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二週間もずっと一緒にいたから、この数時間離れただけでもセレナが恋しい。
出張の報告書作成など、やることは残っていたが、夕食に間に合うように投げ出して帰った。
「おかえりなさい。思ったより早かったですね」
もっと遅くなるのかと思っていたと言うセレナを無言で抱き寄せる。
長旅の後、毒のある令嬢を相手にしたからか、精神的に疲れた。
セレナの持つ希有な癒しの力は、俺の精神にも作用している気がする。
セレナの側にいるだけで、触れ合うだけで心が穏やかになるのがその証拠だ。
セレナの首筋に鼻を寄せると、くすぐったそうに身をよじる。
逃げられないように腕の力を強め、セレナから「もう!」と咎められるまで触れ合いを楽しんだ。
「ごめんね」
「謝るならほどほどにしてください。皆見ているんですから……」
セレナが言う皆とは、使用人のことだ。
使用人の前であれば何も気にする必要ないと思うが、セレナの場合はそうではない。
恥じらうセレナを見たくてやっていることには、気づいていないようだけど。
「それもだけど、今回の旅はいきなりだったし、ごめんね。疲れたよね」
「最初はどうなるかと思いましたが、とても良い方だったので案外楽しめました。侍女らしいことは何もできませんでしたが」
「そんなことはない。セレナがいてくれたから、殿下はすぐに決断された。とても助かった」
「フェリクス様のお役に立てたなら良かったです」
「今度は本当に二人きりで旅行しよう。多分これが落ち着いてからになるけど」
「はい、楽しみです。お城に入られた王女様の様子はいかがでしたか?」
「うん。まぁ、……まだ慣れるのには時間がかかりそうかな」
「きっと王女様にとってはこれからが本番ですね」
「そうだね」
王女を心配していたセレナが、何か言いづらそうにする。
「どうかした?」
「あの、ヨーシアはどうしているんですか?傷の具合は?」
盗賊に襲われてからは完全に別行動になっていたヨーシア。
初めは警戒心しかなかったセレナだったが、庇われてそれが解けたのだろう。
「もう戻ってきているよ。傷ももう問題ない。ちゃんと治癒士にも診せた」
「あ、そうだったんですか。良かった」
良かったと言うセレナの表情を見る限り、かなり警戒心が解けたとわかる。
あの程度のことで警戒心を解いてしまうセレナの素直さは、俺にはないもので眩しさすら感じる。
同時に、これからも俺が忍び寄る悪意から守らなければと強く思う。
「ところで……ねぇ、セレナ。今回の旅行で俺に着替えさせられるのも慣れたよね?次の旅行では前ボタンのドレスは必要ないね?」
俺の呼び掛けににこにこと笑顔を見せてくれるセレナの耳元で囁いてみると、明らかに焦った表情に変わった。
「だっ、だめです!必要です!あっ、そうだ!足りなかったからもっと前ボタンのドレスが欲しいです!」
「ははっ」
必死に話すセレナがあまりに愛おしくて、思わず笑ってしまうと「最近、少し意地悪過ぎです…………」と恨めしそうに言われた。
その表情もまた愛おしい。
セレナから初めてドレスを強請られたが、それが前ボタンのドレスとは。
願いを叶えてやりたいが、迷うところだ。
◇
王都へ戻ってきてから三日後、城にいるフェリクス様からカードが届く。
恒例の帰宅が遅くなるから先に休んでいるようにとの連絡だと思っていた。
「……ん?」
「どうしました?」
トニアも同じように思っているらしく、私の反応に心配そうにする。
「あ、ううん。悪いことではないの。いつもの遅くなるってことと、明日休めるからデートしようって書かれていて」
「かしこまりました。そのようにご準備しておきます。それにしても、わざわざカードに書かれているのは珍しいですね」
これまでは直接言われることがほとんどだった。
明日になってから誘ってくれてもいいのに、わざわざメッセージカードに書いてまでとは珍しい。
だけど、やっぱり気にかかるのはフェリクス様の体調のこと。
王女様をお連れしてから三日、私はゆっくり休めたけど、フェリクス様は休みなく働いている。
きっと私が体を休めるように言うのをわかっていて先回りしたのだろう。
(それなら……)
「ねぇ、トニア。お願いがあるの」
「なんでしょうか?」
「あのね――」
◇
目を覚ますと微かにすぅすぅと規則正しい寝息が隣から聞こえてくる。
静かに首だけ動かして隣を見ると、フェリクス様の美しい横顔がある。
(……よく眠ってる)
私が朝目覚めるとフェリクス様に抱き締められていることが多い。
当然、抱きしめずに仰向けや背中を向けて寝ていることもある。
