鼠と猫
ある日、鼠は猫に喰われたのだ。
鼠の死骸を見る誰か、
道端に集る蝿の群衆
猫は鼠の肉片をその口の中の舌でペロリと平らげると
次の獲物へ探しにいく。
鼠は本来隠れて過ごしたい、されども、
隠れるわけにはいかない。
なぜなら、彼にも子供がいるからだ。
お腹を空かせた子鼠がいる。
名前などあるはずがない。
人間の言葉で鼠と規定しているが、
国によって言い方が違うだけで本質は同じだ。
親鼠が死んだことを受けて、兄鼠が、
餌を取りに向かうために外へ出る。
すると、兄鼠が外に出た瞬間に、
何者かの手が襲い、
兄鼠のものだったのだろう血渋きが
舞い落ちる、この花の名前を何と言うか、
血という名前であることは確かだ。
その兄鼠を喰らう猫は臭いを辿ってきた猫だ。
人殺しならぬ鼠殺し、
人間にとっては有りがたくあり、疎ましくもある野良猫は
またもやペロリと平らげて、彼らの住んでいた場所に手をやる。
逃げる子鼠、隠れる子鼠は震え上がる、逃げるために、目線が合う、一人の生命としてではなく、一つのご飯として見ている。
野良猫も仕方がないのだ。
鼠や虫というら嫌われ者を喰らわなければ、己が果ててしまうのみ、食べずに生きるのは神の域だ。人は神の息で想像されているだけで神の域には達しないのだ。猫も同じ、鼠も同じ、喰われてしまう鼠がいれば猫は子鼠をも喰らうのみ。
満足することなく求める猫は、またもや路上へ出ようとして、車に轢かれて果ててしまうのだった。
路上を歩く人間たちは可哀想だと思えども、自身の生活のために見捨てる。そして、世界は今日も機能する。




