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ロイは母親と本当の父親と共に帰ることができた。
この別邸を出とき、フェリクス様や私と離れることを少し寂しがってくれたけど、やっぱり母親が迎えに来てくれたことが嬉しそうだった。
ヘンウット男爵はロイを駒として見ていたようだけど、これからは親子三人で暮らすようだし、男爵から離れることができるなら少しは安心できる。
これからは両親から愛情をいっぱい貰って、今回の件で負ったロイの心の傷もいつしか癒えると信じたい。
まだ小さいし、大人になる頃にはすっかり忘れてしまっているといいのだけど。
ロイたちを見送った夜――久しぶりにフェリクス様とお酒を飲む。
いろいろあったけどお疲れさまという意味も込めて。
久しぶりに二人でお酒を飲もうと私から誘った。
「なんだかただお酒を楽しめるのって、久しぶりな気がしますね。私はロイがいる間は早く寝ていたし、フェリクス様も忙しそうでしたし」
実質数日間とはいえ、フェリクス様の帰宅が毎日遅くてここ数日はすれ違い生活のようになっていた。
今日ヘンウット男爵たちを呼ぶために昨夜も遅くて、何時に帰ってきたのかわからないくらいだった。
「うん。セレナ……心配掛けてごめんね」
「……何も教えてくれないのは気を揉みました。信じていたけど、フェリクス様の昔の噂を聞いて悩みもしましたし」
フェリクス様からしてみれば、中途半端な情報を与えて心配掛けさせまいとの配慮だったのだろうけど、何も教えてくれないとそれはそれで不安になるものだ。
「え。そんなに気にしてくれてたの?」
「私だって気になります。妻なんですから。なんだと思っているんですか」
「そっか……。てっきり、セレナは興味ないのかと思っていたから。ごめんね。でも、あんな噂ならいくらでも否定したし、聞いてくれたらよかったのに」
私が叱るように言うと、フェリクス様は眉を下げ謝ってきた。
でも、どことなく嬉しさを隠しきれていない。
「だって……最近凄く忙しそうだったし、時々深刻そうな顔をしていたから。昔の噂のことで煩わせたくないと思ったんです」
「そんなこと、構わないのに。セレナにならいくらでも煩わされたいよ」
そう言いながら、フェリクス様は指を絡めて手を握ってきた。
「でも、ごめん。ちょっと忙しくなったというのもあるけど、ロイのことについては慎重に調べていたら時間がかかってしまった」
フェリクス様としては、ロイの件は身元が判明したら一日、二日で解決すると思っていたらしい。
だからわざわざ途中経過を報告するまでもないと思っていたのだとか。
「それに、セレナには少し言いにくかったのも事実なんだ……」
「えっ?」
いやに言いにくそうにしているフェリクス様を見て、胸がざわついた。
本当はそういう関係だったのか……。
「隠し子なんてもちろん身に覚えはなかったけど、テレーザ・ヘンウットという名前を聞いて、思い出したことがあって。俺は、彼らに申し訳ないことをしたという負い目があるんだ……」
「申し訳ないこと?」
私が聞き返すと、フェリクス様は気まずげに視線を逸らした。
「実は、彼らが別れた原因は明らかに俺にある」
「テレーザさんが部屋を間違えたからですよね?その後の噂だったらフェリクス様が気にする必要はないような。周りが勝手に言っていたことなんですから」
二人が何もなかったと言っていたから、私はパメラから聞いた噂の内容は、ほとんどが嘘なのだと思った。
フェリクス様が目を逸らすなんて。
また不安になってきた。
「確かに、そもそもの原因は部屋を間違えたヘンウット男爵令嬢にあるのだけど、彼らが別れた要因は俺にある……。それなのにあのときまですっかり彼らのことを忘れていた。薄情な男だと、セレナに思われたくなかったってのもあって、言いにくかった」
そう言って、フェリクス様は当時何があったのかを話してくれた。
◇
その日、俺は疲れ果てていた。
この頃ただでさえ屋敷に帰ることができないほど多忙な日々が続いていた上に、運悪く定期的に行われる城の部屋替えに当たってしまったのだ。
朝に通達が来て、すぐに次回にまわしてほしいとお願いしに行ったが、規則だとあっさり却下された。
忙しい合間にバタバタと引っ越しを済ませ、またすぐに宰相補佐官としての仕事に戻った。
深夜まで働き、引っ越したばかりの自分の部屋へと戻ってくると、侵入者を防ぐための結界とドアノブ空回りの術を展開する。
上着を脱ぎ捨て、すぐにベッドに倒れ込んだ。
そして、早朝に物音で目覚めると部屋の中にテレーザ・ヘンウットがいた。
ドアノブが空回りする魔術を開発する以前、初めて平民の下級メイドに忍び込まれたときも、その後それが噂になって我こそはと挑戦してくる女たちが増えても、誰かが忍び込んできたら俺はすぐに気づいた。
だから、忍び込まれても何時だろうと即座に部屋から追い出すことができ、そのおかげで夜這いをかけるような女たちとの仲を勘ぐられることはなかった。
とはいえ睡眠妨害だし、面倒なのでドアノブ空回りの術を開発した。
テレーザ・ヘンウットが部屋に来た日は、あまりにも疲れていて忍び込まれても気づけなかった。
そもそも、結界も張ったしドアノブが永遠に空回りし続ける魔術もかけたのに、どうして部屋の中に女がいるのか。
それを気にするよりも先に、侵入されたことへの怒りが込み上げた。
込み上げる気持ちのまま声を掛けようとしたが、俺は彼女の様子がおかしいことに気づいた。
夜這いをかけてくる女たちは、蠱惑的に笑んで誘おうとしてくるか、部屋に侵入するなり押し倒す勢いで一直線に俺に向かって来ていたのに、今回の女は部屋の隅で小さくなっていたのだ。
俺が睥睨すると、女は床にへたり込み、半泣きになって早口で言い訳を始めた。
「ちが、違うんです。ごめんなさい。ほんとに違うんです。部屋を間違えたんです。本当です。ごめんなさい。すみません」
「……部屋を間違えた?」
「こ、恋人の部屋に入ったはずなのに……すみません。本当に間違えただけなんです!」
「それならどうしてここにとどまっている?さっさと出ていけばいいだろう。とどまった理由はなんだ?それ相応の理由があるんだろうな。そもそもどうやって入ったんだ?」
部屋を間違えたなど、白々しい嘘だと思った俺は、一層冷たい眼差しを向けた。
すると、女もここで折れるわけにはいかないとばかりに、声を大きくして必死で主張してくる。
「すぐに出ようとしました!だけど、ドアノブが壊れているみたいで開かなくて!本当なんです、信じてください!ドアから出られないから窓から出ようとしたけど、高すぎるし、何度やってもドアノブが空回りするだけで……本当なんです!嘘じゃありません!出たくても出られないんです!」
女は無実を証明するように、ドアノブをガチャガチャとまわすが、確かに空回りしていた。
そこで俺はようやく自分の魔術が失敗したのだと気づいた。




