第41話 【最弱賢者、心がぐぅ痛む】
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「うまいか? 欲しければ、もっと出してやろう」
「すっごくおいしいッ。アルシェさんありがとうッ」
身長4メートルはあろう巨大な女性が満面の笑みを浮かべている。
その膝に座り、礼二郎の幼馴染みは、むしゃむしゃと食べている。
【龍脈の結晶】
菓子パンがごとく、こず枝がパクついているものだ。
龍神が無から作り出す、自らの主食である。
幾多の権力者、有力者が求めて止まぬ伝説の食材だ。
ひとたび人がそれを食せば、万病を治し、病を寄せ付けぬ体になると言われている。
ひとかけら金貨10枚でも飛ぶように売れるだろう。
もっとも、その場合、本物であると証明する必要があるのだが。
――『本家ドラゴンブレッド』だの『ドラゴンブレッド本舗』『元祖ドラゴンブレッド』だの……偽物が多く流通しているからである。
礼二郎はうらやましそうにこず枝を見つめた。
「あの、龍神様……僕も食べたいなー……なんちゃって」
「なにゆえ、憎々しい汝に与えねばならんッ。のぅ、かわいいこず枝やッ」
言って、巨大な手で、龍神は女子高生の頭を撫でた。
その目は、まるで初孫娘を愛でる、おばあちゃんであった。
ダメ元で言ってみた礼二郎だったが、やはりダメだった。
それにしても――と礼二郎は思う。
いまだかつて、ここまで龍神の心を掴んだ人間がいただろうか?
付き合いの長いイライアならば、と礼二郎は隣を見た。
そこでは、魔女イライアも唖然としていた。
信じられないものを見る目で、龍神を見つめている。
どうやら、初めて見る友人の姿らしい。
「今日はなんて良い日なのだッ。こんなにも愛いこず枝と出会えたばかりか、小憎らしい男との、念願の対決がやっと叶うのだッ。フワーハッハッハッハーッッ」
龍神様が、それはそれは楽しそうに笑った。
「ねぇ、アルシェさんッ。ちょっと世界滅ぼしてッ」と、こず枝が言えば「任せるがいいッ」と、簡単に世界を滅ぼしに行きそうである。
その龍神へ、おずおずと礼二郎は、進み出た。
「あのー、そのことなんですが……。実は僕、あのインチキ女神に……あ痛ぁっッ」
ゴワンッ。
タライが礼二郎の脳天を直撃した。
女神の〝天罰〟である。
かなりのダメージであった。
だが、レベル53で受けたときと、同じ程度の痛みな気もする。
龍神が目を剥いて叫ぶ。
「な、なんだ、今のはッ?」
「あ痛たた……。今のは、女神の〝天罰〟です。僕は奴に力を奪われました。そのうえ、奴の文句や悪口を言うと、今の〝くだらない天罰〟が下ります」
「力を奪われた、だとッ?」
「はい、ですので、もし戦ったとしても、一瞬で終わってしまうかと……」
「《解析》――なッ? レベル1ッ? レベル1だとッ。で、では、汝は我と戦えないと申すのかッ?」
「いえいえ、龍神様がお望みであれば、全力で戦わせていただきます。しかし、少々……いえ、かなり物足りないかもしれません」
「つまり汝は、我を……騙したのか?」
この世の終わりといった表情を、恐怖の龍が浮かべた。
〝騙した〟
その言葉に、礼二郎はドキッとした。
確かにそうだ。
礼二郎は、龍神を騙したのだ。
手紙を書いたときは、レベルを下げられる前だった。
その時点では、礼二郎は、龍神と戦える身体だった。
だから厳密には嘘をついたことにはならない。
だが、と礼二郎は考える。
――だが、あの女神が、礼二郎の力を、そのままにしておくはずがなかった。
手紙を書く時点で、それは分かっていた。
〝礼二郎の力〟に何らかの制限が課されることを、礼二郎は知っていたのだ。
つまり、手紙を書いたときには既に、龍神と戦えない理由を、礼二郎は見つけていたのだ。
(あ、死んだな……)
礼二郎が死を覚悟した。
龍神は、礼二郎から、何らかの嘘を感じ取っている。
そして、その嘘により、〝楽しみにしていた戦闘〟ができなくなったことも……。
今更、『実はスキルで、一時的にレベルを落としてるだけでしたッ。てへぺろ!』なんて言えない。
死ぬのが怖くなったから嘘を撤回するなんて、龍神様に対して、できるはずがない。だが。
――死にたい気分だったし、ちょうど良かったのかも知れないな。
(みんなを呼び寄せておいて、自分の都合でさよなら、だもんな。――最低な男だよ、僕は……)
大事な仲間を傷つけた自分を許せなかった。
今の礼二郎ならば、龍神の軽い一撃でも即死だろう。
さあ殺せッ――礼二郎は心中で叫んだ。
「龍神様。僕は決して騙したわけでは……」
だが、気がつくと、礼二郎は弁解していた。
言って、自分で驚いた。
