第115話 『大きな幸せと、結構な不幸せ』
リビング隅の床に腰を下ろし、礼二郎は幸と不幸を同時に味わっていた。
その目には、賑やかな食事風景が映っている。
そこには、先日までの食卓とは大きな違いあった。
それは、礼二郎がテーブルにも、皆の意識の中にもいないことだった。
「ロリちゃんったらすごいのよ! 今日、別のクラスの男子にからかわれたんだけど、あたしが助けるまえに、ぶっ飛ばしたんだから! 相手は柔道部のエースで100キロくらいあったの! それが2メートルはぶっ飛んだのよ! すごくない!? そいつがワンワン泣いて大変だったんだから! でも先生に言えないじゃない? ロリちゃんみたいに小さな女の子にぶっ飛ばされたなんてさ! あたし思うんだけど、そいつ多分ロリちゃんのことが好きだったんじゃないかな! 小学生じゃあるまいし、好きな子をからかうなんてバッカじゃないかしら! どうして男子って、それが逆効果だってわからないの!? きっと脳みその構造が、あたし達女に比べて、お猿さんに近いのね! ――モグモグ、ごっくん、うーん、セレスさんのお料理、今日もさいっこうにおいしいわぁぁッ!」
妹の大萩加代が、大きな声で喋っている。
会話の内容は少し物騒だが、いつもの元気で絶好調な加代だ。
最近ずっと目にしていた、当たり前の風景、当たり前の日常だった。
この当たり前の生活が、どんなに貴重なものか、今の礼二郎は身を持って知っている。
加代が、ただ普通に話をして、普通にご飯を味わって、普通に歩いて、そして普通の生活ができている。
それが、どんなに奇跡的なことなのか……。
礼二郎の目に涙が溢れる。
あぁ……なんて幸せな光景なのだろう。
そして、自分の状況を見つめ直してみる。
おうふ……なんという不幸。
礼二郎は、努めて冷静に今の状態を調べてみた。
その結果、
①、誰も礼二郎を認識できない。(声も聞こえない)
②、礼二郎は誰もさわれない。(まるで幽霊が如く、すり抜けてしまう)
③、物は動かすことができる。(ただし、動いたものはすぐに元に戻り、誰も動いたことにきがつかない)
わかったのはこれくらいだ。
①の、誰も認識できないのは言葉通りだ。
それどころか、礼二郎の持ち物が、いっさいがっさい、この世から消えて無くなっていた。
礼二郎のやっすい服も、くだらない落書きだらけの教科書も、表紙と中身の違うお気に入り漫画も、なにもかもだ。
リビングに飾ってある、両親が生きていたときに撮った家族写真(元々置いてなかったのだが、セレスに言われて、飾るようにした)からは、礼二郎だけ消えていた。
これはショックだった。
自分の存在が、足元から崩れ去る感覚なんて初めてだった。
②の、誰にも触れない、については、〝幽霊〟を想像すると理解しやすいだろう。
その昔、〝恋人を救うために、死にたてホヤホヤの幽霊男が奮闘する映画〟を観たことがあった。(生前に恋人とふたりで指を絡めながら、エッローい感じでロクロを回す例のやつ)
これ以上の説明不要。まさに、その映画のまんまである。
③の、物を動かせることについては、法則がいまいち不明である。
物に触れることは可能なのだ。
ただし、礼二郎が動かした物について、誰もそれを認識できない。
説明が難しいが、言葉のまんまである。
たとえば、礼二郎がテレビをぶん投げたとする。(というか、ぶん投げた)
そうすると、当然テレビは壊れる。
音も衝撃もそれなりに発生する。
なのに、誰もそれに気づかない。
ほんの数メートル横で、テレビが破壊されているのに、だ。
そして、そのぶっ壊れたテレビはと言うと……礼二郎がその粗大ゴミから目を離した瞬間、パッと消えて、元の場所に戻っている。
壊れる前の状態で、だ。
この実験のおかげで、おおよその法則がわかってきたのだ。
だがテレビなんて大きなもので実験した自分を、ぶん殴ってやりたい。(理由は後述)
さらに他の人が持っているものに関しては、また違う法則があるようだ。
結論から言うと、すり抜けてしまうのだ。
セレスが着ている服の胸元――コホン、背中部分も、セレスが運んでいるスポンジのみのケーキも、スカッとすり抜けてしまった。
なら、その人が立っている床も同じではないか、と礼二郎は思う。
そうだとすると、礼二郎は今この瞬間、床をすり抜けて、地球のコアへとまっさかさまに南無阿弥陀っちゃうのでは?
