第47話 【メイドふたりは芸能人!?】
○△駅改札口から出ると、こず枝が礼二郎に話しかけた。
「い、いつまでも落ち込まないのッ。男子からは尊敬されてるんだからいいじゃないッ」
こず枝が礼二郎の背中に手を当てる。
俯いた顔を一瞬だけ上げ、ため息を吐くと、礼二郎は再び顔を下へ向けた。
「…………」
「女子から嫌われたくらいで落ち込まないのッ。も、元に戻っただけじゃないッ。元気出しなさいよッ」
無言の幼馴染みへ、こず枝が根気よく話しかけた。
だが礼二郎は何も言わず、とぼとぼと歩く。
「…………」
「そ、そんな落ち込んだレイを見たら、みんな心配しちゃうわよッ。そ、それでもいいの?」
こず枝が少し語気を強めた言葉で、礼二郎の横顔に変化が生じた。
ぴくりと眉を動かし、みんな、と礼二郎は呟いた。
「たしかに、こず枝の言う通りだ。みんなに心配を掛けるわけにはいかん。もう大丈夫だ。すまん、心配かけた」
覇気は戻らないが、軽く笑顔の戻った礼二郎に、こず枝は、安堵の息を吐く。
「よかったぁッ。ほら、もうすぐ家なんだからシャンとしないとッ」
「こず枝、本当になにがあったか知らないのか? 僕には、まるで心当たりがないんだ……」
「し、知らないッ。知らないわよッ。わ、わたし、なにも聞いてないわッ」
「こず枝も知らないのか……。『うつろうは、女心と、秋の空』……だな」
キラン……チェリーの目に、一粒の涙。
「フッ、少し話題になっただけでモテてると勘違いするとは、我ながら情けない……」
「うっ……」
こず枝が苦しそうに胸を押さえた。
「どうした?」
「な、なんでもないわッ。気にしないでちょうだいッ。き、着替えたらすぐ行くから、レイも用意しててねッ。じゃあ、また後でッ」
チェリーから顔をそむけたまま、こず枝は、そそくさと自分の家へ帰った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(こず枝に余計な心配をかけてしまったか……。まったく僕って男は……)
我が家に到着した礼二郎は、玄関ので顔をパンパンと叩いた。
(いかんいかんッ。家庭に仕事を持ち込んでどうするッ)
礼二郎は大きく深呼吸して、よし、と玄関のドアを開けた。
「ただいま~ッ」
家に入り、靴を脱ごうとしたとき、リビングのドアが開いた。
その人物を見て、礼二郎は動きを止めた。
硬直し、目を見開く礼二郎に、その人物は、胸が潰れるほど懐かしい声で話しかけた。
『おかえり、レイちゃ……きゃっ、ど、泥だらけじゃないのッ。もうッ。早くお風呂に入ってきなさいッ』
亡くなったはずの母が、そこにはいた。
「母……さん?」
礼二郎が呟くと、母の姿がぼやけ、やがてよく知る人物となった。
「ご、ご母堂ッ? ど、どうしたのだ、主殿? わたしだッ。セレスだッ」
「おかえり、礼兄ぃ、びっくりしたッ? セレスさん、お母さんの服がぴったりなのッ。どうしたの、礼兄ぃ……? この服……貸しちゃダメだったかな?」
驚くセレスの後ろから現れた妹の加代が、礼二郎の顔を見て、不安な声を上げた。
ハッと我にかえり、礼二郎は、無理矢理に笑顔を作る。
「す、すまんッ。ちょっとびっくりしただけだッ。――か、加代、部活はどうしたんだ?」
「脅かさないでよッ。怒ってるかと思ったじゃないッ。――部活は家が心配で休んじゃったわ。それより、ほらッ。セレスさんに言うことがあるでしょ?」
いつもの元気な顔に戻った加代が、パチンとウィンクをした。
その意味を理解し、礼二郎は、改めてセレスの姿を見た。
「あ、あぁ、よく似合ってる。うん、その服は、すごくセレスに似合ってるぞ」
「そ、そうか、似合ってるかッ。それより聞いてくれ、主殿ッ。みんな役所とやらに行ったのだが、わたしだけ留守番を……」
