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第103話 【我慢の臨界】

 曇り空にもかかわらず、先日より少し暖かい朝だった。

 走ってきたのもあってか、寒さは感じない。

 急ぎ、下駄箱を開けた。

 いつも通り、黄色い手紙があった。

 ホッと息を吐き、葉子は靴を履き替える。



 教室に入ると、日直がいい仕事をしていた。

 すでに室内は温かく、コートが必要ないほどだった。

 いつもの席で、いつもの笑顔を浮かべる親友を見つけ、また安堵の息を吐く。

 同時に、妙な気持ちになる。

 カヨッペの影が、いつもより濃い?

 まるでカヨッペの側に誰かいるような……。

 勘違いだよね、と頭を振ると、教室を見回す。

 ナッツンは……まだ来ていない。

 葉子は、カヨッペの机に手紙を置き、いつものように無言で自席へ移動した。


 コートを脱ぎ椅子に掛け、腰を下ろす。

 一限の用意も忘れ、急いで手紙を開く。

 今日の手紙は二枚組だ。

 一枚目を読む。

 


【ヨーちゃん、おっはようーッ!

 昨日何があったと思う?

 なんと、わたしってば、昨日言われてた不審者に拉致されたんだよッ。

 有り余るわたしのヒロイン力が、変態さんを刺激しちゃったんだろうね。

 美しいって罪だわ。オーッホッホッ。

 自慢の足で走って逃げようにも、変な薬を嗅がされちゃってさ。

 気がついたら意識を失っちゃってたんだよね。

 で、気がついたら、薄暗い部屋で縛られてるの。

 猿ぐつわされて、声も出せないし、加代ちゃん史上、最大のピンチだったわ。

 水○黄門で言うところの、25分辺りなピンチだったわよ。

 そこにヤカラが二人現れたの。

 ああ、このままエッチないたずらをされちゃうんだわ、って覚悟しそうになったわよ。

 そしたら、もう一人意外な人が部屋に入ってきたのね。

 誰だと思う?

 なんと、トメ子のお兄ちゃんだったんだよッ】

 


 そこで一枚目は終わっていた。葉子は顔を上げ、シパシパ(またた)いた。

 ――どうして、トメ子のお兄さんが出てくるの? カヨッペのお兄さんじゃなくて?

 急ぎ、二枚目に目を落とす。



【トメ兄は、入ってくるなり、ヤカラ二人に殴りかかったの。

 頭の中は、はてなマークだらけよ。

 もしかしたら助かるかも、なんて思っちゃったわ。

 でも、世の中そんなに甘くないわね。

 トメ兄は、健闘虚しく、やられちゃったわ。

 片手を怪我してたわりに、がんばったんだけどね。

 んで、トメ兄も縛られちゃって、いよいよマズいわってときに、来たのよ。

 なにがって?

 今話題の〝ヒーロー〟よッ!

 ヤカラ二人なんか、一瞬でノックアウト!

 相手は気絶してるのに、しつこいくらいボッコボコに殴ってたわ。

 ストレスが溜ってたのかしら?

 ちょっと陰湿で心の闇を感じたけど、超かっこ良かったわッ!

 思わずサイン貰っちゃったわよッ。

 あ、携帯はヤカラに壊されちゃったんだよね。

 なんとけちんぼの源兄ぃが、最新式を買ってくれるんだって!

 これに関しては、変態ロリコンヤカラさん様々ね!

 長くなるので続きは次回にッ!

 Dearカヨッペ】



 手紙を机に置き、しばし放心した。

 ものすごい情報量だ。

 〝Dear〟については、なにも言うまい。

 ガタンッ。葉子は立ち上がり、後ろを振り返った。

 ニマニマと笑うカヨッペが、ノートを葉子に広げて見せた。

 

【カヨちゃんへ:正義の味方、イセカイダーチェリッシュ】

 

 そう書いてあるように見える。

 葉子はあんぐりと口を開け、腰を下ろした。

 

 ――どうして、〝ヒーロー〟が?

 ――って言うか、〝ヒーロー〟本当にいたんだッ。

 

 葉子がぐるぐる考えていると、ナッツンが教室に入ってきた。

 葉子と同じように手紙をカヨッペに渡す。

 自席に座り、カヨッペの手紙を読み始めた。

 ガタンッ。ナッツンが立ち上がり、まん丸な目で、カヨッペに振り返った。

 まるでさっきまでの自分を、再現VTRで見ている気分だ。

 いささか滑稽であり、かなり恥ずかしくもある。

 カヨッペは、ノートを広げ、またもニマニマと笑っている。

 再現Vの女優――ナッツンは、そのままツカツカと葉子の隣にやってきた。

 


「拉致ってなによッ! ヨーちゃんッ! いったい、どうなってんのさッ?」


「えっと、じつは……」

 


 葉子は、昨夜の出来事をナッツンに説明した。

 一応口止めもしておく。

 聞き終えたナッツンは、隣の椅子へ座ると、興奮気味に葉子の袖を引っ張った。

 


「どうして、そこにトメ子の兄さんが現れるのよッ! それに、どうしてそのタイミングで〝ヒーロー〟が……」

 


 言ってナッツンが、ハッとした顔になり、葉子に耳打ちしてきた。

 


「もしかして〝ヒーロー〟の正体ってさ……」

 


 ナッツンがそこまで言ったとき、教室のドアが乱暴に開いた。

 


「え……?」

 


 思わず葉子は声を上げた。

 入ってきたのは、派手な私服に、サングラスを掛けた少女だった。

 シーン、と教室が静まりかえる。

 誰もが、その少女と目を合わさないように、下を向いた。

 

