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45 吾亦紅の観察 : 変化 前編

 名月浩二は喜んだ。

 ぎこちないながらも、ようやく二人が向かい合い始めたからだ。

 これで晃の栄養不足と情緒が落ち着き、その才能を十全に発揮できる、と。


 家族との面会が叶って精神的にも落ち着いた涼菜と、家族と一緒に出ていかなかった事に安堵した晃は、お互い少しだけ、相手に譲歩する事にしたらしい。


 面会の翌日から、朝食を一緒に摂り、下校時に迎えに行く。

 タイミングを見て、小さなことでも褒めるその姿は正に紳士であった。

 涼菜の下校時の迎えは大惨事であった。

 見目麗しく、出自も確かな理事長の息子、今をときめく大財閥の跡取り、穏やかで優しげな微笑みに、優雅な立ち居振る舞い……ここまで揃えば、年頃の少女達が騒ぎ立てるのも無理はない。

 初日は、車の周りに人だかりができ、身動きが取れなくなった。

 怪我をする者も出た程だ。

 それだけ大騒ぎになったというのに、一顧だにせず、毎日迎えに行くその心の強さに、名月はこめかみを揉む。

 最近はどうにも頭痛がひどい。


「今日は『放課後デート』というやつをやってみようと思う」


 高校に向かう車中で、息巻く晃に溜息が漏れた。

 どうやら晃は、大学で「気になる女子高生が出来て、仲良くなる為にはどうしたら良いか?」と、相談したらしい。

 普段男女関係にはドライすぎる晃のその発言に、仲間たちは悪ノリをしたらしく、色々と余計な事を吹き込んでくれた様だ。

 曰く、耳元で甘い言葉を囁けばイチコロだの、兎に角なんでも褒めまくれだの、とっとと押し倒せだの……。

 無責任に有る事無い事アレコレ“助言”をしてくれるのだ。


 晃は晃で、涼菜が拒絶しなくなったのを良い事に、やりたい放題である。


 あまりに涼菜にかまけるので、仕事に支障が出るかと身構えたが、短い時間で素早く解決して、二人でいる時間を邪魔されない様に予備策まで立てる始末である。

 今までも優秀であったが、名月や晃の父親が舌を巻く程の結果をもたらし、良い結果に繋がっている。


 いつもならサボり始めるタイミングも、涼菜に会う為にきちんと働き、素早く終わらせる。

 全ては花生み(涼菜)と過ごす時間のため。

 “そばに居るだけで情緒が安定する”資料で読んだ通りになっている。


 そうして高校(目的地)に着くと、名月は降車して、後部ドアの前でゆったりと微笑みながら涼菜を待つ。

 昇降口から出てきた涼菜が、一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔になり、引き攣ったすまし顔でこちらに歩み寄ってくる。

 初日は気付かなかったフリをしようとして、後藤に止められていたので少し成長したらしい。

 諦めただけとも言うのかもしれない。

 後部ドアを開け、一歩下がる。


「おかえり、涼菜」

「た、ただいま……です……」


 一層甘やかに微笑みながら、車にエスコートする晃に、涼菜は戸惑いながらも素直に車に乗り込んだ。

 続いて晃が着席した事を確認すると、扉を丁寧に閉め、運転席に戻った。

 車が走り始めると、その日学校であった事や、晃が面白いと思ったことなど、取り留めのない事を話す。

 まだ警戒が解けてはいない涼菜も、晃につられて少なくない話をする様になってきた。


「今日は少し街を歩いてみない?」

「え?」


 高校に着く前に聞いた計画はもう少しスマートに誘う予定だったはずだ。

 涼菜を前にすると、どうにも予定通りとは行かなくなるらしい。

 ウィンドウショッピングをしてみようと、涼菜の了承を得ずに、学生達に人気だという街までやって来た。

 安っぽく、見た目だけの店が立ち並び、品の無い菓子や食べ物が売られているが、多くの学生は放課後の一時をこの街で友達や恋人達と楽しむのだという。


「ぅ、わぁ……」


 涼菜は学生らしく、空気に当てられ、ソワソワ落ち着かずにあちこちを眺めていた。

 不健康そうな色の着いた綿飴を見たかと思えば、歩きながら食べる焼き菓子に目を奪われ、プラスチックで出来た装飾品に視線が移る。

 目論見通り楽しんでくれている様である。

 名月は撒き散らされる安っぽく、甘ったるい匂いに気分が悪くなってきたが、笑顔の奥で歯を食いしばり我慢した。


「何か気になるものがあれば、是非プレゼントさせて欲しい」


 はしゃぐ涼菜に、周りの人間が見惚れる様な、甘い笑顔で優しく囁き掛ける晃。

 これは大量に購入する事になるかもしれない、と覚悟した矢先、涼菜が首筋を抑えた。


「つぅ……っ!」


 立ち止まって、首を両手で抑え、痛みに耐えるその姿は、先程まではしゃいでいた姿とは大違いだ。

 その引き金を引いたのは紛れもなく晃の一言であろう。

 晃の顔色は悪く、真っ白で蝋の様だ。

 唇も紫になり、指先も震えていた。


 何が涼菜のトリガーになったのか分からないが、蕾が付いたのは間違いなさそうだ。

 愕然と、細かく震える晃を後藤と促して、帰宅する。

 車の中は重たく、冷たい沈黙が占拠していた。


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