最高学年になるのです、もう大丈夫でしょう。ああ、やっとあなたの隣に堂々と並べますわ」
そう言うと、手を繋いで体を寄せてくる。
そうか、もう他人行儀のフリはしなくていいんだ! 部室や部屋では仲良くしてたけど、ちょっとだけ、本当にちょっとだけだけど寂しかったから、とても嬉しい!
「それが面白くない人も居るようですけれど」
楽しそうに言った彼女の視線の先には、ライゼスがいる。
笑顔が怖い、けれど正装に身を包んだその姿は凜々しくて見蕩れてしまう。
ふわりと彼の表情がほころび、わたしに向けて右手を伸ばした。
「仕方ありませんわね。どうぞ」
オブディティが、繋いでいたわたしの手をライゼスに渡す。
「ここまでのエスコートを、ありがとう」
「どういたしまして。わたくし、人に呼ばれておりますので、また後ほど」
スマートに会釈をして離れていく。
「人に?」
不思議そうな顔をしたライゼスに答える。
「部屋に届けられた手紙がありましたので、多分告白ではないかと」
ライゼスだけに聞こえるように口調には気をつけつつ、伝えた。
男子寮と女子寮は行き来ができないので、用事がある場合は手紙を出すこともできる。そんなことするより、適当な人間を捕まえて伝言を頼む方が手っ取り早いし、大抵の人はそうしているのだけれど。
「手紙……僕のように、無視をするわけにもいかないだろうし、面倒なことだね」
やっぱりライゼスにも届いてるんだ?
「変なところに連れ込まれなければいいのですけれど」
ちょっと心配になりそうこぼせば、彼も頷く。
「そうだね。彼女なら、一撃で撃退できるとは思うけれど、対人戦の経験はないだろうし、それとなく二人を見守ろうか」
「ありがとう、ライゼス」
なんだかんだ言いつつも優しいライゼスのエスコートで、オブディティが行ったと思しき庭園に向かう。
上から見ても綺麗だけれど、こうして降りて見てもまた美しい。
感嘆の溜め息を吐きながら、庭園をゆったりと歩く。
「オブディティさんはどこでしょう」
「場所は把握できているから、問題ないよ」
最初から索敵の魔法を使っていたから、オブディティが今どこにいるかも把握しているとの事だった。
流石ライゼス、抜け目がないよね。
「もっと近づかなくて大丈夫ですか?」
「彼女を守るのは、僕たちだけではないみたいだよ」
彼が低い声で囁き「左の方を見てご覧」と続けた。
視線だけでそちらを見れば、正装したオルト先輩が何気ないフリを装って、オブディティのいるという方向へ向かっている。
「もしかして……オルト先輩も、索敵の魔法を使えて……」
いや、まさかね。
「なんだかんだいって、努力の人だからね。一晩で覚えられたよ」
つらっとした顔で言うライゼスを見上げると、楽しげに微笑まれた。
「ソレイユがバンディ君にやったアレ。僕も試してみたかったんだよね」
そうかそうか、わたしがバンディにやった特訓をオルト先輩相手にやったのか。
「丁度いい犠牲者が見つかってよかったですね」
おっとうっかり、犠牲者呼びしてしまった。オルト先輩ごめんなさい。
「本当にね。恋に盲目だから、果実水を魔力補充薬って言って渡したら、疑わずに飲んでくれたよ」
いやいや、流石に分かってるとは思……ん?