赤い顔になり、照れたのを誤魔化すように、セレスは話を始めた。
セレスを見つめながら、礼二郎は、先ほどの幻覚を思い出していた。
(もしかして、昨日の兄ちゃんも、セレスに母さんの幻を見たのだろうか)
礼二郎の視線に気づいたセレスが、さらに顔を赤くした。
構わず、礼二郎はセレスを見つめ続けた。
(セレスと母さん……似ても似つかないのに、どうして……)
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
自室で着替えた礼二郎が、リビングのドアを開けた。
貴族の屋敷のように広く豪奢なリビングだ。
元の10平米程度だったのが、三倍の広さになっている。
礼二郎から見て、奥には10人がけのダイニングテーブル。
背の高い天井には、これまた豪奢なシャンデリアがぶら下がっている。
電気代はなんとゼロである。
元からある家電製品以外は、すべて魔女イライアの魔力でまかなわれているのだ。
これは高度空間魔術の一種である。
ここまで精密に設計ができるのはイライアのみ。
礼二郎もイライアから授かった【魔術印】のおかげで、イライアの使う魔術はすべて使えるのだ。
だが、『使える』のであって『使いこなせている』わけではない。
両者には絶望的なほどの差がある。
【魔術印】とは、例えるなら『索引のない辞書』である。
イライアは辞書をほぼ暗記しており、瞬時に答え――【魔術】を出せる。
一方礼二郎は、辞書は持っているものの、ページを1枚1枚めくり探さなければならない。
何万ページとある、細かい文字でびっしり書かれた辞書を――である。
(師匠レベルに到達するには、毎日10時間勉強しても百年はかかるだろうな……)
右側に顔を向けると、巨大なソファーにふたりの女性の姿があった。
メイド服を着たふたりが、テレビを食い入るように見つめている。
「ただいま、アルさんにベタさん。――そろそろ決まったか?」
礼二郎が声をかけると、ふたりが振り向く。
その顔には目も鼻も、口すらもついていなかった。
のっぺらぼうメイドふたりは立ち上がり、それぞれ礼二郎に紙を手渡した。
礼二郎が受け取り、不思議な言語で書かれた文字を読む。
「アルさんが女優の松島澄子で、ベタさんが歌手の長谷川由佳か」
礼二郎がスマホを取り出し、まずは松島澄子で検索した。
「ほぅ、アルさんは、この顔が好みか」
スマホの画面から顔を上げた礼二郎が、右手を緑髪メイドの顔へかざした。
なにもない顔に、ぼんやりと目が、鼻が、口が浮かび上がる。
やがてそれは、リアルな人の顔となった。
できたてほやほやの顔が、ニコリと笑う。
「ぷはーッ。ようやく話ができます。ありがとう、マスター」
アルファ、――女優、松島澄子の顔をした緑髪のメイド――が、うれしそうに声を上げた。
大柄な女性で、170センチの礼二郎より、少し背が高い。
お胸は立派なものをお持ちである。
同じようにスマホで歌手の長谷川由佳を検索して、赤髪のメイドへ手をかざす。
「あーあー、うん、この声だッ。オレらしい声を見つけるのに苦労したぞッ。しかし、ここまで再現するとは、さすがだな、マスターッ」
ベータ、――歌手、長谷川由佳の顔になった赤髪のメイドが、乱暴に礼二郎の肩を叩いた。
礼二郎より、少し背の低い痩せ型の女性だ。
お胸は控えめである。
「あれ? アルファさんとベータさん、顔があるじゃん。――ん? その顔って、松島澄子と長谷川由佳ッ?」
妹の加代が少しだけ、驚く。
超常現象を目の当たりにしては、反応が薄い。
これも〝認識阻害〟の効果である。
「ふふっ、ようやくお話ができますね。改めてよろしくおねがいします。加代様」
「よろしく頼むぜ、加代様ッ。早速だが、この家の家事全般を教えてくれよッ」
アルファが深く頭を下げ、ベータが腰に手を当て大仰に身を反らせた。
