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トワイライト・クライシス  作者: 幸田 績
Phase:02 ガール・ミーツ・ストライカー
45/109

Side A-2 / Part 2 目覚める「異端」

Phase:02 / Side A-2 "Mio"

「川岸さん――川岸、澪」


「はい?」


「死ねぇぇぇぇッ!」



 誰かの悲鳴が、穏やかな空気を切り裂いた。相手が腕を振りかぶったのを見て、あたしはとっさに顔の前へ単行本を掲げて盾にする。

 直後、押しつぶされるような衝撃がソフトカバーのネコ耳美女を貫通し、ひたいを割るギリギリのところで止まった。本で防御しなかったら今頃――って思った瞬間、全身から変な汗がどっと吹き出す。



「きゃあああああああ!」


「うわあぁぁぁぁぁッ! 刺した、刺した!」


「みんな、退がれ! デカい針みたいなの持ってるぞ!」


「誰か、先生呼んで来い! 早く!」



 犯人は舌打ちをして『もろびとこぞりて』を引っつかんだ。爪を立て、本と一緒に握り込まれた右手の痛みに、あたしは思わず顔をしかめる。

 一般的な女の子の握力って、こんなに強かったっけ? それとも、火事場の何とやら? どっちにしろ、この様子は普通じゃない!

 手の中の本越しに、鬼の顔が見えた。目を血走らせ、歯ぎしりをし、煮えたぎる殺意に染まったクラスメイト。これを鬼と言わずして、なんと表現できようか。



「いきなり……何、すんの……っ!」


「よくのうのうと生きてられるね。自分が何したか分かってんの!?」


「いま、初めて話したばかりの人に……刺されるような、こと、は――」


「ふざけるな! 私の人生を踏みにじっておいて、よくも……よくも――!」



 その瞬間、あたしは自分の意識が身体から抜け出すのを感じた。首の後ろから「外」に出て、抜け殻になった自分の頭上から客観的にこの状況を見下ろすイメージが頭に浮かぶ。

 もしかして、これが俗に言う幽体離脱? 初めての感覚に身を任せると、驚くほど頭がスッキリした。異常に研ぎ澄まされた思考が相手の発言を分析し、持てる知識を総動員して、その発言の裏に隠された真意を読み取ろうとしている。



「あたしの小説が世界を変えた。それは誰の目にも明らかな事実。だから、あなたはあたしに人生を狂わされたって言いたいんだね」


「そうだよ、そのとおりだよ! やっと自覚したか、このクソ女――」


「現実を受け入れたくなくて、そんな自分を正当化したくて、何もかも人のせいにする。やっぱりモブはメンタルからして小物だな」


「……は?」



 怒りに燃える相手の顔に、少しずつ別の感情が混ざっていく。教室は静まり返り、同級生たちがさっきまでと明らかに違う目を向けてくる。

 あたしは今、どんな顔でこの論戦(レスバ)に臨んでるんだろう。



「人を呪うにしろ殺すにしろ、下調べは欠かせない。どんなにあたしが腕利きでも、ターゲットを特定できる情報がなければ確実に仕留めるなんて無理」


「な、なに、こいつ……気持ち悪い。頭おかしいんじゃないの!?」


「意味わかる? あたしはあなたの名前を知らない。名前すら知らない人の人生を、どうやったらピンポイントで呪えるっての? 説明してよ」


「あ、あ……っ」


「証明してみせなよ、あたしに人生台無しにされたって。出せるものなら出してみろ。あたしが()()()であなたの不幸を願った、決定的な動かぬ証拠を」



 頭おかしい。気持ち悪い。あなたに限らず、あたしと口ゲンカになった人はみんな最後にそう言うよ。

 でもね、それは違う。自分の弱さ、悔しさ、無力感、都合の悪いものを見たくないだけ。後ろめたさに切り込まれると、みんな論点をすり替え揚げ足を取る。


 あー、つまんな。見苦しいったらありゃしない。

 あの鈴歌と気が合う時点で察しつかないかなあ。()()()()()()()()()



「ほら、反論できない。答えられない。付け焼き刃しか用意してない。そんなクソ脆弱ぜいじゃくな論理で学級裁判ごっこ吹っ掛けてんじゃねえよモブ女!」


「あっ、ああっ……だ、黙れぇぇぇぇ!」



 千枚通しの針には返しがない。力任せに引っ張れば簡単に抜ける。一撃で殺し損ねたらメッタ刺しにすればいい、なんて猟奇的な考えを生む悪魔の武器だ。

 ブチ切れたメガネちゃんが右腕を後ろに引くと、わずかな抵抗を伴って凶器が抜けた。その刹那せつなに小林くんが飛びかかって彼女の腕を捕らえ、ひねり上げてあたしの机に叩きつける。


 弾みで勢いよく振り払われる形になったあたしは、本を手にしたまま別の机に激突して床に倒れ込んだ。

 犯人より自分の心配しろよって話だけど、その子、今ので骨折ってないよね? 大丈夫?



「しまっ……川岸! どうしよう、ごめん!」


「何やってんのコバっち!? っ、この――アンタは武器離せっつってんだろ!」



 工藤さんが、クラスメイトの手から千枚通しを奪い取る。犯人はなおも大声でわめきながらあたしに蹴りを入れようとしたけど、集まった男子たちが総出で彼女の手足を押さえつけ、阻止してくれた。

 ショックで泣き出す女子も出る中、本鈴が鳴って担任登場。最初からおでこに青筋浮いてるっぽいんですけど、どうすんのこれ?



「な……、何をしているんだお前たち! やめないか!」 


「死ねえええええ! 死ねっ、死ねよ川岸澪! 全部お前のせいだ、死んでびろ!」


「っ……ざけんな! どんな動機があったって、それが人を刺していい理由にはなんないだろ!」


「みおりん、先生来たよ! もう大丈夫だから!」



 あれ? 急に意識が遠のいてきた。先生の駆け寄る足音と小林くんの怒号、工藤さんの心配する声が遠くに聞こえる。

 大きなケガはしてないと思うけど、頭打ったかな。ってか、みおりんって誰? 不思議……眠くないのに、目が……閉じ、て――



「川岸? おい、しっかりしろ! 川岸!」



 クラスメイトと担任の先生に見守られながら、あたしは新しい教室のど真ん中で人生初の失神というものを体験した。

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