⑦わたしなら君にそれを与えられる。でしょう?
ドレスを買いに行ってから2日が経過し、シェリーンは講義の空き時間を喫茶室で過ごしていた。
「この時間は付与魔法の講義だったと思ったけど」
お気に入りの窓側の席でコーヒーを飲むシェリーンの頭上から、太くもなく細くもない耳当たりのいい声が降ってくる。
シェリーンが顔を上げると、蒼雪の貴公子ナヒッド・ラ・クライシュ侯爵の灰色の瞳と視線がぶつかった。青みのある銀の髪が、光を受けて白く輝く。
「先生の都合で自習に。だから効率的な付与魔法がないかって考えてたの。火や水みたいな属性の場合、敵の弱点でないとたいした効果が得られないでしょ」
テーブルに広げていたテキストを片付けると、ナヒッドはシェリーンの対面へ座った。
つい先日まで話したこともなかったのに、今ではこうして一緒に時間を過ごすのが当たり前のようになっている。この事実は、シェリーンの頭の片隅で違和感となって引っ掛かったが、すぐに掻き消えてしまった。
「それで答えは出ましたか?」
「いいえ。どんな敵に対しても大きな効果のある付与魔法なんてないんだわ。でも攻撃力増強ではなく補助を目的にするなら――」
シェリーンの説明を聞きながら、ナヒッドがクスっと笑った。話し過ぎたかと言葉を切って、様子を伺う。
「いや、自習をこれ幸いとサボってるのかと思ったのに、あまりに一生懸命で可愛いなと思って」
「は、いや、冗談はやめて」
「本当なのにな。でも、わたしならその問題に解答を与えることができますよ」
「与える?」
知っているでも教えるでもわかるでもない、不思議な表現だ。シェリーンがどういう意味かと問うと、ナヒッドは含みのある笑みを浮かべた。
「クライシュ領で敵と呼べるのはドラゴンくらいのものだけど、あのあたりに生息するのはスノウドラゴンです。属性で言えば炎が弱点でね」
シェリーンはナヒッドの言葉を三度、頭の中で繰り返した。コーヒーを一口飲んで、そっとカップをソーサーに戻す。
「特定の属性が弱点の敵しかいなければ、それが万能な付与魔法と呼べるってこと? すごい屁理屈」
「でも、わたしなら君にそれを与えられる。でしょう?」
「……へ?」
目をまん丸にしたまま、数回の瞬きをする。が、ナヒッドは意味深な笑みを浮かべたままで何も答えなかった。
「やだ、クライシュ領で働けってこと?」
今度はナヒッドが目を丸くする番だった。驚いた顔はすぐに崩れ、目尻に涙を滲ませながら笑いだす。
「ハハハハ! すごいな、面白い。うん、そうですね。ただの冗談だから気にしないで。ここで『うん』と言ってもらうつもりもなかったし」
「なに? なんのこと?」
「いや、こっちの話さ」
ひとしきり笑ったナヒッドが、懐から小さな箱を取り出してシェリーンに差し出した。彼の灰色の瞳が開けろと伝え、シェリーンはそっと箱の蓋をひらく。
「これ、通信用の魔水晶よね」
箱の中にあったのはブレスレットだが、中央で光る紫色の石の中には緻密な魔法陣が記述されている。呼応する魔水晶を持つ人物と自由に連絡ができる便利なアイテムで、特性上量産が難しいため安価とは言い難い。
「受け取ってくれますか」
「でもさすがに――」
ただの友人という関係で持つほど安いものではないと考え、返そうとするシェリーンの手首をナヒッドが掴んだ。
「今度、一緒に出掛けるときのために必要だと思うんだ。急遽予定が変わるかもしれないし、出掛けてる最中に何かあるかも。受け取ってくれますね?」
「……ええ、もちろん」
ナヒッドと話しているとき、たまにシェリーンは頭の隅にモヤがかかるような不思議な感覚を覚えることがある。断るつもりが断れない。しかし会話を振り返ってみれば、ナヒッドの言葉はいつも正しくてなぜ断ろうと思ったのかさえわからない。
よかった、と笑いながらシェリーンの腕にブレスレットをつけるナヒッド。
それをぼんやりと眺めながら何度か首を傾げるシェリーンの耳に、聞き慣れた低い声が聞こえて来た。
「シェリーン、この後の応用魔導剣術だけどさ……」
「なっ、ななななに? どうかした?」
ナヒッドのほうへ伸ばしていた左腕を慌てて自分側へと引き寄せ、背後を振り返った。そこに立っていたライルは、黒く冷たい瞳をナヒッドへと向けている。
「あれ、邪魔したかな」
「いや……問題ありません。空気が読めない人間というのは実在するものだし、いちいち気にしませんから」
「まさか尊重される側の人間だとでも?」
にわかに強い緊張が生まれ、シェリーンは息を呑む。
が、ナヒッドは小さく肩をすくめるだけですぐに席を立ってその場を離れた。
「ここで言い合っても時間を浪費するだけだ。彼女に授業のことで用があるのでしょう? どうぞ、わたしも教授のところへレポートを提出しに行かなくては」
ナヒッドが喫茶室を出て行くのを見届けてから、シェリーンは大きくため息をつく。
「ちょっと、なんでそんなに喧嘩ごしなのよ」
「は? 先に喧嘩売って来たのアイツだろ」
口をとがらせて、ライルは先ほどまでナヒッドがいた席へと座った。
目の前にいるのが気心の知れた友人となったせいか、シェリーンは少しホッとして椅子の背もたれに身体を預ける。
「それで、応用……なんだっけ?」
「ああ、この後の応用魔導剣術の実戦で――悪い、ちょっと待って」
ライルはシェリーンに左の手の平を向けて見せ、もう一方の手は自分の右耳へ寄せた。手の動きに導かれるようにして、シェリーンの視線も彼の右耳へ向かう。
少しだけ角ばったライルの耳にはイヤーカフが。だがよく見れば紫色の魔水晶が付いているではないか。
「……おお、助かる。さすがギラス子爵だな。うん、うん、じゃ」
「ギラス?」
ギラス子爵といえば、シェリーンの親友ソハラの父だ。なぜこんな特別な通信機器をライルとソハラが?
――ライルはシェリーンとコンビだと思ってるから声掛けなかっただけよ。アタシも後でチャレンジしてみようかな。
シェリーンの脳裏に、いつかのソハラの声が蘇った。




