36
ヨーシアも馬車の中へ入ってもらってから、私は口を開いた。
「私が思い出したのは、私が子供のころにどうしてうちで働き出した下男の後を付いてまわっていたか。その理由です。その下男がヨーシアだったのかは判然としないのですが……」
フェリクス様は小さく「うん」と相槌を打つと、視線で続きを促してくる。
ヨーシアは何も声を発さない。
「私を矢から守ってくれたときに見ましたが、ヨーシアには体に傷痕がありますよね?」
「うん、あるね」
フェリクス様が視線を送るとヨーシアが「はい、あります」と答える。
「ヨーシアがうちで働き出したのは、私が治癒士になる夢を諦めたころなんです」
稀有と言われる癒しの力を持っているのに、治癒士になるには魔力量が足りず、夢を諦めなければならなかった。
魔力量が少なければあまり役に立たない力だと頭ではわかっていた。
大人たちや周りの人には物分りのいいふりをしていたけど、心の中ではまだ諦めきれていなかった。
そんなとき、ヨーシアが子爵家に下男としてやってきた。
使用人たちの中では歳の近いヨーシアに遊び相手になってもらおうと探していると、ヨーシアは腕まくりをして井戸の水を汲んでいた。
そこでヨーシアの腕に傷痕を発見する。
「わっ。傷痕たくさん……。痛い?」
「い、いえ。痛くありません」
「そうなの?でも痛そう。あ!そうだ!治せるかも!」
まだ自分の可能性を信じていたかった私は、今なら誰にも知られずに癒しの力を試せると思った。
上手くいけばやっぱりやればできるのだと声高に言い、治癒士の夢を実現するために行動できる。
上手くできなかったら、それはそれで諦める材料になる。
当時はヨーシアがどう思うのかについては何も考えられていなかった。
腕へと手を伸ばすと、ヨーシアはサッと避けた。
「やめてください。汚いですし、こんな痕はもう消えませんから」
「別に汚くないし、やってみないとわからないじゃない。腕貸して!」
どうせ無理だと言われたようでムッとし、勢いのままヨーシアの腕に癒しの力を使った。
だけど当然すぐに魔力が足りなくなったけど、傷痕は全く変化がない。
「はぁ……はぁ……」
「もうやめてください。これ以上やったら倒れてしまいますよ」
「まだ大丈夫!」
「この傷は新しいものではないので。そもそも簡単に治せるものではありませんから」
「やってみないとわからないでしょ!?」
「……先ほどから何も変わっていませんが」
「一度で治せるなんて言ってないでしょ!?明日も明後日も、治るまでやるんだから!」
ムキになっていた。
そうしてヨーシアが辞めるまでの間、後を付いてまわって治癒魔術をかけ続けた――――
「自分の中では最後のチャンスみたいに思っていて。ただ単に、自己満足だったんです。もしかしたら才能があるかもしれないと自分を信じたくて。都合良くヨーシアで試していたんです」
「そうだったのか」
「子供だったとはいえ、残酷なことをしていたと思います。ごめんなさい」
私が謝るとヨーシアは首を横に振り、袖を捲って見せてくる。
「見てください。ここ、奥様が幼い頃にボクに治癒魔術を使ってくれた場所です。ここだけ傷痕が薄くなっているの、わかりますか?」
私が身を乗り出して見ると、フェリクス様も覗き込んだ。
「一部分だけ傷がないように見えるな」
感心したようにフェリクス様が呟いた。
「効果があったの?」
「はい。即効性はあまりなかったようですが、気づいたときには一部分だけこんなに痕が薄くなっていました。他は酷いものですがこれでも自然に薄くなってきてはいます。それでもこんなに違う。……先日の旅の間も治療していただいて、ボクは密かに当時を思い出して懐かしくなりましたよ。奥様は変わっていないんだなぁって」
少しだけでも効果があったのかと思うと、じんわりと喜びがこみ上げてくる。
◇
「まあぁ!本日は奥様もご一緒で!ようこそお越しくださいました、奥様」