「恋に、盲目?」
「おっと、流石に僕たちも、ちゃんと尾行しないとね。行くよ、ソレイユ」
明らかに話を逸らしたライゼスに腕を引かれてたどり着いたのは、建物の陰にあるベンチが見える物陰、が見える位置だった。
因みに、ベンチに座っているのがオブディティと男子生徒、ベンチが見える物陰にいるのがオルト先輩ですよ。わたしとライゼスは少し離れて、出歯亀を出歯亀する位置です。
ライゼスの肘に手を添えて寄り添うように立つわたしがいるにも関わらず、果敢にもライゼスと二人きりになりたいと声を掛けてくる先輩が複数人いたが、ライゼスが素っ気なく袖にしていた。
塩対応が板に付いているね。
「このくらいきっぱりした方が、後腐れがなくていいんだよ」
「そういうものですか?」
「ソレイユに、一片の不安も抱かせないからね。ソレイユへの愛に、隙は作らないようにしたいんだ」
きっぱりと言い切ったライゼスに、近くにいた男子生徒が小さく口笛を吹いたし、何人かは「見習おう」とか呟いていたようだ。
女生徒は頬を赤くしたり、顔色を悪くしたり、かな。
周囲の人間に聞かせるように言う彼の強かさよ。
ライゼスがそうした方がいいと判断したなら、わたしに否はない。
「嬉しいです。わたしも、ライゼスへの愛をしっかり伝えるようにしますね、ライゼスが不安にならないように」
「そうしてくれたら、嬉しいな。君への愛は疑わないけれど、君の行動は突飛だからね。そっちの不安が解消できるように、何かする前に教えてくれると嬉しい」
愛への不安はないけど、行動の不安はあるというわけですね。
「承知いたしました、善処します」
きっぱりと言ったわたしに、彼はなんとも言えない表情で目を細めた。
「お前らなあ」
「あ、オルト先輩、ご卒業おめでとうございますっ」
いつの間にかわたしたちの前に来ていたオルト先輩に、祝福を伝える。
「オルト先輩、ご卒業おめでとうございます。伝えないまま、卒業するんですか?」
ライゼスの言葉に、オルト先輩は一瞬ムッとして唇を結んだ。
「本当にそれでいいんですか?」
「……いいんだよ、それが、一番。じゃあな、もう会うこともねえと思うが、達者でな」
そのまま帰ってしまいそうな雰囲気を感じて、慌ててオルト先輩の腕を掴む。
「オブディティさんに、オブディティさんにはサヨナラを言わないんですか。魔道具創作部の後輩ですよ」
薄情じゃないのかと、詰りそうになるのを呑み込む。
「ああ、言わねえ。ソレイユ・ダイン、お前から伝えておいてくれ。頑張れよ、って」
そう言うと、ひらひらと手を振って、会場を後にしてしまった。
去るオルト先輩の背を見送り、隣に立つライゼスを見上げる。
「困り顔のソレイユもかわいいけれど、その顔をさせているのが、僕じゃないっていうのは悔しいな」
「困り顔になってる?」
ライゼスはわたしの眉間を揉み、それから頬を両手で温め、耳を軽くマッサージして手を離した。
顔の強ばりがほぐれた気がする。
「オブディティさんに、なんて言おう」
「そのまま伝えればいいよ。ソレイユが言いにくいなら、僕から伝えようか?」
ライゼスはすぐ甘やかそうとするので、首を横に振った。
「ううん、わたしが頼まれたから、わたしが伝える」
そう決意したわたしだったが……。
「へえ、そうなの。わたくしへの挨拶を、ソレイユさんに任せて? それで、さっさと帰られたと? 一年間、アイデアを出し合って、一緒に魔道具を作った仲のわたくしに、挨拶をさせてくれることもなく」
怒り。
怒りの波動で、オブディティの黒髪が浮き上がってるように見える。
「あちらがそのつもりでしたら、わかりました」
な、なにがわかったんだろう。
オブディティは細い顎をクイッと上げて、わたしとライゼスを見る。
「カミル様からの指名依頼を受けますわよ」
「ええっ? あの、王都に荷物を運ぶやつ?」
「ええ、王都に、荷物を運ぶやつ、ですわ」
怒りの波動を纏ったオブディティの鶴の一声により、わたしたちは一週間後からはじまる新年の長期休暇中に、指名依頼を受けることになったのだった。