今日のフェリクス様は仰向けになっていて、腕の中に囚われてはいない。
そのことにほっとしつつ、起こさないようにと細心の注意を払って静かにベッドから抜け出した。
着替えを済ませると、薬草茶の準備をする。
王都へ戻ってきた翌日に実家へ行って薬草を取ってきた。
薬草はほとんどの種類がしっかり乾燥させてお茶にすると思っていたけど、生や半生の状態でも効能が期待できる種類が思っていたよりあることを知った。
道中、王女様が薬草茶の材料やブレンドについて教えてくれたので、実家の薬草で早速試している。
干していた薬草を見に行くと、ちょうど良さそうな頃合いになっていた。
「あっ。奥様、おはようございます」
明るい男性の声に振り返ると、ヨーシアがいた。
「……おはよう」
「あ、なんでいるんだって思ってますね?今日までフェリクス様がお休みをくださっていて、実家でゆっくりしてました」
「実家?」
「はい。実家って言っても、ハーディング侯爵家の本邸がボクの実家みたいなものなんですけどね。影の一族の本部は本邸の裏にあるので」
どきっとした。
もしかして、ビエダ家のことを言っているのかと思って。
ビエダ家はまだ彼らの父親を当主として存続しているから。
だけど、今の会話からもヨーシアは生家を実家と認識していないのがわかる。
「それで、明日からまた遠方の任務につくので、フェリクス様の顔を見に来たんです」
「そう。フェリクス様はまだお休みになっているわ。ところで、腕は大丈夫?」
「もう全く問題ありません。この通りです」
ヨーシアは腕を曲げ伸ばしして見せた。
スムーズに動かしている様子を見て、ほっとする。
「ところで、今日はデートだそうで」
「どうして知っているの?」
使用人の誰かが話したのかと思ったけど、ヨーシアは「だって、ボクも一応影の一族ですよぅ?」と愉快そうに笑った。
(え。部屋を覗かれたということ……?それとも隙を突いて部屋に忍び込んでカードを見た?)
「なぁんてね。昨夜、兄さんにフェリクス様の予定を聞いたら『昼に行ってもデートに行ってるから会えないぞ』って教えてくれたので、朝なら会えるかなって」
「そういうことね。でも今はまだ寝ているから、起こさないでちょうだいね」
「わかってます。でも、いいことを思いついたんですよねぇ」
ヨーシアはそう言うとニヤニヤする。
私と目が合うと「くふふっ」と企むように笑ってどこかへ行った。
振り返ってトニアを見ると「まぁ、放っておいて害はないと思います。ちょっと変なだけなので」と言い放った。
お試しで淹れたお茶を自分で飲みながら一息ついていると、少し慌てた様子のフェリクス様がきた。
お昼近くまで眠っていたフェリクス様は顔色が良さそうに見える。
(よかった。少しは疲れが取れていそう)
デートに誘ってくれるのは嬉しいけど、最近はずっとトラブル続きで休めていなかったからどうしても休んでほしかった。
使用人たちに聞くとフェリクス様から起こすように言われていたらしいけど、昨日の時点でトニアから使用人たちに「自然に起きるまで絶対に起こさないように」と私がお願いしていることを伝えてもらった。
私と目が合うとフェリクス様は眉を下げる。
「ごめん、寝坊した……。デートに誘ったのは俺なのに。急いで支度を――」
「あ、フェリクス様。待ってください」
「ん?何?」
「私がゆっくり寝かせてあげてと皆にお願いしたんです。デートは午後からでもできますから」
「え、あ、そうだったんだ。そっか。ありがとう、ゆっくり休めたよ」
寝起きでまだ頭が回っていないのか、フェリクス様の反応がいつもより遅い。
数時間いつもより多く寝たくらいで、蓄積された疲れは取り切れていないのだろう。
「フェリクス様。まずはお茶を飲みませんか?」
「あー、いや……支度を先に」
「久しぶりのお休みなんですから、ゆっくりしてからでも」
「久しぶりの休みだから、セレナとデートしたいんだよ」
こんなにも急いでいるからには何か計画していたのかもしれない。
それを知らずに起こさずにいたから、計画が狂って焦っているのかも。
薬草茶なら帰ってきてからでも……と思いかけたとき、トニアがソファへと誘導するように手を出しながら口を開く。
「お茶は奥様が旦那様のためにとご用意していたのです」
「え?セレナが俺のために?」
「はい。疲れが取れる薬草茶を用意しました」
初めぽかんとしていたフェリクス様だったけど、無言でソファに腰掛けた。
そして私をじっと見てくる。
「いただくよ。セレナの淹れてくれたお茶」
「はい」
薬草茶を飲みながら、フェリクス様は「体が軽くなった気がする」と言ってくれた。
もちろんそんな即効性はないけど、少しでも元気になってくれたらいいなと思うのだった。




