第26話 【最強賢者とスクールカースト】
ちょっといいかな、と礼二郎は、5人グループに声をかけた。
「……すまん。仲間に入れてもらえないだろうか」
「え? 大萩くん、細井達とケンカでもしたの?」
五人いるうちの一人が、やや大仰に言った。
ちなみに礼二郎には、誰一人、名前がわからない。
互いをあだ名で呼び合っているのが、恨めしい。
まさか、面識のない礼二郎が、いきなりあだ名で呼ぶわけにもいかないのだ。
そんな裏事情を悟られぬよう、礼二郎はできるだけ愛想よく振る舞った。
その結果として、ややぎこちない笑顔を浮かべているわけだ。
「そうだな。そんなところだ」
「ふーん、まぁいいや。ちょうど大萩くんの話題が出てたんだ。話を聞かせてよ」
「いいだろう。なんでも聞いてくれ」
礼二郎は、こっそりと息を吐いた。
まずは侵入成功である。
近くにあった椅子を勝手に拝借し、リーダー格の隣に陣取る。
これで彼に視線が集まるたび、礼二郎も皆の視界にお邪魔するわけだ。
なにしろ15年のブランクで、誰ひとり名前もわからないのだ。
これくらいの作戦は必要だあろう。
礼二郎が見たところ、このグループは間違いなく〝リア充グループ〟だ。
女子との交流が、驚くほど多い。
カースト的には、五段階中、上から二番目だろう。
ここに入れば、女子からウィルス扱いをされなくなると踏んでいる。
このとき礼二郎は、異世界でのことを思い出していた。
魔王の根城へ、奴隷として潜入したときのことだ。
だが、今現在、礼二郎の心は、そのときよりも余裕がなかった。
(なんだ、この緊張感は……こっちの方が断然、難易度が高いぞ?)
少し考えて、ああそうか、と思い当たった。
恐らく、失敗した場合に、〝力尽くで解決〟が、できないからだ。
ちなみに、奴隷として潜入したときは、すぐバレた。
そして結局、力尽くで解決した。
つまり、根城ごと壊滅させた。
最初からそうすれば良かったのだ。
とんだ殴られ損である。
礼二郎は、その失敗を思い出し、身を引き締めた。
(今度こそ、失敗は許されんッ)
今から始まるであろう”楽しい会話”に全力を注ぐのだ。
脱、ウィルスッ、目指せ、リア充ッ。
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「だから、ボクの言ってるのは……ん?」
教室の前方窓際、二人で食事を取っているうちの一人が言葉を止めた。
小太りメガネのその男は、ヘドロ大帝こと、細井順一だ。
もう一人、ガリガリメガネの名は高見一平。
過去10度の“買い出し遠征”に参加した猛者である。
階級は細井侯爵のひとつ下である『伯爵』。
当然この男も、汚物のように女子から嫌われている。
この二人の周りには、不自然なほど自然に女子がいない。
まるで隔離病棟のようだ。
「どうしたんだ? 礼二郎“元”男爵」
小太りヘドロ大帝、細井順一が、ジロリと礼二郎を見た。
「すまなかったぁッ」
礼二郎は直角に腰を折った。
「……」「……」
二人は無言で礼二郎を見つめる。
「今更こんなことを言うのは虫がいいと思う。――だが、どうか僕を許してもらえないだろか」
