Side A - Part 5 壊れた世界
Phase:02 - Side A "Mio"
『次は特集です。二〇××年三月二十七日、宮城県逢桜町で発生した大規模サイバーテロ〈黄昏の危機〉事件。政府の緊急事態宣言によって町が封鎖されてから、丸一年が経ちました』
「早いなあ。もうそんなになるんだ」
お父さんは玉子焼きに箸を伸ばし、ぽつりとそうつぶやいた。半透明の画面には女性キャスターが映し出され、真剣な表情でこの町の現状を伝えている。
大人たちには申し訳ないけど、身の危険を感じたことがないからか、これだけ大々的に報道されてもあたしには今ひとつ実感が湧かない。ずっと覚めない夢の中にいるような感じだ。
『町内では、日没が近づくと怪物化した人間が現れ、無差別に町民を襲う事件が多発しています。国や宮城県、逢桜町はこれを〈特定災害〉と呼び、被害を減らそうと様々な対策を講じてきました。
事件後、テロ事件の主犯格で〈特定災害〉の発生にも関与したとみられる完全自律型AI〈エンプレス〉は消息を絶ち、国際的なホワイトハッカー集団がその痕跡をたどっていますが……』
【限りなく無理ゲーに近いっスね(日本人メンバー NAO氏)】
『NAO氏によりますと、いくつものサーバーを経由し複雑に入り組んだ通信経路には無数の罠が仕込まれているということです。IPアドレス偽装、意図的に残されたとみられるバグやマルウェア。並大抵の知識と技術では回避できません。
さらには、通信の暗号化において未知のプロトコルが使われていたことが判明するなど、数々の障害が調査を妨げています』
画面が切り替わり、今度はスーツを着た男の人が現れた。事件のあと、逃げるように辞めた前任者から代打を押しつけられ、自身を〝くじ引きおじさん〟と称してネットミームになった人だ。
国を揺るがす大事件を前に誰も責任を負いたがらない中、史上最年少の四十代で担ぎ上げられた総理大臣は「うわ~、マジだりぃ」って顔でカメラの前に立っている。
『政府はこの一年、国家安全保障上の懸念を理由として、事件に関する説明を拒否。固く口を閉ざしてきました。
ところが先日、小野瀬首相は一転して情報公開の範囲を見直したとし、一部の情報を開示すると表明。官邸で臨時記者会見を行いました』
去年のあたしは、何もかもが最後だった。体育祭、文化祭、修学旅行に高校受験……イベント尽くしで話題に事欠かない、中学校生活で一番濃厚な充実した一年を経験するはずだった。
それなのに、あたしの記憶はどうしてこんなに薄味なんだろう。
『わが国のNSC、国家安全保障会議は当該事案に対し、対〈特定災害〉特別措置法――〈特定災害〉特措法に基づく緊急事態を宣言しました。
発災から七日間の避難猶予期間を設けたのち、逢桜町の町境は封鎖。現在、町への立ち入りには事前に許可申請が必要で、土日祝日に限り認められています。
また、事件当時町内におられた国民の皆さん、及び外国人観光客のうち一部の方々については、特措法に基づき町内にとどまっていただいております。詳細につきましては、この場での回答は差し控えさせていただきます』
くじ引きおじさんの会見を聞いて、あたしは高校受験前最後の授業で社会の先生から事件の顛末として聞いた話を思い出した。
あの日、ちょうど国会では「サイバーテロ対策特別措置法」って法律の是非について、賛成・反対両方の立場から激しい議論が行われていたらしい。
ところが、いよいよ採決って時に〈エンプレス〉が議事堂内のモニターと全議員の〈Psychic〉をジャックし、犯行声明を突きつけたからさあ大変!
内閣府の官僚と自衛官、国民的人気のサッカー選手、多数の一般人が巻き込まれ、法律を作るより先にAIと全面戦争する流れになってしまった。
そりゃあ、前の首相も辞めちゃうわけだよ。始まる前から終わってんだもん。
『このままでは、わが国は人工知能の奴隷になってしまう。サイバーテロ対策特措法は、まさしくこうした危機に対抗するための法律ではありませんか!』
『私は反対だ。こんなブラックボックス認められるか!』
『本来なら、即座に警察や自衛隊を投入すべき案件です。しかし、今は情報が圧倒的に足りない。未知の敵と接触した人々は有識者、貴重な防衛力と考えるべきです』
くじ引きおじさんは当時、与党のヒラ国会議員だった。アンドロイドの開発で名を上げたベンチャー企業の元CEOで、議員としての経験は浅いながらも、IT系の会議で意見を求められるほどの知見があったみたい。
だから、この時の逢桜がどれだけヤバかったのか、この人は正しく理解してた。
これが〝終わりの始まり〟だってわかってたから、どんなに叩かれても退かなかったんだ。
『議長! 小野瀬議員の妄言を止めてください!』
『総理。今、我々がすべきことは何とお考えですか? 政府によるバックアップ、素人にも扱える防災グッズ。法と常識を超えた権限も視野に入れるべきです』
『ふざけるな! 一般人に超法規的措置を適用しろというのか!』
『これは戦争です。AIと、我々人間とのね。これまでのやり方が通じない相手に、これまでと同じ対処法ではいけません。絶対にいけません』
『し、しかしだね小野瀬くん……』
『あなた方は今、一刻を争う事態だというのが分からないのか! 疑念がある点は後日改正し、附則で補う! 本法案は! この場で! 直ちに成立させるべきです!』
ウソみたいな話だけど、この説得がダメ押しになって議員たちは一致団結。
偶然にもあのサムライが「霞が関から来た死神」を自称したのと同じ頃、日本史上最もガバガバな法律は〝対〈特定災害〉特別措置法〟と名前を変えて成立。その日から効力を発揮した。
――この法律が、個人の人生をも変えてしまうことになるなんて。ようやく混乱を抜け出しても、逢桜町には厳しい現実と大きな絶望が待ち受けてたんだ。




