Side A - Part 8 陰る太陽、欠けた月
Phase:04 - Side A "Mio"
「た、助けて……助けてくれぇぇぇぇッ!」
背後で、何とも情けない命乞いが聞こえた。葉山先生の声だ。勝手なことして〈エンプレス〉の人質にでも取られたのかな。
振り返ってみると、まさにあたしが予想したとおりの光景が目に飛び込んできた。ただ一つ、意地の悪い笑みを浮かべた犯人の正体を除いては。
「……大家、さん?」
「おっと、動くなよ。俺が人を刺すところなんざ見たかねえだろ?」
羽田正一。りょーちんのサッカー人生に華を添える、恩師にしてライバル。稀代の天才ストライカーを語るうえで、切っても切り離せない大事な存在。
この場にいないはずの人、いつの間にか現れたその人が、果物ナイフを葉山先生の喉元に突きつけ〝天上の青〟を脅していた。
『マスター! あれは――』
「下手な芝居はやめろ、〈エンプレス〉。こういう時、ショウは人質なんか取らない。俺を従わせるなら『てめえの前で首切って死んでやる』ぐらい言わなきゃ」
『……やけに再現度の高いイマジナリー羽田だな』
「ヤンデレっていうか、交渉材料は自分自身っていうか。あいつ、昔からそういう危なっかしいトコあるんだよ」
AIのディープフェイクって、ホントにすごいんだね。大家さんになりきった〈エンプレス〉は、声と顔かたちはもちろん、しゃべり方まで本人と変わりない。
手代木さんの鬼気迫る声で、場の緊張感が一気に高まる。そんな中、ふと〈五葉紋〉の存在を思い出したあたしは、空中に両手で横長の長方形を描いてみた。
すると、手で囲った範囲が薄い青みのかった半透明の仮想スクリーンに変化し、今の状況を記した文がその上にするすると書き連ねられていく。これ、さっき起動に成功して、操作できないままいつの間にか消えてた執筆画面だ。
「ひぃっ! た、助けて……」
「シャルル、お前は俺を見た。俺を羽田正一だと認識した。それが何を意味するか、お前ならもう分かるだろ?」
「――セナ」
『セキュリティレベルA、アンチプログラム〝五里霧中〟の作動を確認。思考阻害プロトコル及び暗示耐性を確立した』
〈エンプレス〉にとって、大家さんは切り札。対外的に最もわかりやすく、つけ入るのも容易いりょーちんの弱みだ。
でも、当の本人はそれも織り込み済みだった。この場の誰よりも大家さんと結びつきが強いからこそ、ダシにされるであろうことを最初から見越している。
「俺がこれから見聞きするおまえの言動は、すべて現実になる。人質を殺すには、おまえの姿をしたモノが危害を加えたって事実さえあればいい」
「そう。そして何より、コイツ自身ができると信じ込んでる。実在しないはずの俺から逃げられないのがその証拠だ」
大家さんを利用し、あまつさえミドルネームで呼んだとなれば、カメラの前では紳士的なりょーちんでも合理的にキレる理由ができる。
言うなれば、富士山の領有権論争で山梨側につくレベルの悪手。逆鱗に触れられた感を出すにはちょうどいい、一発レッドカード案件だ。
『このまま羽田がナイフを引けば、葉山の脳は事実誤認を起こして暴走。細胞が死滅し、まるで切ったように自分で喉を裂いてくれる……と。なるほど、悪辣な女帝様らしいやり方だ』
「ひッ……!?」
「確かに、フランス人は絆を重んじる。血のつながりがなくとも家族になれる。ショウは俺の大事な家族だ。そこまでは正しい」
りょーちんが嗤った。笑うのではなく、嗤った。青い目が鈍く、暗く、光が届かない深海のような色に見える。
「でも――俺、大事なものほど自分の手で壊したくなるんだわ」
りょーちんは右手で銃を構え、ニセ大家さんとの距離を詰める。葉山先生の前でナイフをちらつかせる敵に、恐れや反省の色は見られない。
広場では音と光といろんなものが飛び交い、ボクシング班の男子に右端の頭を潰された人面ムカデが床の上でのたうち回っている。
【ミオちゃん何してんだ 早く入れ】
【もうみんなで中に引きずり込めばよくね?】
【りょーちん(攻)】
【やっぱ天才って頭イカれてるわ】
ドローンは死んだけど、近くにある別のカメラを通じて動画中継が再開したらしい。再び流れ始めた視聴者コメントは、あたしにあと一歩を踏み出すよう迫るものと、一触即発のりょーちんたちを揶揄するものが大半を占めている。
でも、現場では誰も声を上げなかった。鈴歌たちも、ガラス戸の内側で待つ先輩たちも、ただ無言で状況を見守っている。
【中部・西日本大震災と首都直下地震。ともに地震と津波ですべてを失ったふたりは、互いに支え合って生きてきた】
仮想スクリーン上に白い文字が走る。あたしの文体そっくりではあるものの、自分で入力したわけじゃない。ゴーストライターの声なし執筆動画配信を眺めているような感覚だ。
【彼らが出逢ったのは、静岡県富士市だった場所。避難所の片隅で独り震えていた良平は、正一の誘いで類稀なサッカーの才能に目覚める。
だが、天才少年は被災地の混乱に乗じて何者かに連れ去られてしまう。正一は失意のうちに神奈川へ戻るも、のちに意外な形で彼と再会を果たすことになった】
連れ去られ、って……りょーちんは誰かにさらわれたってこと? あたしは率直な疑問を言葉にしようとした。
でも、口は開けるのに声が出ない。しゃべったはずなのに聞こえない。自分だけミュートがかかっているみたいだ。
【羽田家は裕福だった。資産家でありながら、慈善家でもあった。それなのに……否、それゆえか、親族にはたいそう敵が多かった。
首都直下地震で被災し、両親と身体の自由を失い、深刻な女性不信と恐怖症を抱えたお坊ちゃんには途方もない額の遺産が転がり込む。それを巡って一族全体を巻き込んだ泥沼の後見人争いが始まる――はずだった】
ここにある内容はすべて、あたし以外には見えてない。これもまた、小説作中の設定だ。主人公は度々、この能力で意図せず他人の過去や人間関係に触れてしまう。
ああ、なんで思い至らなかったんだろう。主人公役を引き受けたら、あたしにもその力が宿るってことに!
【だが、その財産が負債に転じると分かってから事態は一転。金の卵を奪い合っていた親族たちは、疫病神を押しつけ合う獣の目に変わった。
進学はおろか、最低限の生活さえ危ぶまれる事態となった正一。最後にその手をつかんだのは、この逢桜町で独り慎ましく暮らしていた祖父と――自身の年俸数年分を債権者に叩きつけ、借金を肩代わりした良平であった】
【深く消えない傷を負ったからこそ、ふたりは強く惹かれ合った。欠けた「家族」というピースを求めて、ともに在ることを選んだのだ】
華やかで、いつも明るく輝いていて、太陽を擬人化したような人。したたかで、デキる仕事人で、月のごとく静かな存在感を放つ人。
そんなふたりのイメージが、悲壮なまでの強がりが成す虚像だったことをあたしは知った。




