Side A - Part 4 チャライカーとチョロナール
Phase:05 - Side A "Suzuka"
「へ~。おまえ、ベルナルドってのか」
「ワンワンッ! ワン! 【やい! なんだおまえー!】」
想像力と〈Psychic〉、イマーシブMRの三重奏によって精巧に再現されたスタジアムが消え、河川敷は元の平穏さを取り戻した。
堤防の傾斜を利用して、奥行を広く取り階段状に整備された桜まつりメイン会場の花見席。その一角に腰を下ろしたチャライカーは、大型犬に吠えかかられてもまったく動じない。
それどころかベルナルドと目線を合わせ、匂いを嗅がせようと鼻先に手を近づけ、噛まれるか避けるかのチキンレースに興じる始末である。
「こら、ルナール! ……あ、普段はルナールって呼んでます。あたしが本名をベルナールだと勘違いしてつけたあだ名ですけど、本犬が気に入ってるっぽくて」
「いい名前だな、どっちもカッコ良いじゃん。俺は〝りょーちん〟だ。よろしくな、ルナール!」
「ウ~……【イーヤーでーすー!】」
(犬にはそもそも本名を教えないのか……)
たい焼き男は仕事着の投影をやめて私服に切り替え、白いショートパンツのポケットからサングラスを取り出して身にまとった。
人形のような青い瞳を紫外線から守るためだろうが、ツーブロックも相まって人相が格段に悪くなるな。
「こっちはセナ。俺のマネージャーだ」
【ん? なにそれ、おもちゃ?】
『違う! アンリといいこの犬といい、なんでいつもペットの遊び道具扱いされるんだ俺は!』
「サイズ感の問題だろ。知らんけど」
肌も同様に、佐々木のそれは日本人離れした色白だ。欧米人の血を引くからだとしても、年中直射日光にさらされている人間にしては白すぎる。
一体、どんな手入れをしているんだ? 世の女たちは私と同じ疑問を持たないのだろうか。皆、お前の美容法を喉から手が出るほど知りたがるだろうに。
あと……らしくないといえば、奴のTシャツ。黒地に白の行書体で【静岡人】と縦書きされた、意味は分からないけど漢字・イズ・クール! と思ってる外国人が好んで着そうな柄だ。
やはり、この男もフランス人だったということか。中学校のジャージを着ている私が言うのも何だが、ファッションセンスが謎すぎる。
「そういえば、ベルナルドがコッコちゃんの次に遊びたがる引っ張りっこ用ロープ。あれがちょうど手代木さんの身長と同じくらいの長さだな」
「いやいや鈴歌……あ、確かに。言われてみればそうかも」
『納得するな人間ども、俺を護れー!』
ひと通り自己紹介を済ませると、澪が「よければ、散歩させてみませんか?」と愛犬につないだリードをチャライカーに勧めた。
何を言っている? ベルナルドは臆病すぎるあまり買い手がつかなかったほどのチキンだぞ。尻尾を振ってはいるがこれは強がり、虚勢を張っているんだ。
やめろ、澪。そんなことをすれば、お前の家族は――
「ははは、そう引っ張るなって! 結構ヤンチャだな、おまえ」
「ワンッ、ワン!【だって楽しいんだも~ん!】」
ああ……そうだった。ベルナルドはこういう奴だった……。
たい焼き男を警戒していたのは最初だけ。恐る恐るその手に鼻先を近づけ、匂いをインプットした瞬間に距離感という概念は消え去った。
主人である澪に危害を加えられるおそれがないと分かると、即刻地面に仰向けで寝転び、長く白い毛でふかふかの腹を見せて撫でろアピールを繰り出したのだ。
チョロい、チョロすぎるぞこの駄犬。今日からチョロナールと呼んでやろう。
「すごい、ルナールがあっという間に懐いちゃった」
「〝わんドロイド〟って知ってる? 最近話題の犬型ロボット。ステラのオーナーがあれの開発者でさ。デモ機を飼ってたことがあるんだ」
「知ってます! 猫型の〝にゃんドロイド〟も可愛いですよね。そっか、だから犬の扱い慣れてるんだ。ちなみに犬種は……」
「サモエド」
「えーっ、可愛い! 絶対可愛い! ちなみに、写真とか動画は――あるんですか!? 見たーい!」
(……そして飼い主もチョロすぎる)
ウキウキの大型犬を先頭に、リードを持った男とマネージャーが続く。私たちもその横に並び、折り返し地点の八十橋を目指して河川敷を歩いた。
道中、チョロナールがひらひらと舞うモンシロチョウに興味を示し駆け出そうとしたが、そこは現役アスリート。澪や私なら為す術なく引きずられていくところを、たい焼き男は屈強な体幹と腕力でビクともせずに犬を引き戻した。
「おおー、すげー力! 高校生の頃、女のコと一緒に下校したのが先輩にバレて、四トントラック引かされた時の感覚思い出したわ」
「高校時代から何やってんのりょーちん!?」
「いやいや、仲良しグループで帰っただけよ。会話内容も『今日の抜き打ちテスト難しかったな』『今度の試合、観に来てくれる?』な~んて健全そのものだったのに、選手寮へ戻るなりマテさんことマテルノ先輩にシメられてさあ」
『ソウデスカー。ちなみに良平さん、そのグループの男女比おいくつ?』
「女子五人に俺一人」
『それでよく怒られないと思ったな!』
――とまあ、不毛な内容のほうが多かった気がするが、たい焼き男との会話では気になる情報を得ることができた。その一部をここで紹介しよう。
「たい焼きッチンカー? 知ってる。あれ、俺の実家」
「ほぇ~。りょーちんの……はいぃぃぃぃぃ!?」
「整備頼んでた福祉車両とバイクの納車がてら、下の兄貴が来てくれることになってさ。俺も少しだけ店に立つんだ。楽しみだな~!」
「兄? 下ということは、上にもう一人いるのか?」
「佐々木家は、養子の俺含めて四兄弟。一番上が航平、二番目が修平。三男が俺で、下に竜平って弟がいるんだ」
注目すべきは、たい焼き男のこの発言。奴が天涯孤独であったことを裏付ける証言が、本人の口から出たわけだ。
この男の来歴は「フランス生まれ」から始まるが、詳細な出生地は不明。さらに「静岡県富士市育ち」以後――そこで五歳を迎え、震災ですべてを失うまでの話がすっぽり抜け落ちている。そんなことが本当にあり得るのか?
(この男……何か重要なことを隠しているな)
そんな確信めいた推論が頭に浮かんだまさにその時、頭上から車の警笛に続いて「良平く~ん!」と女の声が降ってきた。
見ると、堤防の上に黄色い軽自動車が停まっている。たい焼き男は左手を挙げて応じると、澪にベルナルドのリードを返して花見席端の階段に向かった。
「おっと、お迎えだ。ショウも起きてくる時間だし、俺たちはこの辺で」
「ん? なぜそこで大家の名が出てくるんだ」
「あれ? 言ってなかったっけ。俺、あいつと一緒に住んでんの」
「えええええええ――!?」
「じゃあな二人とも、河川公園でまた会おう! ルナールも、またな!」
チャライカーと手代木さんはダッシュで堤防を駆け上がると、私たちに追及の余地を与えず車に乗り込み、嵐のように去っていった。
辺りはすっかり明るくなり、太陽の光が週末の街を照らしている。まるで希望をたたえているかのように、逢川の水面がキラキラと輝いて見えた。