テーラーの扉を開けるなりオーナーのマダムが嬉しそうにセレナへと駆け寄る。
ロテル・サン・ロランの店舗にセレナと一緒に来るのは初めてだった。
ほとんどは別邸までマダムがやってくるか、俺一人で訪れていた。
マダムは俺のほうに来て「ようやっと連れてきてくださいましたねっ」と嬉しそうに囁く。
「ささ。どうぞお掛けくださいませ」
今日は先日セレナが欲しがった前ボタンのドレスと、ヤンセン男爵から手土産として貰った布を使ったドレスの依頼に来た。
今までは俺がセレナに似合うと思うドレスを作って贈っていたが、初めてセレナが自分から欲しいと言ったのだ。
折角なら、セレナが好きなように依頼したらいいと思い、デートとかこつけテーラーまでやってきた。
「今日は前にボタンが付いているタイプのドレス二着と夜会用のドレスを一着頼みたい。夜会用にはこれを持ってきた。使えるか?」
今だけ侍従役をしているヨーシアが革の鞄をテーブルに置いた。
中にはヤンセン男爵から貰った布が入っている。
鞄を開け、回転させてマダムに見せると、マダムの目が見開く。
「これはもしやヤンセン男爵領で作られている染の布地ではありませんか?」
「さすが。よくわかったな」
「それはこのような仕事を専門にやらせていただいておりますから。しかし、これはなかなか見ない上等なお品!ここだけの話、最近ではニミウコ染め風の粗悪な類似品も増えていて……。ですが、これは間違いなく本物の上に、直接買い付けに行ってもなかなか手にできないクオリティですわ!いったいどうやっ……――いえ、なんでもございませんわ」
入手経路を知りたそうなオーナーだったが、踏み込みすぎたと思ったのか軌道修正した。
それもこのテーラーが高位貴族に選ばれている理由だろう。
「まずは前ボタンのドレスから。セレナが思うように好きにオーダーしていいよ」
「え。私が自分で?」
「うん。好きでしょ?城で針子をしていたくらいだし」
「好きですけど」
「まぁ!それはいいですわね!奥様、さぁ!ご要望はございますか?」
「えっと……」
「これというのがなければ、見本を実際に見てみるのがいいでしょうね。さ、ご案内いたしますわ」
今まで全て俺がデザインしていたからか、セレナは戸惑いを浮かべた。
しかし、マダムが張り切りだし、店内に飾られた見本のドレスを見に席を立つ。
説明を受けながら真剣に見本を見ているセレナを俺はソファからゆったりと眺めた。
「……フェリクス様」
ソファの後ろに控えていたヨーシアが小さく名前を呼んできた。
セレナの家にヨーシアが勤めていたことについては、理由は察せられる。
俺がセレナについて調べろと言ったから、諜報員としてヨーシアが派遣されたのだ。
セレナの母の情報による初恋は間違いだったとわかった。
だから、それについてはもう嫉妬していない。
だが、ヨーシアやマルセロが黙っていたことや、女性を派遣させたらいいのに男子を派遣させたことに、腹を立てていた。
それと、幼い頃のセレナの近くにヨーシアはいたという事実。
頭でわかっていても、腹が立ってしまうのだ。
ヨーシアも俺の不機嫌さをわかっていて、いつもの元気がない。
「なんだ」
「ヘーゲル子爵家に行ったのは、初任務のときでした」
ヨーシアがビエダ家から保護されたとき、俺はまだ幼い子供だった。
それでもヨーシアの空虚な目の暗さを覚えている。
しばらくマルセロたちと暮らしながら影の一族の一員となるべく訓練をしていた。
返事をしない俺を無視し、ヨーシアは一人で語り出す。
「あの頃のボクは、とりあえず生きている状態でした。地獄のような日々から助け出された恩はあるから、影の一族として働くことに否やはない。だけど、自分の命に対する前向きな意思はなかった。諜報員として一人前になることを求められているし、とりあえず恩は返さなければという思いだけ。自分のことは何もかもどうでもよくて。父さんや兄さんと暮らして多少は温かさを知ったけど、助けた見返りに影の一族で働くことを求められているからこその温もりにも感じていて……あの頃は感情も欠落していたように思います。でも、初任務なのに毎日毎日ターゲットであるお嬢様が自らボクへ近づいてくる。お陰ですぐに戸惑いや困惑という感情を思い出しましたよ」
