第66話 【チェリー、最後の刻!?】
「ン……」
礼二郎は目を開けた。
にもかかわらず、視界はゼロだった。
真っ暗闇である。
「今何時だ? あれ?」
身体は、暖かい布団にくるまれている。
それに、なんだかいい匂いがする。
そう言えば出かける前、家政婦ホムンクルスのアルファが、布団を洗うと言っていたな。
「確か春香さんとデートをして……」
礼二郎には、いつ家に戻ったかの記憶がなかった。
ポヨン。
「へ?」
右手を動かすと、やわらかいなにかが手の甲に当たった。
「またロリが……。――いや、違う!」
この感触はロリにしては大きすぎる。
そして、イライアにしては張りがある、と失礼なことを思った。
イライア本人が聞いたら、暴れ狂う言葉である。
シャリーとセレスは、触ったことがないのでわからない。
瞬時に考えつつ、礼二郎が、ガバッと上半身を起こした。
「ん……礼二郎君、おはよう」
女性の声だ。
ペッド侵入常習犯の、ロリではない。
礼二郎は、乙女のように叫んだ。
「だだだ、誰ぇ!?」
「誰って、君ね。――あ、本当に覚えてないんだ」
声の主がなにやらもぞもぞと動くと、世界に光がともった。
「まさか……」
驚きの声を上げ、礼二郎が愕然と見つめる。
「礼二郎君……ごめんね」
寝起きの佐々木春香が、ベッドにいた。
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「つまり占いの館に戻って、それからの記憶がないのね?」
「あ、ああ、それより……」
「記憶が飛ぶなんて、やっぱり薬かしら? ねぇ、なにか口にした?」
「えっと、ピザを一切れと怪しい液体を。それよりもだ……」
「あ、怪しい? そんなもの飲んだの!?」
「だって、あの占い師が言ったんだ。『ピザに合う飲み物』だって……。なあ、春香さん、その話よりも……」
「だからって、怪しいってわかってる液体を飲む? 自分でおかしいと思わない?」
「おかしい? ピザを食べたんだからピザに合う……ハッ! そう言われると、どうしてあんな言葉を信じて、見るからに怪しい液体を飲んだんだ! いや、それよりも春香さん、その……」
「つまり暗示にかかっちゃってた、ってことかしら」
「暗示だって? いったい、いつから……。 ――いやいやいや、そんなことより!」
「だとしたら、あの店で焚かれてた、お香が……」
「ストップストップ! 春香さん、ストップ! 話を聞いて!」
「どうしたの?」
「やっとだ。やっと言える……」
礼二郎は深く息を吸い込んだ。
「頼むから服を着てくれぇ!」
礼二郎が、顔を真っ赤にし、叫んだ。
キョトンとした表情をし、春香は、次いでニコリと笑う。
「お断りします」
黒い下着姿で、春香はきっぱりと言い切った。
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礼二郎は考えた。
不測の状況下では、正確な事態の、素早い把握が生死を分ける。
大きな胸に視線が行きそうになるが、鋼の精神力で振り切り、周りを見渡す。
セクシーランジェリー姿の春香は、なぜか頑なに服を着ようとしないが、それは今は置いておこう。
50インチはあるテレビに、生活感ゼロの広い部屋。
そして大きなベッドと、なんとガラス張りの浴室。
間違いない。
ここは、どうやらいわゆる『ラブホテル』の一室だ。
ヤングの間では、『ファッションホテル』と言うらしい。
だが呼び名はどうであれ、どのみちアレなホテルという意味では同じである。
つまりここは男と女がアレする場所? ――と礼二郎がドモりつつ、春香に訊いた。
すると、同性同士でも利用するので、その定義は正確ではないと春香が言った。
だが定義はどうであれ、どのみちアレする場所という意味では同じである。
礼二郎は初めて、ファッションホテルを体験した――というわけではなかった。
異世界では普通の宿屋が、その役割を担っていた。
愛を育む場所の提供という意味での役割だ。
普通の宿屋なので、一般の客もそこを利用する。
ただし、歓楽街にある宿屋では暗黙の了解で、そう言った目的の利用が多かった。
実質的な『異世界ラブホテル』――いや、『異世界ファッションホテル』である。
商売っ気に聡い店主は、短時間での利用料金を設定していたりもした。
礼二郎はそこをなんどか利用したことがあるのだ。
当然アレ目的で、相手はプロのお姉さん――いわゆる娼婦の女性だ。
いい年してチェリーなのはどうかと思った末の行動である。
結局、女神による悪意満載なリミッターのおかげで、最後までアレすることはなかったが。
見た目は高校生、中身はおっさんチェリー。
それが昨日までの礼二郎だ。
だが、今は果たしてそうなのか?
