第99話 【(ノーマル)女子中学生日記】
高橋葉子の息は、真っ白だった。
「まったく……嫌になっちゃう」
週の初めから、こんな寒さなんて……。
ニュースによると、今日の気温は、最高でも三度だ。
白いため息で、かじかんだ手をほぐすと、葉子は下駄箱を開ける。
上履きの上に、何かがある。
可愛らしく折られた、黄色い紙だ。
ふふ、と葉子は、柔らかい笑顔を浮かべる。
紙を大事そうにポケットへ入れ、靴を履き替えた。
同じく登校してきた友達に挨拶をしつつ、二階教室へ向かう。
階段を上がってすぐに、目的の葉子の教室――2年3組へ到着した。
何やらビタビタと音がする。
見ると、教室前にある手洗い場の、水が流しっぱなしだった。
凍結による水道管の破損防止のためだ。
「理由はわかるけど、こんなに沢山流す必要があるのかしら?」
独りごち、ブルッと身を震わせる。
水が落ちる音が、葉子の寒さをいっそう強くした。
ガチガチと歯を鳴らしつつ、黒板側の入り口を素通りし、後側のドアを開ける。
「寒ッ。――日直め。ストーブをつけるのが遅いのよ」
予想外の寒さに軽く毒づきながら教室へ入り、ポケットから緑色の紙を取り出す。
顔を上げると、窓際一番後ろの指定席に座る少女と目が合った。
しばし見つめ合い、互いに笑みを浮かべる。
少女の手には、青い紙。
ナッツンに先を越されたか、と葉子は頬をゆるませつつも、口を尖らせ拗ねたようにした。
ツカツカと、少女の席へと歩く。
少女の机に緑の紙を置くと、無言で前方の自席へ移動した。
席に座ると、すぐにコートのポケットから、下駄箱にあった黄色い紙を取り出した。
かじかむ手で、ワクワクしながら開くと、元気いっぱいな文字が飛び込んできた。
【ヨーちゃん、おはよーッ! 今日も寒いねぇ。週末は何してた? わたしは、なんと、デートだったんだよッ! でも、トメ子に見つかっちゃって最悪ッ! それまで、すっごい楽しかったのに、一気にテンション下がっちゃったよ……。でも、その後、デートの相手と二人でカラオケに行ったら、嫌なこと何て忘れちゃったわッ! ヨーちゃんやナッツンとも、またカラオケ行きたいねッ! 今週もがんばろうッ! Dearカヨッペ】
相変わらず〝Dear〟の使い方が間違っていることは置いておく。
ええッ、と葉子は目を丸くした。
(欲望パラメーターを食欲に全振りのカヨッペが、デートですって? そんなバカな――ん?)
何気なく手紙を裏返すと、そこに小さな文字が。
【デートの相手は、小さな女の子だよん】
葉子は急いで振り返る。
視線の先で、悪戯っぽい笑顔を浮かべた大萩加代が、ウィンクをした。
その手には、葉子が渡した緑色の手紙。
葉子は頬を膨らませ、少し怒ったふうにして、前へ向き直った。
してやられた、と思わず笑みが零れる。
これは、高橋葉子、大萩加代、山本夏美の3人だけの秘密の手紙だ。
〝ヨーちゃん〟こと、葉子は、葉っぱだから〝緑の手紙〟
〝カヨッペ〟こと、加代は、太陽みたいに笑うから〝黄色い手紙〟
〝ナッツン〟こと、夏美は、夏イコール海だから〝青い手紙〟
この仲良し3人組は、今学期が始まってから、手紙でしか、やり取りをしていない。
なぜか?
『大萩加代』と、直接話すことはおろか、電話や、メールや、RINEも禁止されているからだ。
その理不尽な〝命令〟をされたとき、葉子は激高した。
抗議に行こうと、山本夏美と共に、震える足で立ち上がった。
だが、葉子達の怒りに任せた浅はかなその行動を、当事者の加代が、いつもの笑顔で諫めた。
『ダメよッ。それじゃあ、あいつらの思う壺だわ。――おもしろいじゃないッ! 〝電話〟〝メール〟〝RINE〟がダメなら、〝手紙〟を使いましょッ』
加代は、そう宣言した後、誰とも口を聞かなくなった。
葉子は一時限目の用意をしながら、歯を食いしばった。
もう少し自分に勇気と力があれば、こんな酷いことさせなかったのに、と自分に腹が立った。
そして、あのとき加代が止めてくれなかったらどうなっていたか、と安堵している自分に嫌気が差す。
チラリと、後ろを振り返り、加代の様子を窺う。
加代は、ニコニコと、時折外を眺めながら、黄色い紙に何かを書いている。
加代は、毎日が楽しそうだ。
学校中から無視されているのに……。
我知らず浮かんだ涙を、葉子は拭った。
(カヨッペ、ごめんね……)
誰とも話せないなんて、辛くないはずがない。
葉子は、鼻をすすると、緑色の紙を取り出した。
鉛筆を握りしめ、そしてできるだけ心を込めて、書き始めた。
――大好きな親友への手紙を。




