Side B - Part 1 週末がやってきた!
Phase:05 - Side B "Mio"
現在時刻、午前九時半。土曜日なのに仕事があるって出かけたお父さんと、シャンプーしたはいいものの生乾きでやむなくお留守番させたルナールを除き、あたしとお母さんは鈴歌ん家の車で逢川上流にある河川公園にやってきた。
「じゃ、母さんたちは宅配便の引き取りで管理棟に行ってくるから」
「はいはい。んじゃ、あたしは鈴歌とイベント広場行ってる。静岡からたい焼き屋さんが来てるんだって」
「ふーん。あの【たい焼き みゆき】ってのぼり立ってるやつ? あとで事後精算するから、アタシらの分も鈴歌ちゃんと選んで買っといてよ」
学校の西側から川沿いに広がるこのエリアは、逢桜町屈指の住宅街。近所に県営住宅やマンションが立ち並んでいたり、運転免許センターがあったりして、比較的人口密度の高い地域だ。
そこに近年オープンしたのが〝あさくらスパーク〟の愛称で知られる複合スポーツパーク。近くにカフェやデイキャンプ場も併設されてて、前は町外からも人がいっぱい来てた人気施設なんだよ。
「いやいや流華さん、ごちそうになるわけには……」
「遠慮しないで、梓先生! そういうわけだからよろしく、澪」
「やだよ、めんどくさい。お母さん、何買ったって文句言うじゃん」
「たい焼きでしょ? 変わり種じゃなければ食べるし、そんな高いモンじゃないって。一徹の分も含めて合計四匹、つべこべ言わずに買ってこいや」
キッチンカーが出店するのは、その一角にあるイベント広場。人も物資もたくさん入ってくる週末ならではの楽しみだから、開店前から行列必至だ。
鈴歌ママの説得もむなしく、お母さんはあたしに無理やりお使いを頼んで駐車場隣の管理棟に向かっていった。
「行ってしまったな。こうなれば言うとおりにするしかあるまい」
「このクソババア、あとで後悔すんなよ! いーだ!」
ケラケラと笑うその背中に歯を剥いて、あたしと鈴歌もイベント広場に足を向けた。
原作小説では、ここで主人公による解説を挟むつもりだったんだよね。あたしも道すがら町の現状を整理しておこうっと。
今の逢桜町は、対〈特定災害〉特別措置法による緊急事態宣言を根拠として、日本政府が町境を封鎖し自由な往来を禁じている。
――と聞けば、町外の人は道路を巨大なバリケードがふさいでて、人っ子一人いないゴーストタウン的なイメージを思い浮かべちゃうよね、きっと。
でも、実態はまったく違う。実際住んでるあたしたちからすれば、開かれたまま閉ざされてるって表現のほうがより近い。
「おはようございます! 〝たい焼き みゆき〟十時から焼き始めます。ご注文がお決まりの方は、あちらの列にお並びください!」
『焼けたら四分の一でりょーちん、外れても富士市名物・佐々木四兄弟の誰かからイケメンボイスの〈テレパス〉がかかってくるぞ。乞うご期待』
「録音だけどな」
「しーっ、そーいうこと言わない! ファン幻滅発言罪!」
かつて、江戸時代に宿場町として栄えた逢桜町は、現在も交通の要所になっている。首都圏と仙台をつなぐ国道四号線や主要な県道が通っているから、その沿道は人も車の通りも多い。
そんなバイパス道路を封鎖したら、交通が大混乱するでしょ? だから、実際にはどこの道も物理的にふさがれてない。町内に留まらず「通過する人」に対しては、二十四時間開かれてるんだ。
「あわわわわ、良平くんがついに手ずからたい焼きを……!」
「落ち着きなさい、開店前からそんな調子では心臓が保ちませんよ。オーダーはわたくしたちが整理しますから、良平さんとお義兄さんは開店準備に集中なさって」
え? じゃあ、なんで「閉ざされてる」って表現を使ったのかって?
一般的な「陸の孤島」っていうのは、その地域から脱出不可能な状況を指すよね。人里離れた山中のロッジが猛吹雪に見舞われるとか、町の外が終わった世界になってるとかでさ。
物理的に脱出する方法があるのに、あたしはあえて『トワイライト・クライシス』をクローズド・サークルの物語として描いた。
その理由は――〈五葉紋〉を持つ人が町を出ようとすると、心理的な妨害を加えて強制的に脱出を阻止するシステムが町じゅうをカバーしているからだ。
「あっ、そこ! 勝手に写真撮るな、SNS上げるな! 『りょーちんしか勝たん』じゃなーい!」
「この待機人数はさすがにまずいわよ、リョウ。いったん受注を止めましょう」
「うわぁ~お。良ちゃん親衛隊勢揃いとか、圧強すぎて草枯れるわ」
『七海、待機列の整理サボらない。りょーへーも何とか言ってやって』
事件のあと、町は混乱に乗じて情報通信網を整備。〈Psychic〉、スマートフォン、防災無線とその他あらゆる通信機器や公共の電波を通じて、町内にいるすべての人間の思考へ干渉できる下地を整えた。
その結果、〈五葉紋〉があるのに脱走しようとする町民は、位置情報衛星と連携したAIに自動で追跡されるようになってさ。最初は放任されてるけど、いざ町境にたどり着くと「脳と身体の連携を解除する」洗脳プログラムが発動。外に出よう、出たいと願う気持ちはあるのに、その場から動けなくなってしまうんだ。
「これより修羅場を開始する。フルスロットルでいくぞ、良平!」
「おうよ、修ちゃん。俺に任せな!」
外へ続く道に検問はない。走り出したい衝動に駆られる。ここを越えたい、越えなきゃいけない。なのに……どうしても、越えられない。
足が動かない、動かせない。最後の一歩が踏み出せない。あたしたち町民の前には限りなく透明な不可視の壁があって、思考干渉を受けている限りそれを破ることは叶わない。あたしは、この町を取り巻く世界をそういうふうに創った。
この絶望感と閉塞感に、絶えず苛まれ続けてはや一年。
今さら逃げ出そうとする人なんて、いると思う?
「とは言ったものの……セナ、電子オーダーの件数表示バグってない?」
『残念だが至って正常だぞマスター』
「これだけ大量の注文が入ると、みんなが休憩を取れなくなってしまうな。七星さん、最後尾にあと二、三人くらい並んだら【受注停止】のプラカード挙げて」
『嬉しい悲鳴。しゅーへーも頑張って』
――って、そうだ! あたしたち、たい焼き買いに来たんじゃん! 今、売れすぎて受注停止って言ってなかった?
しかも、なんかやたらりょーちんの名前を呼ぶ女性の声を聞いたような……
「あっれぇ~? そこにいるのはみおりんとリンちゃん!」
「工藤さん!」
「ウチのたい焼き食ってかない? 今ならラスト二枠空いてるぜっ」
ギリギリで列の最後尾に滑り込んだ客にナンパみたいな声掛けをして、陽気な金髪赤メッシュギャルがにっと笑う。
工藤さんのおかげで、あたしたちはどうにか無事にたい焼きを買う権利を手にしたのだった。




