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【電子書籍化】30歳年上侯爵の後妻のはずがその息子に溺愛される  作者: サヤマカヤ
第七章

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25

 

 イヴァンによる王女の部屋の安全確認が終わると、王女は元気よく就寝の挨拶をしてきた。


「それじゃあおやすみなさい!」

「あっ、お待ちください。すぐにお風呂の準備をしますね」


 セレナが俺の腕の中から抜け出し、王女に話しかける。

 王女はきょとんとした。


「お風呂の準備って?」

「王都までは私が侍女として、入浴のお手伝いや就寝準備をさせていただきます。部屋に入っても大丈夫ですか?」


 セレナは頑張ると言った通り、しっかり役目を全うしようと思っているのだろう。

 しかし、セレナの言葉に焦った様子を見せたのは、王女のほうだった。


「侯爵夫人に侍女役なんて、そんな!いい!いいです!手伝いって何をするのかわからないけど、全部自分でできますから」

「私はそのために来ていますので、頼っていただければ」

「そうだったんですか。でも、恥ずかしいから一人でやらせてもらえると……だめ?」


 セレナが判断をあおぐように俺を見てきたので、頷く。

 本人が不要と言っているのだから、無理することはない。

 王女から入浴以外も侍女は不要とはっきり言われた。

 予想していた通りの結果だ。

 セレナも今でこそ慣れてきたようだが、結婚当初は侍女やメイドに世話してもらうたびに恐縮して、断っていた。

 それどころか、俺にとっては使用人にしてもらうのが当たり前のことまで、自分で率先してやろうとした。


 結婚した直後、セレナが起きてすぐにシーツを剥がし始めたので聞くと、『自分で洗濯場まで運ぼうと。洗うのはしてくれるのでしょうけど、運ぶくらいは自分で』と言ったこともあった。

 今では別邸の使用人は当主夫人の手を煩わせないように、これまで以上にテキパキと動くようになった。

 逆にセレナは、頼ることも当主夫人の仕事の内だと気づいたようで、なるべく委ねている。

 そんなセレナでも、入浴は未だに一人。

 使用人にさえ裸を見られるのに抵抗があるのだろう。

 それは性格もあるが、幼いころからの習慣に起因すると思っていた。


 セレナの家庭環境と似た貧しい男爵家で育った王女も、同じような状態になるだろうと踏んでいた。

 その身に流れている血は高貴でも、育ちは庶民的。

 当然の結果だろう。


 これで、復路も朝晩ゆっくりセレナと過ごす時間が取れる。

 密かにほくそ笑み、今日も風呂から上がってきたセレナの髪を魔術で乾かす。

 指で髪を梳き、完全に乾いたのを確認できたら気になっていたことを切り出す。


「セレナ。夕食の席での話だけど」

「どの話ですか?」


 食堂でセレナの初恋の相手について聞いたとき、あることが気になっていた。

 あの場では王女もいたし、きっと聞いてもセレナは答えてくれないと思った。

 だが、今なら落ち着いて話が聞けるはずだ。


「セレナの初恋の相手について。自分では覚えていないと言ってたよね」

「はい。覚えていないのに、初恋とは言えないと思うんですけど、母がそう言うので。一応」

「つまり、自分で自覚している初恋は別にあるということ、だよね」

「……そっか。初恋とか気にしたことはなかったですけど、言われてみたらそうなりますね」

「セレナが自分で思う初恋の相手はどんなやつなの?」


 聞きたくない気持ちもあるし、聞くと後悔することもわかっている。

 だけど、気になる。

 セレナのことは全て知りたいという気持ちが勝ってしまう。


「どんなって、どうしてそんなことを?」

「知りたいんだ。聞かせてほしい」

「……素敵な人ですよ」


 静かな部屋に二人きりでいるのに、聞き逃しそうなほど小さな声だった。

 少し伏せたセレナの顔がみるみる赤くなっていく。

 過去の恋だろう?

