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氷の悪女の契約結婚~愛さない宣言されましたが、すぐに出て行って差し上げますのでご安心下さい~  作者: 森川茉里


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絡まる思惑 04

 書斎にこもり、領主代理としての執務を行っていたネージュは、左手の薬指にはめた結婚指輪がふと視界に入ってきたので目を細めた。


 結婚式の為に準備したものの、宝石箱の中にしまいこんでいたものだ。アリスティードとの関係が改善した時に身に着ける事にしたのである。

 

 それは彼も同様で、お揃いの指輪を着けていると思うと少しくすぐったい。


 コレールから戻ってきてから、ネージュとアリスティードとの距離は、ぎこちないながらも徐々に近付いている。


 日常生活の中で一番大きく変わったのは食事だ。

 これまでは接触を最小限に抑えるために別々に摂っていたのを、できるだけ共にするようになった。


 また、屋敷内の雰囲気も変わった。

 ミシェルなど、まだ怒りを燻らせている者も若干いるが、アリスティードとネージュが和解した事は、使用人達にはおおむね好意的に受け取られたためである。

 ナゼールとジャンヌという屋敷内を掻き回した犯罪者の存在も、使用人の態度を軟化させる要因になったのかもしれない。


 彼の丁寧な口調は、ずっと続いている。

 最初はよそよそしく感じられたが、今では丁重に扱ってくれている証なのだと思えた。


 だが、その一方で、ナゼールとジャンヌの行方も、襲撃者の正体もいまだにわかっていない。


 当然そんな状態なので、ネージュもアリスティードも外出は最小限に抑え、どうしても出かけなくてはいけない時は警備を手厚くし、日の高いうちに移動するなど細心の注意を払うように心がけていた。


(……問題は豊穣祈念祭ね)


 ネージュは、目の前の祭礼関連の書類に視線を落とし、小さく息をついた。


 毎年春分の日に行われる豊穣祈念祭は、アルクス教の最も大きな祭礼で、領都に大きな神殿を抱えるレーネ侯爵家においても大切な年中行事である。


 神殿への寄附金の拠出に加えて、神子を出さなければいけないのだ。


 神子役は、神殿のある土地の領主の一族の誰かが務めるのが慣例となっている。

 レーネ侯爵家では長年マルセルが、彼が体調を崩した二年前からはネージュが務めてきた。


 侯爵家との血縁関係がないネージュが神子を務める事には批判があったが、今年はどう考えても引き継ぎが間に合わないので、またネージュがやるしかない。


 それ自体も頭が痛いが、大勢の人が集まる祭礼の日は、どうしたって警備が手薄になる。

 気が重くなって、ネージュは椅子の背もたれに行儀悪くもたれかかった。




   ◆ ◆ ◆




 アリスティードの一日は講義に始まり講義に終わる。

 屋敷に移り住んで四か月が経過した今でも、それは変わっていない。


「ネージュ様!」


 そんな声を耳にしたのは、講義の合間の息抜きに、庭に出ようと思って廊下を歩いていた時だった。


 何事かと思い、声が聞こえてきた部屋のドアを開ける。

 すると、苦しげな表情で床に倒れ込むネージュと、その傍に座り込むミシェルの姿が視界に入ってきた。


「ネージュ!? 何があった!」


 ネージュはお腹を手で押さえている。アリスティードはミシェルに説明を求めた。


「豊穣祈念祭の奉納舞の練習をなさっていたんです。お止めしたんですが日数が残り少ないからと……」


 銃創は肉が抉れるので治りが遅い。ネージュの怪我は、まだ完治していないはずだ。


「少し休めば大丈夫です」


 ネージュは立ち上がろうとする。

 アリスティードはネージュに駆け寄ると、その体を横抱きに抱き上げた。


「アリス様……?」


 ネージュは目を丸くしている。


「医者の許可は?」

「…………」


 気まずそうに目を逸らしたという事は、出ていないか、そもそも聞いていないに違いない。


「日数があまりないんです」


 確かに豊穣祈念祭まで既に一か月を切っている。

 神子の務めは舞の奉納で、今年の神子をネージュが務めると聞いてはいたが、まさかそれがこんな事態に繋がるとは思わなかった。


「お止めしたんですけど、聞いて下さらなかったんです……」


 眉間に皺を寄せつつミシェルに視線を向けると、そんな弁解が返ってきた。

 彼女では立場上、ネージュが頑として譲らなかったらどうする事もできなかったに違いない。


「ネージュは俺が部屋まで運ぶから、ミシェルは医者の手配を」


 アリスティードはミシェルに言いつけると、ネージュを抱えて彼女の部屋へと向かった。




「あの、お手を煩わせて申し訳ありません」


 ベッドまでネージュを運んで丁重に横たえると謝罪された。


「なんでこんな無茶を……」

「そろそろ本腰を入れて練習しないとまずいからです」


 アリスティードはため息をついた。


 祭礼の神子役に限らず、何もかもネージュの手助けがなければ何も出来ない自分が情けない。

 悪女だという先入観を排除してネージュを観察した結果、アリスティードは、どれだけ彼女が自分や侯爵家に尽くしてくれていたかを思い知った。


 不正の気配など一切ない帳簿に、整理整頓された領地に関する資料、不明点が出てきた時にネージュに質問すると、即座に明瞭な回答が返って来る。


 屋敷内の管理も完璧で、特にジャンヌが姿を消してからは、屋敷の空気も使用人の顔つきも変わった。


 アリスティードは乱れたネージュの髪を直してやろうと無意識に手を伸ばし――直前で引っ込めた。

 自分にはそんな資格がないと思ったからだ。


 ナゼールの裏切りが発覚した日から、アリスティードはずっと心の中でネージュに謝り続けている。


 ただ、あの男が顧問弁護士として関わった侯爵家の仕事は、しっかりと処理されていて、特に問題は見つかっていないのは不幸中の幸いと言うべきだろうか。


「神子役を俺がやるのは、今からでは難しいですか?」


 尋ねると、ネージュは頷いた。


「奉納舞以外にも、煩雑な儀式の手順を覚えて頂く必要があるので……。今から引き継ぐのは厳しいと思います。でも、アリス様のお陰で助かっているんですよ。祭礼の運営のお仕事をお任せできますから」


 『アリス様』と彼女に愛称で呼ばれると、それだけで心が浮き立つ。だが、アリスティードは自分の気持ちを戒めた。


 彼女が本当に愛しているのはマルセルだ。アリスティードに好意的なのは、自分を通して祖父を見ているだけなのだから。

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