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終末の異世界紀行  作者: 佐倉美羽
『妖精の国』

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最終話 英雄

「天満月の日、私が種を拝領することになっています。その時に、お連れします」


 エルファレナはそう言った。闇夜に紛れて森を抜ける逃亡計画。拝領の儀、つまり“お役目中”は人払いがされるため、絶好の機会。人間と言えども命。こんなことは間違っている。その言葉にリュウジがどれほど救われたことか。


 次に天満月が昇るのは一か月後ほど。エルファレナは計画のために距離を取り、リュウジは独りになってしまった。


「エルファレナが助けてくれる」


 日に日に、香が濃くなる。一日で相手をする妖精の数が増えて、その度に自分を見失いかける。しかし、リュウジはその言葉だけを頭の中で抱きしめて、ただひたすら歯を食いしばった。


「素晴らしいですわ。聖種様。やはり貴方様は英雄となる御方です」


 昨晩、種を拝領した女王ロザリアーナが腹を愛おしそうに撫でながらそう告げる。すでに、数人の妖精に妊娠の兆候が表れているらしく、それを嬉々としてリュウジに話していた。


 ――気持ち悪い。


 頬はこけ、落ちくぼんだ目でリュウジは見つめた。そして、あれほど美しいと思った白金の女王が今では醜悪に映った。意識を奪われて、心身を好き放題されて。そして、称えられる。繁殖能力を評価されるという意味で。


 もう言葉も出ない。むせかえるような華の香の匂いに包まれて、リュウジは浅く呼吸を続ける。その唇は、カサカサに乾ききっていた。


 ――がんばれ。あと少しだ。


 月が沈み、太陽が昇る。その間も、リュウジは耐えた。耐え続けた。心身がぐちゃぐちゃにかき回されても、エルファレナのことを考えれば正気を保てた。毎日同じことの繰り返し。時間が刹那に過ぎていくのに、“お役目”の時だけは永遠に続くかのように長く感じる。妖精とまぐわった時間が、香りとなってリュウジの思考を侵していく。リュウジの頭には、もう両親の顔すら残ってはいなかった。


 そして、ついに時が来た。珍しく雲が出ている夜だった。瞳の如く大きな天満月が雲に遮られて、妖精の国に闇を落とす。逃亡には絶好のチャンス。天運が、リュウジに味方をしていた。


「え……ふぁ……」


 だが、どういうわけか香がいつもより強い。甘い香りが鼻の奥に突き刺さり、脳天を貫く電流が背筋に走る。リュウジは、もう目の前に広がる薄紅色の靄が香なのか幻なのかもわからない。それでも、エルファレナが助けに来てくれる。歯を食いしばりながら、身をよじり、ジンジンと跳ねる身体を抑え込む。まだか。まだか。まだか。永遠に続くかのような刹那の時間をガチガチと歯を鳴らしながら、耐えた。


 錠前が外される音が聞こえた時、リュウジは心の底から安堵した。この美しい悪夢が、やっと終わる。そして、扉がゆっくりと開かれた。眼球が泳ぎ回り、視線が定まらない。沸騰するような熱に浮かされながら、最後に見た人影は。


 ――どこまでも、白かった。


 朝。

 目を覚ました。ベッドの上。いつもの光景。身体を起こして、辺りをキョロキョロと見回した。どういうことだろう。まるで意味が分からない。これは夢だろうか。リュウジは息を荒げながら、両手を顔の周りで動かす。置き場が分からない。いや、置きたくない。気づきたくない。目の前に広がる光景が、現実だなんて、認めたくない。


 上手く息が出来ない。そんなはずはない。エルファレナが裏切ったなんて。あり得ない。何かの間違いだ。リュウジは荒れ狂う心臓の拍動を抑えるように、自らの身体を抱きしめた。身体を小刻みに震わせながら。


 その時、ノックの音が部屋に響いた。リュウジはハッと顔を上げる。もしかしたら……そんな淡い希望を抱いて。だが、入って来たのは、いつもの妖精だった。


「おはようございます。聖種様。昨夜の拝領の儀、女王陛下もお喜びでした」


 心臓の鼓動が一つ。跳ねた。

 ――女王……?昨日来たのは、ロザリアーナだった……?

