幕間 カミリオン・リグ・バルドスの公務【前編】
ルヴェデュの町でのほのぼの回です。
カミルは領都を出て真っ直ぐにマルベロースの町へ向かい、不法な増税をしたエンネス男爵についての裏取りを行う。
暫定的に置かれていたロウエンという、ブラックウッド伯爵の遠縁の男によって不足なく書類が用意されており、僅か二日という短期間で調査が終わった。
確かにエンネス男爵は私腹を肥やすために税を増やし、身の丈に合わぬ暮らしをしていたのだが、しかし、彼をこの職に置いていた者も罪が問われる。
即ち任命責任によって、ブラックウッド伯爵も罪に問われるということだ。
こういった脱税、横領等の国益を損なう犯罪が起きた場合、中々露見しないのは、上が隠すからという背景もある。
今回犯罪を犯したエンネス男爵は、贖うだけの金銭はもう尽きていた。身内にも手を切られた、そうなると、国へ弁済するのはエンネス男爵を代官に任命した領主となる。
犯罪自体はわりあい早期に発見されたものの、弁済する金額は少なくない。
「よくぞここまで、公開してくださった。初手でここまですべてを開示してくださるのは、大変ありがたい」
思わずロウエンに感謝したのは、共に書類を確認していたフェンリスだ。
「下手に隠して、余計な仕事を増やすなと、領主より申しつけられておりますので」
淡々と答えるロウエンだが、顔には自身の主である領主に対する尊敬が見て取れた。
部下にとってもいい領主であることがわかる。
そう、あのアーバン・ダインが頼る程優れた人物なのだ。
王都の仕事を辞めたダインは、その後すぐに妻と共にこの地に移住した。
領主は自身の仕事の補佐を頼もうとしていたようだが、ダイン本人が強く希望し、田舎でまったく畑違いの職に就いていた。
領主もまさか農家をするとは思っていなかったそうだ。
それが領主に迷惑が掛からぬように、という判断も一端にあっただろうことは想像に難くない。
「アーバン・ダインというのは、どれほどの凄い人物なんですかね」
マルベロースでの調査が終わり、ルヴェデュへ向かう馬車の中で別件の資料を読んでいたラクレルが言葉にする。
「あのソレイユ・ダインを娘に持って、庶民でありながら学園にまで通わせてるなんて、並の手腕じゃ無理だろう。たとえ、領主の後押しがあったとしても」
フェリクスが訳知り顔でそう断言するが、尊敬混じりの『あの、ソレイユ・ダイン』という言葉に、カミルは違和感がある。
「ソレイユ・ダインか、……普通の娘だったな。まあ、十三になって早々に冒険者になるくらいだから、お転婆ではあるようだし、確かに使う魔法も素晴らしかったが、なんだろうな、手放しに褒め難い雰囲気なんだよな」
ダンジョン近くの広場で対面した彼女を思い浮かべ、首を捻りながら感想を言う。
「ああ、わかります。まさか、ぶん投げられて空から帰るとは思いませんでしたねえ」
ラクレルが思い出し笑いした。
「よく、警備団に怒られませんでしたよね」
「他に同行していた面々がいたから、目こぼしされたんだろうな」
「各部隊に所属している、イクリプス兄妹か……。それに領主の三男である、ライゼス・ブラックウッドも一緒だったしな」
「そもそも、その領主の息子がぶん投げたことからして、面白すぎますね」
「信頼があっての行動だろう。あの二人は、これから行くルヴェデュで幼い頃を数年幼馴染みとして過ごしていたんだったか」
カミルは情報を思い出す。
「子どもの頃の一年は、大人になってからの数年に匹敵する。今も一緒にいるということは、よっぽど仲が良いのだろうな」
うんうん、仲良きことは美しきかな。成長してからも仲が良い幼馴染みというのは、実に羨ましいとカミルは憧憬を込めて言った。
「……仲がいい、まあ、そうですね。あの、殿下? 恋愛感情ってわかります?」
気心の知れた部下であるラクレルがつい言ってしまい、すかさずフェンリスに頭を叩かれていた。