そうなっていないのは、どういう理屈なのか……。
もちろん、何千キロものフリーフォールは、ごめん被りたい。
もっといろいろと試してみたかった。
だが、止めておいた。
なぜなら、ペナルティが課せられるからだ。
礼二郎が、この世界に過干渉(物を壊すなど)するたびに、だ。
具体的に言うと――(礼二郎の目的である奇跡の一つ『大萩礼二郎を再び世界の認識に加える』の)――必要奇跡ポイントが増大するのだ。
これはステータスウィンドウの隅っこに隠れていた〝加算履歴〟なる項目で気づいた。
試しに茶碗を一つ割ってみた。
すると、15580kpだった必要奇跡ポイントが、15683kpへ3ポイントも増大して、履歴にも茶碗破壊 3kp加算と追記された。
以前、迷子の子供を家に送り届けた報酬は、たったの1kpだ。
つまり、茶碗一つで迷子三人……。
こいつは、なかなかにエグいペナルティである。
物を動かすたびに社会復帰がガンガン遠のいてしまうシステムなんて、聞いていない。
ちなみに茶碗の前に、テレビを投げたり、トイレで水を流したりした分も、そしてセレスに抱きついた分も当然加算されていた。(加算履歴なるものの存在に、もっと早く気づいていれば……)。
テレビに関しては、なんと15ポイントも増大している。
アホなことをしたものだ、ちくしょうめ。
イライアがいたなら、もっと容易にいろいろな法則が分かっただろう。
礼二郎の知能では、これが限界だった。
ちなみにイライアは、まだ部屋から出てきていない。
他の皆は、イライアの不在を気にしてはいない。
よくあることだからだ。
研究に没頭しているイライアは、寝食を忘れることが多々ある。
そして、それを邪魔することは、冬眠中のクマ(※ヒグマ)の真横で、目覚まし時計を鳴らすほどに(むしろそれ以上に)危険な行為なのだ。
だれもクマ(※ヒグマ)に、頭からボリボリと食われたくはないので、イライアの部屋をノックすることはない(加代だけは、気にせず突撃していたのだが、皆に説教&懇願で止められたので、さすがの無遠慮娘も、イライアのプライバシーだけは尊重するようになった)。
だが、今日は事情が違っている。
イライアは、ただ部屋にこもっているのではない。
通常の世界から少しずれた〝別位相空間〟に、その身を置いているのだ。
礼二郎は左手の甲を見つめる。
そこには青い幾何学模様――〝魔女イライアの魔術印〟がくっきりと刻まれている。
つまり、イライアが部屋から出てこない限り、礼二郎は〝大魔術師イライアの加護〟を授かったままなのだ。
その効果は、魔力量増大、魔法威力増大、持久力アップ、疲労回復、食欲増進など多岐にわたる。
だが1番の効果は、そんなものではない。
『この世でただひとり、魂の繋がっている人物がいる』
最強魔女の魔術印は、その事実を礼二郎に認識させてくれるのだ。
なんと心強い。
たったひとりだけでも、自分を覚えていてくれる人物がいる。
それは、とんでもなく大きな心の拠り所だった。
恐らくイライアは、このまま出てくることはないだろう。
礼二郎が目的を成し、迎えにいくその時までは……。
後書き)
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