 血の気がさっと引いて行く。脚の感覚が無い。氷のように冷え切って、ピクリとも動かない。


「あ、あの……エルファレナは……?」


「反逆罪により処刑されました。聖種様を惑わした罪は、許せませんので」


 妖精は「さて」と言葉を区切り、今後の食事はもう少し精のつく食べ物にする、肉と魚はどちらがお好みか、とリュウジに聞いた。


 エルファレナは反逆罪により処刑された。悲しいとか、信じられないとか。リュウジの脳裏には様々な思いが一斉に溢れかえった。だが、一番初めに、口をついて出たのが――


「なんで?」


 疑問だった。なんでバレた。なんで殺した。なんでこんなことになった。リュウジは、ただ知りたかった。エルファレナの命の、責任の所在を。


「……?女王陛下がおっしゃっていましたよ。拝領中に聖種様が教えてくれたと――」


 “エルファレナが助けてくれる”と――


 世界から音が、脈が消えた。喉が閉まり、浅く吐き出された息が、か細く震えていた。理解したくなかった。分からないふりをしたかった。それでも、リュウジは絞り出すようにして、呟いていた。


「オレの、せい……?」


「おかげ、でございます。聖種様」


 妖精は素早く訂正する。表情に乏しい妖精であったのに、この時ばかりは、とびきりの笑みを浮かべていた。


 そして、その顔を見てリュウジは


 “可愛い”


 と、思ってしまった。


「はは……」


 顔が、歪んでいく。亀裂が入っていく。リュウジの脳裏に微かに残っていた思い出が蘇る。普通の学生だった記憶。そして、最後に見えたエルファレナの微笑み。そのすべてが音を立てて、砕け散った。


「あは、あははははははっははっ!!そうだよな!オレのおかげだよな!!全部、全部!!」


 リュウジは久しぶりに腹の底から笑った。これは夢ではなく現実だ。リュウジ自身がそうあれと願い、選び取った結末だ。やっと理解した。自由を奪われ、助けてくれようとした妖精を失い、ただ“利用価値だけ”で囲われた。

 そして——その状態を国全体が祝福している。

 まるで繁殖牧場の王。感情ゼロのハーレム、愛なき囲い、逃げられない孤独。


 ――オレは“こうなるために”ここに来たんだな。


 嗤わずにはいられなかった。嘔吐するように声は漏れ、それはしばらく治まらなかった。


 その後、逃亡防止のため部屋はさらに豪華さが増し、中には常に側仕えの少女が配置された。そして、少女たちはほほ笑みながら聖種に言った。


「私たちは聖種様の子を産めることを誇りに思っています」

「どうか、私たちの命を繋ぎ、妖精の国に繁栄をもたらしてください」

「聖種様」

「聖種様」

「聖種様」

「聖種様」

 ……。


 偉大な聖種はその様子を、笑顔で見つめていたという。


 ◇◇◇


 数年後。妖精の国郊外にて。


「英雄、というのは、私たちの国で子を増やす者のことです。

 貴方様は、たくさんの愛しい命を残してくださった。だから英雄ひいでたオスなのです」


 妖精文字で『127代』。たったそれだけ書かれた真新しい石碑の前で妖精女王ロザリアーナが穏やかに語った。


「貴方は、436の命を繋いでくださった。どうか、この国の未来を照らしてください」


 また光の柱が森に落ちた。ロザリアーナの転移魔術。また、誰かが日本から連れてこられた。その様子を見て、妖精の国の女王は歌うように祈った。


「我が国は危機に瀕しています。どうかお救い下さい」


『妖精の国』(完)

――せめて、貴方が自由でありますように。

(ある反逆者の処刑記録より)


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