御者をしているレオナは、馬車の中から漏れ聞こえてきたスパーンという音に「またか」と肩を竦め、もうすぐ着く次の町へと馬を進めた。
* * *
それからルヴェデュの町に着くと町長に町の状況を聞く。
「畜産農家の有志が作った『防疫手順書』のお陰でしょうか、最近は以前に比べて、家畜の死亡も減り、生乳の生産も安定しておりますね。ああ、もちろんアザリア苔の影響が一番大きいですけれど」
町長が出してきた『自衛防疫手順』は名前こそ領主から国へ提出されたものと同じだったが、表紙はカラフルな牛らしき四つ足の動物が幼子の拙い手で描かれていた。表紙の右下には、カティア・ダインと美しい文字でサインが入っている。
「カティア・ダイン?」
「ああ、ダインさんところの末っ子です。絵を描くのが上手で、これはあの子が二歳の時に描いたんですよ」
まるで孫の絵を自慢するように町長が説明し、いそいそと手招きして応接室の壁に掛けられている小さな絵を見せる。
「これは最近、カティアちゃんが描いてくれた、町の大通りなんですよ」
「ほう、これは随分しっかりと描かれている」
「もう六歳ですからね。三女のティリスさんの出店のお手伝いで、町に来たときに描いてくれるんですよ」
六歳にしてはしっかりとした筆致の絵にカミルは感心し、町長は誇らしげに胸を張る。
「出店とは?」
「最近、毎週決まった曜日に、ダイン家の三女のティリスさんが作ったお菓子や、ダインさんの家で作っているチーズやバターなんかを販売する露店です、最初は週に一回だったんですが、あまりに人気で回数を増やしてもらったんですよ。今じゃちょっとした町の名物になっているんです、ご案内しますよ!」
ホクホク顔で案内する町長は、果たしてカミルを王弟だとわかっているのか確認したくなるところだったが、カミルも部下三人も指摘するのは野暮だなと口を噤んだ。
町長に付いて町を歩いて広場に着く間に、ティリスが十二歳であること、長女のレベッカが豊穣祭の最終日に結婚したことなどが話題になる。
「その相手がですね、なんと、あのアザリアの遺跡を踏破した、ランク四の冒険者のアレクシスさんなんですよ」
「随分大物ですね」
「いやあ、それが、アレクシスさんは、レベッカさんを振り向かせたいがために、あの遺跡を踏破したそうなんですよ。愛の力ですよねえ」
ついでにレベッカが、この町の豊穣祭で行われるミスコンで何度も一位を取っている美女であることも付け加えられた。
カミルと町長が話をしているのを、後ろで聞いていたラクレルが呻く。
「情報量が……情報量が多い、家ですね」
フェンリスは小さく頷き、表情の変わらないレオナは聞いているのかいないのか反応はないが、それはいつものことなので気にしない。
少し歩くと、町の中央の公園に数軒の屋台が出ていた。今回の視察があるからというわけではなく、公園には数名の自警団が配置されている。
公園の外側に間を開けながら並ぶ屋台の一つが明らかに人気で、絶えず人が並んでいた。
「もしかして、あの屋台ですか?」
「そうです! さあ、売り切れる前に買わなきゃいけません」
いそいそと屋台に近づく町長に、カミルたちも続く。
「あ、町長さん」
近づいた町長にすぐに気づいた売り子の少女が、パッと微笑む。彼女がティリス・ダインなのだろうと目星を付ける。
「今日も盛況だね」
「はい。お陰様で、皆さんお買い求めくださいますので。ふふっ、今日も早く帰れそうです」
少女の言葉に、町長が少し慌てて財布を取り出す。
「いつものは残っているかい? そうだ、今日はお客様もいるから、多目にもらえるかな」
ホクホクしながら、焼き菓子を注文している。
「お客様ですか? じゃあ、味見はいかがですか? 甘いのとしょっぱいの、どちらも用意いたしますね」
ティリスが後ろを向いて誰かに指示を出すと、屋台のうしろから小さな女の子が、トレイに試食用の小さめのクッキーと小さく切ったチーズを載せて出てきた。
