『徳永文書』 Part 6
「こういった地方の小さな町は、町民同士のつながりが強固でね。名前を知るという行為は、相手の素性や人となりを知ること。日本的なムラ社会の名残で、コミュニティへ迎え入れることを意味するんだ」
「コミュニティへの、招待……ですか?」
「そうとも。この町の町民にしてみれば、私たちは全員東京から来たよそ者。特に私は官僚の身分のまま逢桜町入りしたから、第一印象は良くないはずだ」
「でしょうね。地方に対する国の政策は現場との温度差が大きく、失敗に終わっているものもありますから」
「そこで、この作戦だ。まずは身近な職員や顔見知りの一般町民と名前で呼び合い、それを耳にしたほかの町民にも人脈を広げて、地域に溶け込んでいく。私が不純な動機で彼女にお願いをしたと思っているなら、その認識は誤りだぞ高野君」
この社会は、常にスケープゴートを求めている。誰か一人を敵に回せば、寄ってたかって名指しで袋叩きにする世の中である。やり場のない怒り、悲しみ、鬱憤が充満する火薬庫のような逢桜町では特にその傾向が顕著だ。
そんな町の公務員として矢面に立ち、名を明かして町民に歩み寄ることは、コミュニケーションの基礎基本でありながら大変な困難を伴う行動であった。
「目的は理解しました。ですが、職位を盾に迫るのは――」
「嫌でなければ、と断った。そして同意を得た。なのにハラスメントだと?」
「ご存知ですか? 圧力をかける人間はみなそう言うんですよ。本っ当に屁理屈が大好きですね、この冷血官僚!」
「あの……高野さん、わたしは本当に自分の意思でお呼びしていますので……」
一行を乗せた公用車は右折し、庁舎裏手の駐車場に入った。磁気嵐警報の解除を受けて、役場に避難していた町民たちが正門から入れ違いに敷地を出てゆく。
「では、車を取ってくるよ。少し待っていてくれないか」
「や、ウチはここまででいいよ。ありがと」
ガレージの一角に車を停め、運転手は後部座席に目を向けた。あれだけ元気だったギャルが、伏し目がちに震えた声で受け答えをしている。
「工藤君? どうした?」
「あのさ、ウチは個人としてのハヤトんが好きだし、信じてるよ。あの良ちゃんがすんなり言うこと聞くくらいだもん、うまくやれてるってことでいいんだよね」
「私はそのつもりだが、当人の認識も同じであれば嬉しい。今日ほどではないにしろ、名選手に無礼を働いていないかどうも気がかりでね」
「そっ、かぁ……」
様子がおかしいと直感した隼人は車を降り、後ろに回ってスライドドアを開けた。その途端、七海が急に飛び出し指揮官の衿元につかみかかる。
反対側の扉から「徳永班長!」と叫んで車内に乗り込み、彼女を引き離そうとする四弦を手で制して、彼は相手の顔をじっと見つめた。
「工藤く――」
「知ってんだぞ! 防衛省とNIA、国家安全保障会議……組織としてのアンタと、アンタ以外のクソ上級国民が良ちゃんに何したか、何もかも全部!」
日本政府と〈モートレス〉対策で手を結んだアステラシア社は、秘密保持契約に従ってこの国の「裏」に触れた。その中には旧内調も関わり、首席情報調査技官が手に入れた最高機密も含まれている。
サッカー界に突如現れた天才、佐々木シャルル良平の素性とその半生。存在しないはずの記録、国がひた隠しにする彼の秘密に、七海は触れてしまったのだ。
「キミは、私が思うよりずっとマジメなんだな。命じたのは〝良平君の妹分になれ〟の一言だけなのに、よくぞこうして彼の身を案じ、自然な怒りを覚えるまでに役作りを仕上げてきた」
「バカにしてんの? 褒めるトコじゃないよ、そこは」
「私も、あの件には強い憤りを覚えたとも。怒り、己の無力を嘆き、そのうえで自分に何ができるかを考えた。その結果がこれだ」
「ナイチョー辞めて全部バラそう、とは思わなかったの? ハヤトんもあんなのおかしいって、異常だってわかってたんでしょ?」
七海の言葉が胸を刺す。入局直後、まだ青かった頃の自分に詰問されているかのようだ。
四弦とマキナは、黙ったまま状況を注視している。隼人は衿を握り締める少女の両手にそっと右手を添えると、諭すように静かな声で言葉を続けた。
「良平君は、私を一定程度信用してくれている。だからこそ、辞めるという選択肢はあり得ない。国に従うことこそが、私の戦いだ」
「でも……っ!」
「人間らしく、破天荒で自由な人生を送ってほしい。今の私は、心からそう願っている。信じてもらえないかもしれないが、私は――」
「班長、そのあたりで。人に聞かれます」
部下の指摘を受け、班長は我に返った。ここは野外、誰がどこで聞き耳を立てているか分からない。
こういった話は、いずれ別の機会に語るべき時が来るだろう。言いたいことを言って多少スッキリしたのか、七海は着物から手を離してニッと笑った。
「あ、そうそう。バイト先が迎えに来てくれたっぽいから、マジで役場解散でいーよ」
「わたしも一緒にとのことですので、こちらで失礼します」
「ん? そうか、わかった。気をつけて帰るんだよ」
いつの間に連絡を取っていたのだろうか。七海の指差したほうに目を向けると、一台の黒いワゴン車がこちらへやってくるところだった。
先にマキナが荷物を手にして車外へ出、七海もあとに続いた。険悪な空気が一転、穏やかに解散できると思った矢先、わずかな街灯の光を吸ってギャルの目が妖しく光る。
「忘れないで。良ちゃんを裏切ったら――アンタら全員、地獄逝きな」
「その予定はないが、肝に銘じておこう」
「よろしい。そんじゃ、ういっちゅによろしく! ばいならー!」
隼人の答えを聞くと、二人の女子高校生は連れ立って迎えの車に乗り込んだ。互いに顔も見えない中、頭を下げた相手の運転手にこちらも黙礼を返す。
ワゴン車のエンジン音が遠ざかると、大人たちは荷物を持って公用車の鍵を返しに役場庁舎へ足を向けた。そのさなか、サムライがふと思い出したようにつぶやく。
「……ういっちゅ?」
「娘さんのあだ名でしょう。初さんだけに」
「さっきは火に油を注ぎそうだから黙っていたが、四十歳に〝ハヤトん〟もだいぶキツいぞ。あのネーミングセンス、どげんかならんね」
「諦めてください班長。彼女は佐々木一族に汚染されています」
「キミは全世界の佐々木さんにケンカを売っているのか?」
オレンジの光に照らされた、職員通用口のガラス戸付近に小さな人影が見えた。夜間窓口から出てきた警備員が見守る中、建物の中から誰かが走り出てくる。
「お父さん、四弦さん! おかえり!」
「初! 無事か、よかった!」
「――はい。ただいま戻りました」
今日もまた、夜がやってくる。星が瞬き始めた春空の下、無事を確かめ喜び合う父と娘の声がこだました。