「安田達のグループに声をかけたんだろ? いったいなにがあったんだ。まぁ座れよ」
細井が近くにあった女子の椅子を引き寄せた。
遠くで女子の悲鳴が上がった。
この椅子の主に違いない。
礼二郎は構わず座る。
そして、先ほどのできごとを語ったのだった。
「実は……」
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礼二郎は、上位カーストへの侵入を成功させた。
問題は、そこからだった。
会話が、続かないのである。
まず礼二郎は、〝青春暴走自分探しツアー〟について聞かれた。
だが、本当のことを言うわけにはいかない。
精神に異常をきたしていると思われるからだ。
それに、嘘もつけない。
15年のブランクで、嘘に必要な情報を、持ち合わせていないのだ。
結果、その質問には、言葉を濁すことになった。
この瞬間、礼二郎の唯一と言ってもいい〝家出話〟というアドバンテージがなくなった。
じゃあ、何しにきたんだよ、と言わんばかりの視線が痛い。
礼二郎は焦った。
これはマズいと、次なる話題に参加を試みた。
「大萩君の好きなアイドルは?」
「すまん……そもそも、アイドルを誰も知らんのだ……」
「昨日○×■観た?」
「すまん……観てない……」
「いつも、どんなゲームをやってるの?」
「すまん……ゲームはやらないんだ……」
「「「「「…………」」」」」
一度もだ。
一度も、礼二郎は、会話のキャッチボールができなかった。
頼むから、ダンジョンのことを訊いてくれッ。
魔獣のことなら何でも答えてやるぞッ。
礼二郎は心中で願ったが、もちろんそんな話題は出なかった。
やがて、皆が口籠もった。
まるで深海にいるかのごとく、空気が重い。
よし、と礼二郎は、超絶に重い腰を上げた。
「すまん、邪魔をした」
そして、逃げた。
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「――ふむ、事情はわかった」
腕を組み、目を閉じた小太りメガネが言った。
それ以上は、何も言わない。
眉間に皺を寄せ、俯き、難しい顔で何かを考えている。
続く沈黙。
礼二郎が喉を鳴らす。
口がカラカラに渇いていた。
やがて我慢できずに、礼二郎は口を開いた。
「……どうだろうか」
礼二郎の問いに、答えはない。
我ながら虫が良すぎたな、と礼二郎は諦め、腰を上げた。
そのとき、小太りが、顔を上げ――そして、破顔した。
「なぜ立つ?」
「……え?」
「腰を下ろして、くそ腹の立つ弁当を広げるといい。――礼二郎男爵よ」
「男爵……もしかして、許してくれる……のか?」
礼二郎の問いに、小太りメガネは大きく頷いた。
「もちろんだとも。おかえり、我が友よ」
「あざーす! ――それで、なんの話をしてたんだ?」
お軽く礼を言い、礼二郎が、これ見よがしに〝こず枝〟弁当を広げた。
「「チッ」」
二人の舌打ちが、心地よく耳に響く。
「くそっ、久しぶりに見てもやっぱりうらやま……コホン、むかつく弁当だぜ。まぁいい。話してたのは“尻”についてだ。聞いてくれ。高見のやつ、まるでわかっちゃいないんだ」
「なんだとぉッ?」
思わず礼二郎は、身を乗り出した。
〝尻〟についてだとッ?