 

「樹利亜先輩がどうして……」

 


 ナッツンが小さく呟いた。

 葉子は、昨夜カヨッペのお兄さんが言ったことを思い出した。


『でも、約束しましょう。近いうちに――早ければ明日にでも、問題は解決します』


 もしかして、お兄さんが、なにかしらの手段で樹利亜先輩を……。

 葉子は、期待を込めて派手な少女の動向を見守った。

 樹利亜はズンズン歩き、カヨッペの前で立ち止まる。

 


「テメエ、美沙になめた態度取ったららしいじゃんか? ああん?」

 


 サングラスを外し机に左手を置くと、カヨッペに顔を近づけ、恫喝するように言った。

 葉子の淡い期待は、もろくも崩れ去った。

 カヨッペは毅然と見返す。

 


「妙な言いがかりをつけないでくれます?」


「んだと?」

 


 樹利亜がカヨッペの襟首を掴み、引き寄せた。

 すぐに手を離し、フンと鼻で息を吐く。

 


「相変わらず、威勢が良いじゃん。大方、あと二ヶ月でアタシがいなくなるからってタカをくくってるんだろ? ああん?」

 


 樹利亜の言葉で、葉子の顔から血の気が引く。

 樹利亜は振り返り、教室全体へ向け、叫ぶ。

 


「アタシが卒業しても〝命令〟は無くならねえからなッ! 卒業しても、こいつと話すってことは、アタシを敵に回すってことだッ! わかったかぁッ! ああんッ!」 



 それを聞いた瞬間、葉子はキレた。

 もう我慢の限界だった。

 あと二ヶ月という希望だけが、葉子の心を支えていた。

 それが今、無くなったのだ。

 葉子は立ち上がって、樹利亜を睨み付けた。

 

 

「んだ、てめえ?」

 


 樹利亜が、葉子をジロリと睨む。

 葉子の膝はガクガク震え、歯はガチガチと音を鳴らした。

 怖いけど、目を逸らさなかった。

 

 樹利亜は、指定広域暴力団会長の孫娘だ。

 彼女が頼めば、組の若い衆が、どんな無茶でもやると有名だった。

 実際に、クラスメイトが襲われ、入院するほどの怪我を負ったのは記憶に新しい。

 間違いなく、彼女の指示だ。

 そんな危険人物に、葉子は気がつくと刃向かっていた。

 もう取り返しはつかない。

 


「――てめえもか」

 


 樹利亜が、葉子の隣に視線を向けた。

 見るとナッツンが、立ち上がり、樹利亜を睨んでいた。

 怖くてたまらないのだろう。

 その目には、今にもこぼれ落ちそうな涙が浮かんでいた。

 葉子と同じように、震える足で、ナッツンは理不尽に立ち向かっている。

 その葉子達へ、青い顔になったカヨッペが立ち上がり、叫んだ。

 


「ヨーちゃん、ナッツン、止めてッ! わたしは大丈夫だからッ!」


 

 カヨッペの言葉を無視して、ニヤニヤと樹利亜が、葉子達に詰め寄る。



「度胸あるじゃん」

 


 息がかかるほど、葉子に顔を寄せ、樹利亜が言った。

 そのとき、樹利亜が、机の上に視線を移した。

 


「なんだ?」

 


 樹利亜が机に上の〝手紙〟を手に取る。

 しまったッ! と葉子は焦る。だが、もう遅かった。

 手紙を読んだ樹利亜は、邪悪な笑みを浮かべた。

 


「なるほどね。確かに〝手紙〟は禁止していなかったな。こいつは一本取られたよ。だがな……」

 


 まさか、と葉子は目を剥き、樹利亜は薄笑いで言った。

 


「今からは〝手紙〟も禁止だ」

 


 あまりの横暴に、口を開こうとした葉子を、隣からの声が遮る。

 


「どうして、こんな酷いことをするんですかッ? わたし達はなにもしてないじゃないですかッ!」

 


 ナッツンが涙を落としながら叫んだ。

 樹利亜は、ニタリと笑った。

 


「どうして、だと? そんなの決まってるじゃんか。――おもしれえからだよ。キャッハッハーッ」

 


 樹利亜が笑い、葉子が拳を握りしめたとき、それは起こった。

 ゾクリ、全身が粟立つ。

 教室の空気が変わった。

 葉子は、獰猛な肉食獣の気配を、間近に感じた。

 圧倒的な力を持つ捕食者が、すぐ側で自分を見つめている。

 そう確信し、全身が硬直した。

 樹利亜も感じたのか、笑みを消し、周囲をキョロキョロと見回した。

 


「な、なんだッ? 誰だッ! ――ひッ」

 


 樹利亜が、カヨッペに向き直り、固まった。

 葉子からは、樹利亜の背中しか見えない。

 樹利亜がなにを見たのか、その背中は明らかに震えていた。

 葉子が、カヨッペに目を向ける。


 ――え?


 カヨッペの影が動いたような気がした。

 あそこだ、と葉子は思った。

 カヨッペの影から、異様な気配が吹き出しているんだと直感した。

 当のカヨッペは、キョトンとしている。



「と、とにかく、お前ら三人は〝話すこと〟も〝メール〟も〝手紙〟も禁止だッ! 全員わかってるなッ!」



 捨て台詞を残し、樹利亜は逃げるように教室を去った。

 途端に、異様な気配は鳴りをひそめる。

 カヨッペの影から、違和感が消えていた。

 教室がざわめく。

 葉子達に話しかけるものは、誰一人いない。


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