(どうして、いまさら言い訳なんか。――僕にはもう……)
そのとき礼二郎の脳裏に、複数の顔が浮かんだ。
それは、愕然とするロリだった。
泣きそうなシャリーだった。
怒りに震えながら、涙を流すセレスだった。
そしてそれは――死にたくない理由であった。
(あぁ、そうか……僕は)
礼二郎の胸がチリリと痛む。
(僕はみんなに、謝りたいんだ……)
礼二郎は、自分の気持を知った。
知ったからには、もう、死ぬわけにはいかない。
生きて帰って、皆に謝らなくてはならない。
たとえ、みんなに許されなくても、だ。
謝ろう。
謝って、言おう。
こんな僕だが、側にいて欲しい、と。
――だが、現実は甘くなかった。
「……騙したんであろ?」
龍神が、真っ直ぐに礼二郎を見つめ、言った。
龍神は何かを確信していた。
だが、礼二郎は死ぬわけにはいかない。
なんとか許しを請わなければ。
「い、いえ……」
だが、いくら考えても、わからない。
龍神を説得できる答えが、どうしても見つからない。
「……騙したんであろ?」
言い淀む礼二郎に、龍神が繰り返した。
ジッと礼二郎の目を見つめる。
「はい……。結果的に、そうなります。済みません……」
礼二郎は再び、死を覚悟した。
(どうやらもう、皆に会えそうにないな。――ロリ、シャリー、そしてセレス。済まなかった)
礼二郎は、即死できるように脱力し、真っ直ぐに立つ。
龍神は、美しい彫刻のように動かない。
「我は……我は……」
間を開け、龍神が静かに呟いた。
大爆発する前のアレであろう。
どんな風に殺されるのだろうか、と礼二郎は考えた。
「へっ? りゅ、龍神様ッ?」
思わず叫ぶ礼二郎の目に、信じられない光景が映る。
それは、瞳から大粒の涙を零す、龍神の姿だった。
「うわぁぁぁぁぁぁんッ!!」
唐突に――巨大な堰を、一気に切ったように、龍神が泣き叫んだ。
「騙しおったぁぁぁッ! 我を騙しおったぁぁぁッ! うわぁぁぁぁんッ!!」
4メートルの巨人が天を仰ぎ、泣き叫んだ。
これには、礼二郎も驚いた。
隣にいるイライアも、目を見開いている。
「こ、これ、我が友アルシェよ。そ、そんなに派手に泣くでない。威厳もなにもあったものではないぞ?」
だが、イライアの言葉は届かない。
龍神は豪快に泣き続けた。
「嘘つきだぁッ! こやつは嘘つきだぁぁッ! 我は……我は楽しみにしてたのにぃぃッ! びゃぁぁぁぁぁぁッ!!!」
礼二郎の額に、大粒の汗が浮かぶ。
礼二郎は、覚悟を決めていた。
死ぬ覚悟を、だ。
(くッ。まさか、こう来るとはッ)
権威の象徴。
力と美の権化。
人々が恐れ、敬い、そして憧れる存在。
――龍神サンダルパス=アルシエラ――
その龍神が、眼前で泣いている。
恥も外聞もかなぐり捨て、泣き叫んでいるのだ。
そしてそれは、〝礼二郎が原因〟なのだ。
(な、なんという罪悪感だ)
「きゃッ」
4メートルの巨大な美女が、こず枝をそっと退けた。
ズーンッ。
強大な頭を地面に突っ伏し、嗚咽を上げた。
「嘘つきだ……。ヒック……我を……騙しおったのだ……。ヒック……」
「アルシェさん……」
こず枝が龍神の巨大な頭を撫でた。
そして、礼二郎に向き直った。
「ねぇ、レイ……」
言って、言葉を止めた。
――『レイ、なんとかしてあげられないかな?』
こず枝は、そう言いかけたのだ。
しかし、それは、龍神と戦ってくれ、と言うのと同義だった。
そう、礼二郎に強いることだ。
こず枝はそれに気づいた。
だから止めた。
礼二郎は――実は、礼二郎も、こず枝と同じだった。
龍神の涙を止めたかった。
子供のように泣き叫ぶ龍神の願いを、叶えたくなっていたのだ。
(やむを得まい……)
礼二郎は、再び覚悟を決めた。
死ぬ覚悟ではない。
今度は〝別種の覚悟〟を、だ。
そして、言った。
「龍神様、それでは、こういうのはどうでしょう?」
礼二郎の言葉を聞いた龍神は、ゆっくり顔を上げ、言った。
「それは、ヒック、本当であろうな?」
そして、涙は止めた。
★
【おまけ話】
『そこで待っておれ』 (※人化する龍神)
『アルシェさん……きれい……』
『汝は、我が……怖くないのか?』
『うん、全然怖くないわ! だってすっごくきれいなんですもの!』
『こ、こず枝! ダメ口はいかん! 敬語だ! 敬語を使わないか!』
『汝は黙っておれ! こず枝や、近うよるがいい。腹は減ってないか? これをやろう!』
『わー! なにこれ、おいしそう! アルシェさん、ありがとー!』
『よいよい。もっと近うよれ。あぁ、こず枝よ、汝はなんとかわいいのだ! ほれ、好きなだけ食べるがいい!』
『『…………』』(チェリー&こじらせ魔女)