 その一言を言うだけでそんなに赤くなるなんて。


「もしかして、今も好きなの?」

「え?はい。もちろん」


 即答……。

 セレナの心の中に、実はずっと住み着いているやつがいたのか?

 その言葉を聞いて、どす黒い感情が蠢く感覚があった。

 それ以上何か言われたら、激情に飲み込まれてしまいそうだ。

 今もセレナの頭や心の中にいるやつを追いやるために、すぐにでも押し倒したい衝動に駆られる。

(それだけは駄目だ。落ち着け)


 フーッと深く息を吐き出していると、頬を染めたまま上目遣いで俺を見つめるセレナと目が合う。

 セレナが何かを伝えようとしていることに気づいた。


「え?……俺?」


 セレナが恥ずかしそうにはにかんで頷く。


「学生のときとか……共学だったよね?いなかったの?」


 セレナの初恋の相手は俺――嬉しいという言葉では足りないくらいのはずなのに、口から出てきた言葉はなぜかそれだった。

 一度俺以外を好きになったのだと思い込んでしまったからか。

 疑うわけではないが、確かめたかった。


「学校は王立で共学でしたが、必要最低限だけで。男子生徒とはあまり話すことがなかったです。……そういうのは一部の積極的な人たちだけでしたよ」


 俺も寄宿学校は共学だったが、そのころにはセレナ以外に興味がなかった。

 他のやつらがどうだったかと思い返してみれば、貴族の多くは節度を持って接するし、異性と一切交流しない人もいた。

 じわじわと、喜びが湧き上がってくる。

 セレナの母上の言う、侍従のことはもうどうでもいい。

 セレナの言う通り、自覚のある相手こそ初恋の相手と言えよう。

 時期はずれているものの、お互いがお互いの初恋の相手。

 素晴らしい。

 知らぬ間に、俺には奇跡が訪れていたようだ。

 セレナへの愛しさで溺れそうだ。

 もうすっかり溺れきっているのはわかっているが、どこまでも落ちていく。


「セレナ……」


 自分でも熱のこもった声だと思った。

 溢れる愛おしさのままセレナに手を伸ばしたが、気づいていないセレナは話を変えてきた。


「私、今朝は涙を堪えるのが大変でした」


 セレナの視線は、王女が休んでいる部屋側の壁へと向いている。

 そして気遣わしげに瞳が伏せられた。


「ヤンセン男爵夫妻の様子に、やるせない気持ちになってしまいました。今生の別れも同然だと理解されているようでしたし。お辛いでしょうに」

「分別のある方々だったからな」


 ヤンセン男爵は若かりし日、勉強のために王城勤めをしていた。男爵位を継ぐために帰領する少し前、偶然王女を拾ったと聞いた。

 王城勤めをしていただけあって、自分たちの立場を弁えているのだろう。

 宰相補佐官という立場からすると、厄介なことになることはなさそうで助かる――というのが正直なところだ。


「面会くらいはできるようになるのでしょうか」

「なんとも言えない。まだ王女をどのようなストーリーで公表するか決まっていないから。宰相や陛下がどうするか……」


 今後、夫妻は遠くから王女の姿を見ることはできても、直接言葉を交わすことは叶わないかもしれない。

 たとえ王女が願ったとしても。


「王女様も、本当はわかっているようでしたね」

「そうだね。まだ自分が王族という自覚はないようだけど、もう簡単に会えなくなるというのは理解されているようだった」


 明るい態度から置かれた状況や深刻さがわかっていないと思われたが、別れのときを湿っぽくしないように気を遣っていたのだろう。

 弱さを見せるのが苦手なのかもしれない。


 男爵夫妻の教育が良かったのか、元々の気質か。

 負の感情を見せないというのは、王族は特に必要になる能力だ。

 それでいて庶民的な感覚も持ち合わせている。

 きっと、国民から愛される王女になるだろう。


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