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第61話 【修羅場の初デート】

コソリと更新お久しブリーフ

「おまたせしました。こちらがキリマンジェロで、こちらがジャバになります。お熱いのでお気をつけ下さいませ」


 昼下がりのオシャンティーなオープンカフェ。

 芸能人と言われても納得のイケメン店員が、ニコリと微笑む。


 客である二十台前半の女性はイケメン店員を一瞥し、すぐに目の前に視線を戻した。

 いつもなら、これ幸い、目の保養とばかりに上から下までなめ回すように視姦したであろう。


 しかし今日は、今日だけは、唯一の例外を除き、どんな男だろうと、その目にはエキストラにしか映らない。

 路傍の石である。

 きれいだろうが、光っていようが等しく価値のないただの石だ。

 このブルジョアな方々が好む街並みも、普段なら尻込みしそうなほどオシャレな店構えも、オープンテラスから一段下がった路地を行き交うハイソ系な人々も、すべて自分達を引き立てる舞台装置なのだ。


 なぜなら、対面に前述した唯一の例外――この女性の視線を釘付けにし、心臓をズンドコズンドコと鼓舞させる少年が座っているからだ。


「こ、これが一杯1500円もする珈琲か!」


 少年は震える手でカップを持ち上げた。

 顔の前まで持ち上げると目を閉じる。

 すぅっと鼻から息を吸い込み、珈琲の香りを心ゆくまで堪能した。


「あぁ、なんという芳醇な香り」


 目を閉じたまま、少年が呟いた。

 そしてカップを口に傾け、珈琲を流し込む。


 カッ! 少年が目を見開き、言った。


「信じられん。なんて旨さだ……」


 その言葉を聞いた女性はテーブルの下でガッツポーズをした。

 少年は美味しそうに珈琲を飲んでいる。

 そして、その少年をうっとりとした目で女性が見つめる。


(ネットで調べ上げた甲斐があったわ)


 女性は満足した顔で自分の分の珈琲を一口飲んだ。

 たしかにおいしかった。

 1500円も払うのだ。これくらいの味でなきゃ困る。


(さ、さぁ次の作戦よ)


 女性は乾いた口内を潤すためにもう一口珈琲を流し込んで、言った。


「れ、礼二郎君、キリマンジェロはお気に召したようね」


「こんなにうまい珈琲を飲んだのは二度目だ」


「へ? 二度目、なの?」


 女性――佐々木春香は声を上げた。

 まさか1500円珈琲に匹敵するものを経験済みとは……。

 春香は少しだけ落ち込んだ。


 目の前の少年――大萩礼二郎と初めて出会ったのは、先週月曜日のことだ。

 その日の夜、まるでVシネマにでてくるような暴漢に春香が襲われた際、月九ドラマのように現れて助けてくれた恩人である。

 乙女チックな言い方をすれば、白馬の王子様なのだ。

 春香は会ったその日、コロリと恋に落ちてしまった。チョロりではない。コロリだ。


「あぁ、春香さんの家以来だよ。こんなにうまい珈琲は」


「はうぁ!」


 ズキューン! 脳内で少女漫画のような効果音が鳴り、春香は胸を押さえた。

 初めて会った日に春香の入れたインスタントコーヒー。

 少年はそれを、この超高級珈琲と同等だと言ってくれたのだ。


「あ、あなた高校生よね。そんな落とし文句、どこで覚えたの?」


「お、落とし文句のつもりはない。本心からの言葉だ」


「はうぁ!」 ズキューン! (以下略。


 ハッ! 作戦を忘れるところだったわ!

 春香はコホンと咳払いを一つして、言った。


「ま、まあいいわ。よくないけどいいわよ。と、ところで、そのキリマンジェロを少し飲ませてもらえないかしら? れ、礼二郎君も、わたしのジャバを飲んでみなさいよ! べ、別に変な意味じゃないわよ! せっかくだから! せっかくだからよ! この珈琲も、すごく美味しいんだから! 嘘じゃないわ! 本当なんだから!」


「む、たしかに春香さんの頼んだ、ジャバという珈琲も気になっていたのだ。是非もない」


「じゃあ交換よ!」


 よっしゃーッ! 春香は心の中でほくそ笑んだ。

 実は春香は何度か飲む際、持ち手を入れ替えていたのだ。

 つまり……。


(礼二郎君がどちらの手で取っ手を掴もうとも、かかか、間接キッス! わたしも礼二郎の珈琲で。つまり技アリ二つで合わせて一本よ! ……ん?)


