閑話3 【刑事田中と、こず枝の逆鱗】
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【2019年1月25日(金)午後5:14 】
「公安の田中と申します。少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
田中は赤い髪の少女に声をかけた。
少女が家の門をくぐったのを確認してから、車から降りてきたのだ。
「刑事さん……ですか?」
少女は警戒しつつ言った。
田中の提示した手帳で、本物の刑事であると確認できたはずである。
しかし少女は警戒を緩めなかった。
それに時間を気にしているようだ。
腕時計をチラチラと確認している。
「あなたのことではなく、大萩礼二郎君について少し聞きたいだけです。あ、彼を逮捕するわけではないので、ご安心ください」
田中は柔らかい物腰で言った。
この少女が大萩礼二郎と交際をしていることは、部下の鈴木からの調書で知っている。
だが、交際を始めてまだ数日しか経っていない。
田中はそこに違和感を感じた。
幼馴染みである男の子と交際するのはいい。
だが、なぜ今なのか?
行方不明から戻ってすぐに付き合い始めた理由は?
田中はそれが気になっていた。
「わかりました……。ここではなんですので、どうぞお上がりください」
少女は渋々と言った感じだ。
警察手帳で確認したとは言え、怪しい男を家に上げるのは抵抗があっただろう。
それでも家に入れるのは、近所の目があるからだろうか。
だが、田中はそれ以外の理由があるのでは、と疑った。
穏便にことを済ませようとする輩が、よくこう言った態度を示す。
(なにかあるな)
田中は経験から、少女になにかやましいことがあるのだと感じ取った。
「では、お言葉に甘えて」
田中は少女の後に続いて、玄関のドアをくぐった。
「おや?」
田中は靴箱の上に目をとめた。
「きれいな花ですな。この時期に咲くなんて珍しい。なんて花ですか?」
「あ、それ、もらい物なんです。きれいですよね。わたしも名前がわからないんですよ」
少女が一瞬警戒を緩め、うれしそうにした。
が、すぐにハッと気付いたように顔になり、また警戒の色を濃くした。
(なるほど、礼二郎君からのプレゼントか。なかなか粋なことをするな)
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「ご両親はお仕事ですか?」
田中がお茶をすすりながら尋ねた。
リビングのL字型ソファーに腰を下ろしている。
できればダイニングテーブルで対面に座りたかった。
対面だと相手の表情が読み取りやすいからだ。
だが少女からここへ座るよう指示されたのだ。
それを断る理由は残念ながら思いつかなかった。
「母は離婚して出て行きました。父は長期出張中です」
少女が、冷めた表情で答えた。
田中の左斜めの位置。
まるでセリフを棒読みするような口調だった。
「失礼。言いにくいことを聞いてしまいましたね。失礼ついでにもうひとつ。どうして母親についていかなかったのですか?」
田中はすでに知っていることを聞いた。
「あの人はすでにお付き合いしている方がいましたから……」
「なるほど。お母さんも出て行って、お父さんは長期出張中……。こんな広い家にひとりでは、ずいぶんとさみしいでしょう」
「さみしくなんてありません。あの人達は一緒にいてもケンカばっかり……。いなくなって清々しています」
少女が複雑な表情で言った。
怒りをベースに、さまざまな感情が読み取れた。
少女は否定したが、そのなかに“寂しさ”も含まれているのを田中は感じ取っていた。
「込み入ったことを聞きすぎました。申し訳ない。ところで礼二郎君についてなんですが、幼馴染みの目から見て、失踪前と今で、なにか変わった点は無かったかな?」
田中は急になれなれしい口調になった。
状況の急激な変化で、相手に考える隙をなくすのが目的だ。
一番効果的なのは怒鳴ることだが、この状況で使うわけにはいかない。
「あ、ありません! レイはずっとレイのままです!」
田中の作戦が功を奏したのか、少女は声を荒げた。
(嘘をついてるな)
「なるほど。じゃあなぜ礼二郎君と交際しようと思ったんだい? 君ならもっといい男が沢山言い寄ってくるだろう」
田中はまたしても相手の感情を揺さぶった。
「レイが好きだから付き合ってるんです! 他に理由はありません!」
「彼のどんなところが?」
「ど、どんなって……。や、やさしいところとか……」
「しかし彼は少し優柔不断なところがあるし、男として少々頼りないよね」
「頼りないですって!?」
少女がさらに声を荒げ言った。
「レイほど頼りになる人なんてこの世にいません! そ、そりゃ優柔不断なところはあるけど……」
(これは本心か……)
「失礼。大事な彼氏のことを悪く言ってしまったかな。君たちはお似合いのカップルだと思うよ。礼二郎君はなかなかのイケメンだしな」
「そ、そうですか?」
「交際してまだ数日か。毎日が楽しくてしょうがない時期だな」
「……ええ、そうですね」
(ん? ここでトーンダウンだと? ケンカでもしたのか?)
「礼二郎君のが失踪中、どんなことをしていたか聞いたかい? 彼の証言はどうもあやふやでね」
「さ、さあ。そう言った話はしませんから」
(また嘘か……)
「おじさんは、礼二郎君が失踪中、変な連中に洗脳されたと思っているんだ。知ってることがあれば、隠さずに教えて欲しいな」
田中が思っていることを少し大げさに言うと――
「変な……連中……洗脳ですって?」
――少女の態度が急変し――
「レイは洗脳なんかされていません! 昔のやさしいレイのままです! 知りもしないのに適当なこと言わないで!」
――とんでもない殺気を放った。
(っ!? な、なんだ、この気配は!?)
田中の第六感が警報を鳴らした。
まるで拳銃で急所を狙われているような気分だ。
一歩間違えたら、命がない――田中はそう感じていた。
武道の達人である田中が、目の前の小柄な少女に、である。
「少しカマをかけたんだが、言い過ぎたようだ。すまなかった」
田中が素直に謝ると、少女の纏った殺気は嘘のように消え失せた。
「す、すみません。わたしったら大きな声をだして……」
そして少々バツの悪そうな顔になった少女が頭を下げた。
それからは当たり障りのない質問をいくつかして、田中は菊水こず枝の家を後にした。
玄関を出る際、シューズボックスの上にある花瓶の花が、なぜか気になった。
「こず枝ちゃん。この花を写真に撮っても構わないかな? おじさんはこう見えて、植物が好きでね」
田中の言葉に、少女は少しためらいの表情を浮かべた。
「え、ええ、かまいません」
なぜか焦った声で答える少女に、田中は違和感を感じた。
(礼二郎君からのプレゼントだから、なのか? ……よくわからんな)
田中は深く追求することなく、携帯で花の写真を撮った。
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バタンッ。
車に戻った田中は全身にしっとりと汗をかいていた。
(礼二郎君は昔のままだと言い切ったな)
田中は、そのとき少女の身に起こった変化を思い出し、身震いした。
あの圧倒的な怒り、そして殺気を。
(いったいなにが菊水こず枝の“逆鱗”にふれたのか……ん?)
そのとき携帯のバイブが着信を知らせた。
「はい、田中です。今聞き取り中……え?」
田中の表情が険しくなった。
「大萩礼二郎の調査を中止しろ? どういうことですか!?」