目をぱちくりさせた加代もまた、腰に手を当て、胸を張った。
「加代様に任せなさいッ。まずはお洗濯から教えてあげるわッ。――こっちこっちッ」
加代様を先頭に、三人が奥の部屋へ去った。
それとほぼ同時に、ガチャ、と玄関側のドアが開いた。
入るなり、お邪魔しまーす、と言ったのは、菊水こず枝だった。
「この護符ってすごいわッ。こんな薄着なのに、全然寒くないんだもの」
興奮気味に話すこの幼馴染みは、大萩家の合い鍵を持っている。
礼二郎が異世界へ失踪中に、大萩家フリーパス権を得たらしい。
その幼馴染みの姿を、礼二郎は見やる。
レギンスのジーンズに、長袖のスポーツジャケット。
言葉の通り、こず枝の服装は、まるで春の陽気に出かけるような格好だ。
ちなみにニュースによると、今日の最高気温は3度である。
「当然だ。なにせ、師匠の護符だからな」
言って、礼二郎がソファーに腰を下ろした。
その隣に、少しだけ間を開けて、こず枝は座る。
「みんなはどうしたの?」
「セレス以外は外出中だ」
「えーっッ。早く行きたいのにッ。まだ役所の手続きが終わらないのかな?」
「ん? どうして師匠が役所だと知ってるんだ?」
「はぅわッ。か、簡単な推理よッ。い、異世界から来たら、ま、まずは戸籍をなんとかしなくちゃでしょッ。こ、こんなの常識よッ」
「そうか、推理なのに常識なのか……。こず枝の言うとおり、師匠達は役所で手続き中だ。無茶をしてなければいいのだが……」
「わ、わーいッ。勘が当たっちゃったわッ。そ、それで、セレスさんは?」
「しかも勘なんだな。セレスは夕飯の準備中だ」
「え? 大丈夫かしら?」
「セレスは料理上手なんだぞ? 昨日はなぜか失敗したみたいだが……。今日はセレスの得意料理をみんなに振る舞ってくれるらしい」
「ふーん。異世界料理ってわけか……。うん、日本代表として容赦なく辛口批評してやろうじゃないッ。楽しみだわッ」
「あ、あまりセレスをいじめないでくれよ?」
少し不安そうな顔の礼二郎が、テレビをつけた。
映った映像を観て、こず枝は、あ、と声を上げる。
「アルシェさんだ。――今日は、ずっとこのニュースだね」
テレビには、巨大な龍の映像が映っていた。
その下に『悪質なジョーク番組ッ。関係者の謝罪会見』のテロップ。
礼二郎は、肩眉を上げ、首を傾げる。
「ジョーク番組、か。いい落としどころだが……。しかし、解説が矛盾だらけだぞ?」
「だよね。でも、こんな適当な説明で、世間様は納得しちゃってるのよ。テレビの力って、まるで魔法だわ。レポーターの人もとんだ災難よ。嘘つき呼ばわりされて、しかも不倫まで取り沙汰されるだなんて」
こず枝の話を訊きながら、魔法か、と礼二郎は呟いた。
「こず枝、昨日も言ったように、魔法は……」
「わかってるわッ『魔法を習得しても人前で使わないようにッ』でしょ?」
目を輝かせるこず枝に分からぬよう、礼二郎が溜息をついた。
そして先日ダンジョン差深部で、龍神と交わした契約を思い返す。
・『礼二郎のレベルを上げるため【次元迷宮】の使用を許可する』
・『レベルが十分に上がったら、龍神と勝負をすること』
この二つは、礼二郎の予想通りだった。
だが龍神は、もうひとつの契約を突きつけたのだ。
・『こず枝のレベルも(転移魔法が使えるようになるまで)上げること』
こず枝好き好き大好きドラゴンは、こんな無茶な注文を押しつけた。
嘘をついたという負い目のあるチェリーは、仕方なく龍神の要求を呑んだ。
はぁ、とふたたび息を吐いた礼二郎の隣で、こず枝がそわそわしている。
「あー、早くイライアさん帰ってこないかなぁッ。ダンジョン攻略なんてワクワクしちゃうッ」
女子高生の、その笑顔、まるで遠足前の小学生のごとく、である。
礼二郎は、もう一度息を吐いた。