「うん。これまた芳醇な香りだな。では……」


「ちょっと待ったぁぁぁッ!」


「へ?」


「どうしてよ! どうして、そんな飲み方するのよおッ!」


「いや、だって春香さんが……」


 なんと礼二郎は取っ手の対面――春香のリップ履歴圏外に口をつけようとしたのだ。


「汚くないから! 毎日歯を磨いてるからぁッ!」


 メキメキッ! 乙女心が音を立てつつ春香が言った。


「き、汚いだなんて思ってない! ただ、間接キッスになると……」


「や、やだもー! そ、そんなこと意識してたの! 礼二郎君たら、いやらしいのね! 誰もそんなこと考えないわよ! 普通に飲めば良いのよ、普通に!」


 グサッ! 自らのブーメランが突き刺ささりつつ春香が言った。


「そ、そうか。失礼した。では……」


 礼二郎がカップに口をつけた。

 そう、最初に春香が飲んだ場所に。


 ズキューン! (以下略。


「はぁ。なんて旨さだ……」


 礼二郎が恍惚とした目で白い息を吐いた。

 春香は再度テーブル下でガッツポーズをした。

 そして自らも少年が頼んだキリマンジェロを口にする。

 当然、礼二郎のリップ履歴な場所からだ。


 シュバッ! 春香の脳内麻薬がスパークする。

 珈琲を口に入れた瞬間――いや、カップに口をつけた瞬間、春香の脳がトリップした。


(あぁ、なんて幸福感……)


 合わせて一本よ! もう死んでもいい……。春香はガチにそう思った、そのとき。


「春香……? 春香か?」


 春香の耳に、母親のそろそろ良い相手はいないの? の次に聞きたくない声が聞こえた。

 春香は声の聞こえた路地から顔が見えないように身体を傾けた。


「春香さん、呼ばれてるが……」


 礼二郎――春香が一番今の動揺を知られたくない男ナンバーワン――が言った。


「いいの。無視してちょうだい」


 頼むからこのままどこかへ行って、という願いもむなしく――


「春香、久しぶりだな。どうして連絡をくれないんだ」


 ――声の主が春香の隣に現れた。

 年の頃は30代前半、短髪の体格の良い男であった。

 日焼けした肌。全身に程よくついた筋肉。拳には武闘家特有の拳タコがある。


「あなたと話すことなんてないわ」


 春香は男を睨み付けて言った。

 男はたじろぐことなく春香の対面――礼二郎を見てニヤリと笑った。


「フッ、君に弟がいるとは知らなかったよ」


 そう言って男は、無断でテーブル――春香の右隣に腰を下ろした。


「なに勝手に座ってるのよ! それに礼二郎君は弟じゃないわ。わたし達デートの最中なんだけど?」


 春香が男を睨み付けたまま言うと


「デート?」


 礼二郎が驚いた声を出した。


(礼二郎君、デートのつもりじゃなかったんだ……)


 春香はショックを受けつつ男に気付かれないように、足で礼二郎の靴へ合図を送った。

 瞬間、礼二郎がハッと気付いた顔になり、言った。


「そ、そうだな。これは、まごうことなくデートだ! うん、間違いない!」


 下手くそか! そう思いつつ春香は男を睨み付け、言った。


「そんなわけだから、あなたは遠慮してもらえないかしら?」


「フッ……」春香の言葉を聞き、男が礼二郎を見つめながら「ハッハッハッハーッ! こいつはいい! この坊やがデートの相手だって?」


「あなたね……」


 怒りの表情で立ち上がった春香を、男が左手を挙げ制した。


「いやすまない。笑うのは失礼だったな」再び礼二郎に顔を向ける。「自己紹介が遅れたな。俺は山之内武志」右手を礼二郎に差し出し、言った。


「春香の彼氏だ」

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