クソッ。
なんて興味深いテーマなんだ。
そして、ボクの中の定義では、と小太りメガネが話を切り出した。
「女の“尻”には三種類しかないと思ってる。“お尻”と“尻”と“ケツ”だ」
「ほう、興味深いな。続きを聞こう」
礼二郎が、さらに身を乗り出し、促した。
小太りは、ニヤリと笑い、続けた。
「基準は美しさだ。文句なしに美しければ〝お尻〟。鑑賞に堪えられる程度なら〝尻〟。それ以外は〝ケツ〟だ」
そこまで言って、小太りが礼二郎に視線を渡した。
礼二郎はそれを受け、顎に手をやる。
「ふむ。異論はないな。その定義を僕も支持しよう。――それで、高見伯爵の意見は?」
礼二郎が、ガリガリメガネに視線を投げた。
ガリガリメガネは、コホンと咳払いをして、メガネをクッと上げた。
「ぼ、ぼくもそれには賛成だ。で、でも、ぼ、ぼくは、男にも、その基準が当てはまると思うんだ。美しければ、男の尻でも〝お尻〟じゃないかッ」
そのとき、小太りメガネ、バンッ、と机を叩き、勢いよく立ち上がった。
「バカ野郎、ふざけるな! 男の尻に美醜が関係あるか、気持ち悪りぃ! 男の臀部なんてすべて〝ケツ〟だ!」
ハァハァと息を荒げた小太りが、真っ赤な顔でガリガリを睨む。
ガリガリは、怯みながらも、キッと睨み返し、立ち上がった。
「ぼ、ぼくが言いたいのは……」
だが、ガリガリの言葉は、そこで止まった。
思いもよらぬ反撃に、小太りは、さらにヒートアップした。
「男のケツを見て興奮すると思うのか! 甘く見るなよ、このボクを!」
叫び、小太りは乱暴に腰を下ろした。
三人の間に、重苦しい空気が漂う。
ガリガリメガネは、力なく腰を下ろし、俯いた。
小太りメガネは、興奮冷めやらぬといったふうに、腕を組み、そっぽを向いている。
そのとき、やれやれ、と息を吐き、礼二郎は立ち上がった。
そして静かに言った。
「まあ落ち着けって、二人とも。つまり、高見伯爵は、こう言いたいんじゃないのか? ――お前は〝男の娘〟のキュートなヒップにズッキュンしないのか、ってな」
ガタッ!
ガリガリメガネが、椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「そ、それだよ! ぼ、ぼくが言いたかったのは、それなんだ!」
礼二郎がその顔を見て、頷いた。
そして視線を小太りに移す。
小太りは、苦虫を噛みつぶした顔で、クソっと呟くと、ふっと柔らかい表情になった。
「――なるほどな。これは高見伯爵に謝罪せねばなるまい。たしかにボクは〝男の娘の尻〟にズッキュンしてしまうだろう。それはつまり――〝お尻〟たり得るってことだ。くそっ、すまなかったな。どうやら、ボクが間違っていたようだ。どうか浅はかなこの男を勘弁して欲しい」
小太りは立ち上がり、深く頭を、ガリガリへ下げた。
自分の非は素直に認める。
それがこのメンバーの〝鉄の掟〟だった。
――(あぁ、ちくしょう)
礼二郎は、涙を堪えた。
「しかし、見事な指摘だったな! さすが礼二郎男爵だ!」「や、やっぱり、エロい議論は、礼二郎男爵だな!」
二人が笑顔で礼二郎の肩を叩いた。
礼二郎は、ニコリと笑み、そして弁当に箸をつけた。
――(ちくしょう。なんてここは、落ち着くんだ)
最底辺――礼二郎のスクールカーストが決定的に決定した瞬間だった。
「……くそキモい。死ね」
遠くから女子の声が聞こえた。
だが、そんなのは、いつものことなのである。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
最終、六時限目は数学だった。
もしや古代エルフ語、と礼二郎は疑った。
つまり、ちんぷんかんぷんだった。
ゆゆしき事態である。
さて、期末テストをどう乗り切るか、と悩みつつ帰り支度をした。
「きゃッ」「いやぁッ」
そのとき、いつものBGMが聞こえた。
顔を上げると、ガリガリと小太りがモーゼの海渡りがごとく、女子を割って、やってきた。
「礼二郎男爵、帰りにボクの家……」
「れいじろーくーんッ。大萩礼二郎くん、いますかぁぁッ?」
小太りの言葉を、ニヤけた声が遮った。
人を小馬鹿にした口調だった。
そしてそれは、礼二郎が15年間、忘れもしない声だった。
礼二郎は、声の方向へ顔を向けた。
教室後方のドア――そこに、いた。
「おッ。本当に来てるじゃんッ。おかえり、サ・イ・フくんッ」
ニヤニヤと話す、パーマをかけた茶髪の男。
こいつの名は、塩田健吾。
入学してからずっと、礼二郎を恐喝してきた相手である。




