Side B - Part 2 迫る脅威
Phase:03 - Side B "Kimitaka"
「ひっ……あぁああああッ!」
『何だ、あれは……!』
壁一面に飛び散った、おびただしい量の血。その中心に刺さった椅子の下で、人間の頭と同じぐらいのサイズをした赤黒い物体がうごめいている。
脈打つたびに体液を吐き出し、板張りの床を絶望の色に塗りつぶすそれは――サイズ感こそバグってるけど、紛れもなくヒトの心臓だった。
「う――っぐ、ふ……ッ!」
「よしよし、我慢するな。全部出しちまえ」
視界が揺らぐ。涙がにじむ。前屈みになった身体をりょーちんに抱き留められたその時、抑えきれない感情が胃の中身と一緒に吐き出された。
「なん、で……誰がこんなひどいことを!」
『おそらく、同士討ちか〈五葉紋〉を持った人間だろう。遺留物の鮮度から推測するに、犯人は俺たちがここへ踏み込む直前に行動した可能性が高い』
「踏み込む直前、って――」
マネージャーの推理を聞いて、最推しの顔色が変わった。こいつ、今何つった? りょーちんの目の前で、オレのこと犯人扱いしなかったか?
「……りょーちん?」
「小林、手を見せろ。じっとしてればすぐ終わる」
抵抗する間もなく、りょーちんがオレの両手首をつかむ。痛みを感じるほどの強い握力を加えられ、ちょっとやそっとじゃ振りほどけない。
まさか、マジで犯人かもって疑ってる? 何も分からない、憶えてない。でも、絶対に何もしてない! 本当だ!
「待ってください! 小林くんはあんなことする人じゃありません!」
「離して、りょーちん! 手代木さん! オレじゃないよ、マジで違う!」
川岸の弁護を聞いても、りょーちんは力を緩めてくれない。手代木マネも眉間にシワを寄せている。
客観的に見れば十秒ぐらいだったかな。それでも、憧れ続けた最推しから人の道に外れた疑いをかけられる経験は、オレにとって永遠に等しく拷問のような時間だった。
『――解析完了。小林公望、お前はシロだ』
「小林くん!」
『記憶の混濁は、強い精神的ショックによるものと推察される。衝撃のあまり何も憶えていない、というケースは人間ならままあることだ』
手代木マネの報告に、心配そうだった川岸の表情がふっと和らぐ。それを見たりょーちんはオレの手を離すと、少し距離を取って「荒っぽいやり方して悪かった。本っ当にごめん!」と頭を下げた。
何これ。最推しが……謝ってる? なんでこんなことになってんの?
オレ、サッカー男子日本代表の看板選手にとんでもないことさせてないか!?
「ちょちょちょ、何してるんですか! 頭上げてください!」
「や、きちんと説明もせずホント悪かった。同性でも不同意はレッドカードだわ」
『言い方! 言い方に語弊ありまくりだぞマスター!』
「セナ――俺のマネージャーは、俺の身体を介して触れたものを分析する生体スキャン機能を持つ。要はおまえをウソ発見器にかけたってワケだ」
「りょーちん……」
「ごめんな。ファンの無実を証明してやりたいって思いがつい先走っちまった。セナもきちんと謝れよ、俺にだけ頭下げさせるつもりか?」
そっ……か、そうだったんだ。リップサービスだとしても、最推しがオレのために動いてくれたってだけですげー嬉しい。どんぶりで白米三杯いけるわ。
手代木マネは意に沿わない謝罪を迫られたのが気に食わないらしく、すっげーイヤそうな顔で『……すまない』と不服そうに言ってきた。
「じゃあ、一体誰があんなことを?」
「わからない、そして怪しい。名乗らずに人を助けるだけならまだしも、助けた事実そのものをあやふやにして立ち去る必要があるか?」
あんまり考えたくないけど、オレもりょーちんと同じ意見だ。オレは相手の目的と利害が一致した結果、たまたま殺されなかっただけって可能性が高い。
「じゃあ、これをやったのは敵かもしれないってことですよね」
『仮に命の危険を感じての行動だったとしても、明らかな過剰防衛だ。この一件については、各自心に留めておく必要がありそうだな』
川岸の言葉にそう応じ、手代木マネは指でメガネをずり上げた。不気味なほど静まり返った教室内に緊張が走る。大事な試合前の作戦会議みたいな空気だ。
『結論から言うと、ここは非常に危険だ。避難経路がテラスと階段の二か所に限られ、退路を断たれれば階下へ飛び降りるしかない。そうなる前に、迅速な避難を強く推奨する』
「おおお……パートナーAGIって、そんなことまで言ってくれるんだ!」
「お目当てのコは口が堅いか、ハニートラップ仕掛けてないか――アウェーでお忍び歓楽街歩きをする時の地雷探知機としても使えるぞ」
『そこ、未成年に悪用法を教えるな!』
大人二人がわちゃわちゃしてる間に、川岸が上着のポケットから取り出したハンカチでオレの涙と汚れた口元をぬぐってくれた。その行動に気配りと優しさを感じて、ちょっとドキッとする。
オレとしたことが、カッコ悪いところ見せたうえ後始末までさせちゃったな。今度、新しいの買って返すよ。
「少し、落ち着いた?」
「どうにか。ちょっと楽になったよ、サンキュ」
「小林くんも一緒に避難しよう。大丈夫、あたしたちは――」
「ここでは死なない、死なせない。そういう設定、なんだろ?」
川岸が目を見開く。今朝の話、やっぱマジだったんだな。
あの時も言ったと思うけど、オレは自分が置かれた状況を恨んじゃいない。理不尽に立ち向かわない、変えられない、現実から逃げてばかりの大人に腹が立つんだ。
オレは絶対、あんな大人にはならないと決めた。手近にあった机の脚をつかみ、天板へ手をつき、両腕に力を込める。
高校一年、十五歳にしてちょうど一八〇センチに達したオレの身体は、一度動き出してしまえば思いのほか簡単に立ち上がった。
「ご心配をおかけしました。オレ、もう大丈夫です」
「……おまえ、ホントに高校生? なんかデカくない? デカ過ぎない?」
「りょーちんと五センチしか違いませんよ」
「その差がデカいんだっての! ショウの座高から見上げたらもう巨人だろ」
「ショウ……? 羽田選手のことですね! インターハイ決勝での直接対決、何度も観ました。当時、神奈川最強のドリブラーと呼び声高かったって――」
ハネショーの話題を振ると、りょーちんの顔が少し曇った。 ああ……そうだ。バーチャル世界でコンビを組めても、生身では同じピッチに立てないんだ。
川岸も何か言いたそうな顔をしながら、黙って話を聞いている。ヤバい。オレとしたことが、再会できた嬉しさでりょーちんに無神経なこと言っちまった!
「その……ごめんなさい! オレ――」
「いいよ、あいつはすごかった。ショウは本当にすごい選手だったんだ」
次はなんて言葉をかけるべきか迷っていると、突然明るく場違いな校内放送のチャイムが鳴り響いた。
新たな試合展開の予感に、胸の鼓動が跳ね上がる。次は何が始まるんだ?