「こんにちは! 試食をどうぞ。こちらがダイン印のチーズと、ティリスお姉ちゃんが作った、チーズ入りクッキーです。こっち側は、普通の甘いクッキーなので、甘いのがいい人はこっちです」
「お一人様、チーズひとかけらと、クッキーを一枚どうぞ」
ティリスが補足する。
「これは、どうもありがとう。ありがたくいただくよ」
先にチーズ入りクッキーを食べ、塩味の効いた味わいに舌鼓を打つ。
「美味い! 王都にも、こんなに美味いクッキーはないぞ」
「すみません、他の味もあります? え? 全種類が入ったセットがあるのですか? 素晴らしいです。そちらを三袋いただけますか? え……転売対策で一人一袋……ですか。あっ! フェンリス様、ラクレル様、お二人の持ち分を私にください、ありがとうございます。では、彼らの分もということで、三袋いただけますか」
いつの間にか店の前に立っていたレオナが、かつて無い早口で注文していた。
流石に、カミルの持ち分を奪うようなことはできなかったようだが、同僚二人の持ち分を問答無用で奪っている。
「……そんなにか」
「チーズもどうぞ」
常とは違う様子のレオナにちょっと引いていると、さらに試食を勧められたので、ラクレルが食べて頷いたのを目の端で確認してから手を伸ばした。
口にした瞬間、口中に広がる風味。噛めばあふれるチーズのコクと、滑らかな歯ごたえ。
思わずうっとりと咀嚼し、カッと目を見開く。
「美味いなっ!」
気がつけば、レオナの後ろに並び、部下たちの持ち分を奪っていた。
「ふふ、この町でしか買えない味ですが、日持ちしないので、お早めにお召し上がりください。ウチのチーズやバターを使った料理を味わえるお店が、こちらですから、是非、滞在中に行ってみてください」
版画で作られた町の簡易地図に、お店の場所と名前とおすすめ料理が記されている紙を渡された。
右下にカティア・ダインと名前が記されているので、末っ子が描いたものなのだろうが、町の特徴を捉えわかりやすく描かれていたし、空白には周囲の風景などが入っていて、見ているだけでも楽しい。
「ほお、これはありがたい」
「お食事をしたお店にこの紙を渡したら、クッキーが一枚もらえますよ」
地図が回収までされる仕組みがしっかり出来上がっており、感心する。
「折角だからこの地図は欲しいのだが、返さねばならないだろうか」
「いいえ、そういうお客様もいらっしゃいますから、どうぞそのままお持ちいただいてかまいませんよ。地元に戻られましたら、是非お知り合いとのお土産話にしてください」
ニコニコと愛想の良い笑顔で、気持ちのいい答えが返ってきて、カミルはじめフェンリスたちも感心する。
「カティアが描いたのよ? じょうずでしょ?」
空になったトレイを胸に抱え、カティアが小首を傾げてキュルンとした目で見上げてくる。
「上手ですね、とても素敵な絵です」
二児の父であるフェンリスが視線を合わせるためにしゃがんで褒めると、カティアが嬉しそうに身をよじっている。
「あ……あざと可愛い」
呻くレオナの脇にラクレルが肘を入れていた。
「カティアはまだナイフを上手に使えないから、版画を彫るのはバンディお兄ちゃんがやってくれたのよ。地図と、文字と、絵は別々の板に彫るのよ。色もね、カティアが決めたのよ」
確かに、それぞれ色が違っている。
地図は茶色、文字は赤、絵は緑と色分けされている。もしかすると、アーバン・ダインがそういう技法を教えたのかもしれない。
「見やすくて、いい配色ですね」
「うふふ、ありがとう!」
ほのぼのとした空気に周囲が和んでいたところ、ここに着いたあたりから一人ソワソワ明後日の方を見ていた町長が笑顔になり、誰かに向けて手を振った。
はじめて町長が登場!
ちょっとすっとぼけたおじいちゃんだけど、人となりが町民に愛されております。




