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第85話 【幸せな悪夢】

 えっと、なにをしてたんだっけ?


「……うさま……れいじろう様?」


「ん?」


 気がつくと礼二郎は、椅子に腰掛けていた。


「大丈夫、心配ないわ」


 礼二郎の隣には10代中頃の少女が座っている。

 ギリギリ肩にかかる長さの銀髪に、すらりとした褐色の体躯、それにトンガリ耳。

 誰だっけ? あ、そうか……。


「そう、だな。でも、万が一を思うと……」


「万が一、ですって? 滅多なこと言わないで! バッカじゃないの!」


「す、すまん、そうだよな。それより〝れいじろう様〟って呼び方は、その……」


「なに誤魔化してんのよ」


「ご、誤魔化してる訳じゃない」


「ふん、呼び方なんてどうでもいいのよ。ぶっちゃけ今更変えるの面倒くさいし」


「お、お前、◎@に似てきたな」


「フフフ、〝れいじろう様〟もやっぱり、そう思う?」


 そのとき、隣の部屋から大きな声。

 隣の部屋に通じるドアが勢いよく開いた。


「礼兄ぃ!」


 現れた女性が叫ぶ。

 年の頃は20才ほど。長く艷やかなストレートの髪を後ろに束ねている。

 その顔は笑みの形を作っていたが、どこかぎこちない。

 目は赤く、頬には涙の跡。


 泣いていたのか? まさか……。


 ガタッ。 礼二郎は立ち上がり、隣の部屋へ走った。



「★△★◆!」


 礼二郎は部屋の入り口で叫び、固まった。

 その視線の先では、ベッドで横たわる黒髪の女性。

 そして、その隣には、真っ白い布のかたまり……。


「なに突っ立ってるの! ★△★◆姉様に言うことがあるでしょ!」

「ほら! 早く早く!」


 二人の女性から背中を押される。

 ベッドの上では黒髪の女性が礼二郎に気付き、微笑んだ。

 どうやら大事はないらしい。

 礼二郎はホッと息を吐いた。

 だが、先ほど◎@の見せた涙の跡やあの表情は?


「礼二郎」


 ベッドに横たわる女性が上体を起こす。


「★△★◆!」礼二郎は駆け寄り、背を支えた。「無理はするな」


 背中は驚くほど濡れている。大量の汗だ。

 この汗が、これまでの過酷さを物語っていた。


「無理はしておらぬ、それより」


 ★△★◆が真っ白い布にくるまったもの――赤ん坊を抱えて言った。


「見てくれ。ワシの、ワシ等の御子じゃ」


「うん」

 礼二郎の目からポロポロと涙が落ちた。

「よくやった! がんばったな!」


「ククク、命を生み出すことが、こんなに苦しいものだとはのう」


「すまない。ありがとう。ありがとう、★△★◆」


「謝るでない。空気を読まぬか。ほれ、お主も抱いてみるがよい」


「あ、ああ」


 礼二郎が赤ん坊をぎこちなく受け取る。

 赤ん坊は目を閉じてピクリともしない。

 礼二郎が不安に思っていると、その口がムニャムニャと動いた。

 信じられないほど儚く小さなその身体は、確かに生命を宿していたのだ。


「★△★◆、動いた。この子動いたぞ」

 

 腕をガチガチに緊張させた礼二郎が、嬉しそうに囁やいた。

 その姿を見て、★△★◆はやさしく、満足げに微笑む。


「★△★◆姉様……」「姉さん……」


「お主等、揃いも揃って、なんじゃその顔は。最後くらい笑って見送らぬか」


「……」「……」


「最後?」

 礼二郎が驚いて顔を上げる。

「最後ってなんだ? 見送るってどういうことだ?」


「れいじろう様、★△★◆姉様は、もう……」「礼兄ぃ……」


「礼二郎、自分を責めるでないぞ。むしろワシは感謝しておるのだ」


 ★△★◆の様子がおかしい。

 身体はほのかに発光し、光の粒子がその身体からフワフワと舞い上がっている。


「どういうことだ! なんの話をしている!?」


「れいじろう様、時間がないの。今は★△★◆姉様の言葉を……」

「礼兄ぃ、姉さんの話を聞いてあげて……お願い」


「そうじゃ。話を聞かぬか、馬鹿者が。元気な子を産み、穏やかな気持ちで、この温かい光景を見ながら()()()のじゃ。こんなに幸せなことはない。まるで夢のようじゃ」


 ★△★◆の身体が――存在が薄く、透明になっていく。


「いける……だって? ★△★◆、まさか……」


「△☆、◎@、ワシのかわいい妹達よ、後のことはまかせたぞ。礼二郎を、ワシ等の子を支えてやってくれ」


「……任せて、★△★◆姉様」「わかってるよ、姉さん。安心して」 


「★△★◆! どういうことだ! ★△★◆ッ!」


 礼二郎は赤ん坊を抱いたまま、狂わんばかりに叫んだ。

 それを見て、★△★◆は少し困ったような顔で笑った。


「大声を出すでない。その子が目を覚ますじゃろうが。ん、そろそろか……っと、いかんいかん、肝心なことを言い忘れておった」


 ★△★◆の身体が、光の粒子へと分散していく。

 礼二郎はその身体を掴もうとして、止まる。

 もう、手遅れなのが直感でわかった。

 うかつに触れるとそれだけ早く……。


「あなた……愛して……る……わ……」


「嫌だ! ★△★◆、いくな! 愛してる! 俺も愛してるんだ! 俺を、俺達を置いていかないでくれぇっ!」


 礼二郎が手を伸ばす。

 ★△★◆は、その手に触れようとする。

 だがもう、触れることは叶わなかった。


「その子の……名は……」



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 



「イライアァァァァァァァッ!」


 礼二郎は飛び起きた。

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