Side B - Part 8 手を離す勇気
Phase:04 - Side C "Mio"
(! なんで――)
あの事件が起きて以来、原稿をしたためた電子ファイルはずっと放置してたはず。その証拠に、ファイルの最終更新日時は事件当日の朝になっていた。
それなのに、どうして今この瞬間まで書かれてるの? 知らない間に〈Psychic〉へ不正アクセスされて、原稿の情報いじられた?
「――澪?」
(いや……あたしの構想だと、この時点ではまだ犯人が伏せられてるんだった。トリックも不明だし、深く考えてもしょうがない)
「澪、どうした?」
(この原稿、自分で書いた覚えはないけど完成度高いなあ。ちょっと体裁整えたら連載再開できるかも。やるか、あたし? やっちゃうか?)
鈴歌……ごめん。悪いけど、少し集中させてくれる? 状況を理解したところで、ひとつ試したいことができたんだ。
プロットはいわば小説の企画書、設計図のようなものだから、内容の変更は珍しくない。これまでに現実と化した部分が必ずしもあたしの考えどおりに進まなかったのは、まだ文章化してなくて不確定要素が多かったからだと思う。
なら――この先の展開が、すでに決まっていた場合は? 作者が先回りして小説を書き、現実を予言したら未来はどうなるんだろう。
あたしの公式見解は、この物語にどこまで口を出せる?
「アレだよ、神が降りてきた~! ってやつ。クリエイターにとっちゃ持病の発作みたいなモンだ、放っといても死なねえから心配すんな」
「だが――」
「自転車に乗る時の練習と同じだ。頼りないからこそ信じてやれ。頑張り時には手を離して、背中を見守る勇気も必要だぞ」
大家さんは鈴歌にそう言って、車の外に目をやった。その脳裏にいるであろう人物の目と同じ色の青い空に、綿あめのような白い雲が浮かんでいる。
小林くん情報によれば、かつて「大家さんと」サッカーをするのが好きだったりょーちんにプロ入りを決意させたのは、他ならぬこの人だったそうだ。
里親をあてがい、身分と衣食住を保証する代わりに静岡へ来いと言われたりょーちんは、スカウトされて喜ぶどころか大泣きして嫌がった。仲良しの大家さんと離ればなれになるのがつらかったんだろうね。
そしたら、それを知った大家さんは「どこへでも勝手に行っちまえ!」って、相棒を冷たく突き放したらしいんだ。
「シャルルも時々『あーっ、待って! 今、すっげーいいネタ閃いた!』とかほざいて、俺の介助手抜きしやがるから気持ちは分かる」
「え? あの人、新作書いてるんですか? まさか『もろびと2』!?」
「サッカーに見開き一ページ費やす地元の新聞でコラムの連載持ってるらしいから、その原稿でも書いてんだろ。知らんけど」
「大林が喜びそうな新情報だな。いや、奴ならすでに知ってるか?」
「いっつも俺を巻き添えにしやがって、サドか? ドSか? どう見てもオラオラ系の攻め一辺倒だな、あのおフランスたい焼き野郎!」
りょーちんについて語る時の大家さんは、すごく優しい目をしている。キツい言葉も悪態も、幼なじみの才能を一番近くで見てきたからこそ、自分のせいでその歩みを止めたくないって思いの裏返しなんだろうな。
本当は、あなたも一緒について行きたかったんですよね。ふたりでいるのが当たり前で、かけがえのない時間だったから。
(……あたしも、鈴歌がつくばに行くって聞いた時、同じことを考えた。そんな簡単にあたしのこと置いてけるんだ、って。そんなはずないのにね)
けれど、現実は残酷だ。りょーちんは天才、自分は凡人。どれだけ頑張っても、同じ高みには至れない。ましてや、立つことすらおぼつかないこの脚では――。
大家さんにとってはこの上なく悔しい反面、出逢った瞬間からなんとなく予期していた結末だったのかもしれない。
『別れの日、ハネショーは見送りに来なかった。けど、りょーちんを乗せた新幹線が新横浜駅を出る頃、高架橋が見えるどっかの場所にはいたらしい』
『そうなの? 小林くんって、大……羽田選手にも詳しいんだね』
『警笛を鳴らしながら富士山の方角に向かう列車を見つけた途端、あの人はその場で大号泣したんだとか。元じいやさんがそう証言してる』
『じいや!? リアルじいやが家にいたの!? ガチのお坊ちゃんじゃん!』
『親父さんは長距離トラックの運転手、ママがエグい年収の不動産女王だったんだって。ぐすっ……別れまでエモいとか反則だろ、涙腺崩壊罪!』
離ればなれになったふたりは、高校生になって再会。首都直下地震からの「ブルーペナント事件」で一度絶交したけど、今はまたひとつ屋根の下で暮らしてる。
神様に愛された天才と、天才に愛された凡才……か。あたしと鈴歌もいつまでも、ふたりみたいにつかず離れずのいい関係でありたいな。
「おい、お前。悠長に俺の話聞いてる場合か? ここでやることがあるんだろ」
「は、はい。そうでした……!」
「俺はしばらく黙ってる。アンリは空気読まずにしゃべるかもだが、鳥頭だから諦めろ。なるべく気を引いてはみる」
「リョーチン、遅イネー。タイ焼キイエ――イ!」
「だから召喚呪文叫ぶなって!」
きっと、鈴歌は色々言いたいことがあったと思う。でも、珍しくそれをうなぎパイと一緒に飲み込んでくれたこの子の気遣いに、今は感謝したい。
来た。見えちゃったんだ、このあとの展開が。現実にどこまで、どんな形で反映されるかはわからないけど、作者的に花丸のシナリオが!
(書く。書け。会心の一文を、この手で紡げ――!)
小説は、心の叫びをカタチにする手段だとあたしは思う。一度目を閉じ、ゆっくりと目を開けて〈Psychic〉の仮想キーボードに触れると、頭の中で渦を巻いてた構想がするすると指先まで下りてきた。
情熱に任せ、湧き出る言葉を原稿用紙に書きつける。やがてアンリくんも無言になり、広場には川の流れる音だけが響いた。
『たい焼き焼けた、焼けたった~。りょーちんがご注文の品の焼き上がりをお知らせするぞ。冷めないうちに取りに来てくれよ!』
「おいてめえ、俺に薄皮粒あんのヌシ一匹献上する話だったろ。どうなってんだ」
「大家さん、これ録音です、録音! あたしが伝言しておきますからー!」
それから二十分くらい経ったかな。りょーちんの声で呼び出しの〈テレパス〉が飛んできたのを合図に、あたしは原稿ファイルを閉じた。
まだ未完成だけど、目指すものは見えた。あとはひたすら突っ走るだけ! 鈴歌と一緒にキッチンカーへ向かう足取りは、来た時より少し軽くなっていた。