礼二郎は我知らず、大人の階段を上ってしまっているのだろうか?
目覚めるとお互いに下着のみという状況である。
一度は上半身を起こした礼二郎だったが、春香の下着姿が下半身まで露わになったため、再び布団をひっかぶっている。
血の気が引きつつ(ただし一部位には血液凝縮)、ゴミ箱をチラリと確認したが、それっぽい形跡はなかった。
枕元にある箱形ティッシュは1枚目がキチンと山折りになっており、使用した形跡もない。
だからといって未遂であるとは限らない。
お風呂でチョメチョメした可能性もある。
経験が圧倒的に不足している礼二郎ではわからないが、なにか他の手段もあるかもしれない。
それに目覚めたとき、春香は『ごめんね』と謝った。
なぜ春香が謝ったのか。
それは礼二郎の貞操に深く関わってる気がする。
『なぁ春香さん。僕達はアレをしたんだろうか?』
礼二郎はすんでの所で、その言葉を飲み込んだ。
もし致していたとしたら、大変失礼なのでは、と気付いたからだ。
春香は礼二郎を好きだと言ってくれた。
だが礼二郎はそれに応えることができないのだ。
なのに身体だけの関係を結んで、しかも覚えていないと?
ダメだ。とても許されることではない。
(春香さんから死ねと言われてたら、死ぬしかないな……)
男なら好意的な感想を言うべきだ。
もちろんアレについての感想を。
たとえ覚えていないにしても、だ。
(それにだ……)
さらに家にいる仲間達に対しての問題もあった。
(もしアレをしていたとしたら……)
礼二郎はブルッと身震いした。
最低だ。
礼二郎は、あれだけ礼二郎を求めてくれる仲間達を拒絶しながら、出会ったばかりの美人とうっかり一線を越えたことになるのだ。
(これまた死ねと言われたら、死ぬしかないな……)
礼二郎はセレス達の顔を思い浮かべ、密かに覚悟を決めた。
(死ぬときは女神の悪口を言いまくってやる)
礼二郎は別の覚悟も決めた。
そして改めて今の状況を整理する。
ベッドで布団にくるまり暴発寸前の礼二郎。
そしてその横で扇情的な下着姿のまま横臥し、礼二郎をやさしく見守る美人OL春香。
時刻は5時。
夕方の5時ではない。
朝の5時――つまり日曜日の5時だ。
5時5時言い過ぎて5時の概念がゲシュタルト崩壊しそうだが、まごうことなく今は朝の5時なのである。
無断外泊な上で、朝の5時なのである。
(無断外泊……。くっ、どの面下げて帰ればいいんだ)
ハァとため息を吐いた。
気持ちを切り替え、再び状況整理に移る。。
昨日の夕方5時から今まで――空白の12時間。
アレを致したのか否かも大事だが、他にも知りたいことが山ほどあった。
そもそも、なぜホテルなのか?
礼二郎の家がわからなかったにしても、どうして春香は自分の家に帰らなかったのか?
「わたし、運転にあまり慣れてないの。あのまま行きと同じ距離を運転したら、事故を起こしそうだったから……」
訊くと、春香はホテルに入った理由を、そう説明した。
車の事故――その言葉を聞いた瞬間、礼二郎の心臓が握りつぶされたような感覚に陥った。
過呼吸を起こしそうになったが、たわわな胸を見ると不思議と気分が落ち着いた。
「……そんなに遠くに来たのか? いったいどうして?」
礼二郎はチラチラと、胸の谷間を見ながら訊いた。
精神を安定させるため仕方のないことだ。
決して邪な気持ちなどではない。
「あのね、礼二郎君。怒らないで聞いてね」
春香が枕から頭を少し持ち上げ、左手で支える。
オッパイが持ち上がり、少し形を変えた。
ニュートンはリンゴで、礼二郎はオッパイで、地球の重力を確認した。
「ここは○△県なの」
「○△……県」
礼二郎は上半身をゆっくり起こして、うつろな表情で言った。
○△県――そこは礼二郎達の住む場所から二つ離れた県だ。そして……。
「まさか……」
礼二郎の両親が眠る場所であった。




