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トワイライト・クライシス  作者: 幸田 績
Phase:02 ガール・ミーツ・ストライカー
32/109

Side B - Part 1 創作者の矜持

Phase:02 - Side B "Suzuka"

「ちょ、ちょっと鈴歌!」


「東海ステラ所属、フランス生まれ静岡育ち、名の知れたサッカー選手……間違いない。あの男が〝りょーちん〟だ」



 映像を見た瞬間、心の中に立ち込めていた霧がさあっと晴れた気がした。私と奴は確かにあの日、あの時、あの場所で出逢い共闘している。

 強引に家から連れ出される形となった澪は困惑した表情を浮かべつつ、屋根のついた駐輪場から自転車を引き出した。淡いメタリックピンクの車体が朝日を反射し、キラキラとまぶしい光を放つ。



「まさか、今から捜しに行くつもりじゃないでしょうね」


「対〈特定災害〉特措法第六条の二の規定によれば、身体に〈五葉紋〉が現れた者は七日間の外出猶予が与えられたのち、町内へ身柄を移されることになっている。()()()()()()()が法律で義務づけられた、とも言い換えられるな」


「移住が、義務に……」


「たい焼き男は、皆の前で手足に紋を受けた。静岡には帰れない。なら、町内をくまなく捜せば必ずどこかで逢えるはずだ。違うか?」



 私がそう問いかけると、幼なじみの腕がびくりと跳ねた。つかんだ部分から筋肉のこわばり、急激な発汗によって放出された熱の滞留が伝わってくる。

 嘘をついたり、相手の発言が図星だった時、澪の身体は決まってこういう反応を見せるのだ。私が気づいていないとでも? 危機管理が甘いな。実に甘い。



「私があの日、澪の存在を口にしたことで()()()()が始まった。澪やおじさん、おばさんには大変な迷惑をかけたと思っている」


「鈴歌のせいじゃないよ。()()()()()()()()()()()の」


「くじ引き首相が関連法の整備を急ぎ、澪と私の一家を緊急保護に値する証人に指定してくれたおかげで、表向き追及は止んだが……」



 ざあっ、と音を立てて私たちの間を春風が吹き抜け、近所に植えられた葉桜の赤茶けた枝を揺らす。明るい茶色をした澪の瞳が潤んで見えた。



「世界を変えたのがあたしなら、解決できるのもあたしのはず。主人公が小説として書き起こした内容が、MRを介して現実になる設定だから」


「〈エンプレス〉が澪の小説を現実世界に再現した。その前提条件が真であり、奴自身も作中の登場人物として明確な描写があるなら、焦る必要はない。敵はシナリオに沿った動きしかできないからな」


「……そう、だね。理論上はそう」


「では、何を迷う必要がある? 小説など、生きてさえいればまた書ける。今から一気にたたみ掛けて完結させれば、世界は元どおりになるんだろう?」



 思えば、澪の文才は小学生の頃から異彩を放っていた。

 タスク管理の苦手な彼女は、夏休み最終日の夜になってから読書感想文の課題本を拾い読み。そこから「それっぽいことを適当に書いただけ」の原稿が学年代表になり、地区コンクールで入選した。

 中学校に上がってからも国語の課題、短歌や俳句のゴーストライターを頼まれること数知れず。クラスメイトの秀作として文集に載った作品のいくつかは、澪が提供したボツ案だった。


 それから……ちょうど『トワイライト・クライシス』を書き始めた頃、国語教師から文学賞への応募を勧められたという。気恥ずかしさか、謙遜けんそんからか、出さずに終わったようだがな。



「それでもあたしは、書くからには自分史上最高に面白いものを書き上げたい。でも、続きを書けば誰かが死ぬ。書かなくても、筋書きにない誰かが殺される」



 私が名を明かしたこともあり、周囲はすぐ「あいつが原作者だ」と感づいた。

 だが――情けをかけたのか、誹謗ひぼう中傷に対する報いが厳罰化されたからか、面と向かって澪を糾弾きゅうだんする者はない。



「何が筆を止める? どう転んでも現実で人が死ぬ、そのことを気にしているのか? どうしても代償が要るなら、最小の損失でクリアする筋書きを考えろ」


「違う、違うよ鈴歌。そういう問題じゃない」


「プロの作家でもないのに、なぜそこまで内容にこだわる? 創作者のプライドというやつか? 冷静に考えろ。私たちの未来と自分の作品と、どっちが大事か」


「みんな理解できないだろうし、自分でもバカみたいって思う。だけど……それじゃあたしがあたしを許せない。リアルまでご都合主義とかクソ喰らえ」


「澪」


「そのくだらない物書き魂が、駄作で終わらせるなって叫んでるんだ!」



 澪は私の両肩をつかみ、すごい剣幕で詰め寄った。あたしはどうすればいい? と、涙にゆがんだ瞳が問いかけてくる。

 ありったけの「好き」を詰め込んだ作品をけがされた。望まぬ形で世に広められた。それが彼女にとって何を意味するのか、私には理解できない。


 いや……すまない、今の発言には語弊があったな。何というか、こう……苦しみという感覚・感情は味わった本人にしか分からない。そう言いたかったんだ。

 澪が傷ついているのは私にも分かるが、本人でない以上、心の痛みと傷の深さはどこまで行っても推測の域を出ない。百パーセントの理解などあり得ないし、分かろうとするなどおこがましい。

 だから、私からは何も言えない。私から何か言うべきではない。沈黙をもって見守ることこそが最善の道であると――そう、思っていた。



「あたしは〝神〟になんてなりたくなかった!」



 肩を震わせて発した一言。そこに、澪が抱く想いのすべてが詰まっているような気がした。

 創作者としての譲れない矜持きょうじ。たとえ趣味の域を出なくとも、自身の心血と情熱を注ぐにあたり、絶対に妥協できないもの。

 たくさんの命を助ける代わりに、自作を台無しにする葛藤。彼女があがけばあがくほど、大勢の血が流れる罪悪感。十六歳が独りで抱えられる重荷ではない。


 そう考えているうちに、私の中で絶対的であったはずの解が揺らいだ。そうか……澪は今、この答えのない問いに挑んでいるのだ。

 人より先んじたこの頭脳あたま、今使わずしていつ使えというのか。私は天才、水原鈴歌。唯一の友を苦しめるものは、私が許さない――!



「なら、納得のいく形で終わらせよう。この物語を、私たちの手で」


「……すず、か?」



 気がつくと、身体が勝手に動いていた。熱を帯びた腕を引き寄せ、澪を強く抱きしめる。自転車をひっくり返したことについては、あとで謝るとしよう。



「続きを書け。何年かかろうと、澪の書きたいように書くんだ。どんな結末でも、世界を敵に回しても、私は澪の味方をする。だから、その手で未来を創れ」


「未来を、創る――」


「物語が現実に影響を及ぼすんだったな。だったら、まずは()()()()。私を登場人物と規定してくれれば、一緒にシナリオを書き換えられる。だから――!」



 力なく垂れていた澪の両腕が私の背中に回り、後ろできゅっと結ばれる。数十秒ほど沈黙が流れた後、原作者は意を決した様子で口を開いた。

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