ヨーシアは当時を思い出したのか「ふふ」と小さく笑った。
「子供らしい無垢な笑顔を向けて来たと思ったら口を尖らせてみたり。毎日……眩しかった。先ほど奥様は『自己満足のため』と言っていましたが、違うと思います。そう、思いたい。だって、とても真剣な顔で、ボクを治そうとしてくれた。毎日魔力を限界まで使うんですよ、こんな醜い傷を治そうとして。治らないのがわかっているのに。無償の愛というのか、人の温もりというのでしょうかね。ボクは、なんの見返りも求めずにボクの人生に優しさと温かさを与えてくれる人もいるのだと知れました。もちろん今はフェリクス様や旦那様、父さんや兄さんからの愛も本物だと感じられていますけどね」
振り返ってヨーシアの顔を見ると、声色と同じく優しい眼差しでセレナを見ていた。
そんなはずはないと思いながらも心の奥底で「まさか」との思いが湧き上がってくる。
俺の視線に気づいたヨーシアは目を合わせ、笑顔を見せた。
「フェリクス様、誤解はしないでください。ボクは奥様のことをある意味、ボクにとって特別な人だと思っているのは事実です。ですが、それは恩人という意味であり、フェリクス様が奥様に抱くような感情は一切持っていません」
「…………」
「子爵家でも言いましたが、ボクはロリコンではありませんからね。当時奥様はたしか八歳くらいで、僕は十八くらいですよ。あの頃は異性に興味を向ける余裕もまだなかったですし。御安心ください」
「わかった。信じる」
影の一族として修行が始まっても、なかなか目に光が戻ることはなかったが、時間を掛けていつの間にか今のヨーシアができあがっていた。
セレナはそのきっかけを作ったのか。
ここにもセレナに救われた男がいたとは。
俺だけであってほしいと思う一方で、ヨーシアを救ってくれたことを感謝する気持ちもある――――
◇
テーラーで三着分のドレスをオーダーし終わると、もう夜になろうとしていた。
けれど、フェリクス様はまだ帰ろうとしない。
「まだ行きたいところがあるんだ」
そうして連れて行かれたのは、最近話題のお菓子屋さんだった。
「セレナ、どれがいい?」
「んー……それじゃあ、このギモーブを。別邸の皆へのお土産に、いいですか」
「もちろん。だけど、セレナはどれがいいの?」
いつも通りの甘やかしが始まったことを感じ取る。
ただ、いつものデートならアクセサリーなど形に残るものを私にプレゼントしたがるフェリクス様が、食べ物をたくさん買おうとする。
今日はドレスをオーダーしたから、甘い物をということなのか。それとも、私が幼い頃に食い意地が張っていた話を聞いたからか。
後者だとしたら選びにくい。
「あと、これも包んでくれ」
「フェリクス様、もうこれ以上は食べきれませんから」
私が選ぼうとしないので、フェリクス様がどんどん注文する。
「たくさん食べていいんだよ」
「太ってしまいます」
「どんな体型になってもセレナへの愛しい気持ちは変わらないから大丈夫」
「私が大丈夫ではありません。甘い物の取り過ぎは体にも悪いですし」
「それはたしかに。でも、これもセレナが好きそうだよ。美味しそうじゃない?」
「……美味しそうですけど」
「でしょ?このケーキ、食べるの楽しみだね」
別邸に帰るまでケーキよりも甘い眼差しを向けられ続けたのだった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次の小ネタ的な番外編投稿後、一度完結設定にします。
一旦本編は終了しますが、また書き溜めて投稿を再開する予定です。
楽しみにお待ちいただけると幸いです。




