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リコレクションズ  作者: 戸理 葵
第二章 動き出す
36/67

宣言 2 そして痛み

今の状況が、飲み込めない。

だって、私は今、碧さんに抱きしめられている。

彼の温かなぬくもりと香りに包まれている。

彼の囁きは、限りなく優しくて、こんなにも甘やかなのに。


「・・・はい?」

「・・・俺、もう綾ちゃんには近づかないから。今までごめん。」

「・・・・なんですか、それ。」


私は、彼の胸から顔を上げた。

なのに彼は、私の髪にうずめている自分の顔を上げようとせず、頬をそのまま、私の耳に滑らせた。

彼の吐息が、私の髪に絡まる。


「最初に近づいてきたのは、そっちですよ。」

「うん。」

「訳分かんない事言いだして、私を混乱させたのは、あなたじゃないですか。」

「・・・そだね。」

「それを今度は・・・何なんですか?」

「・・・もう、限界なんだわ、俺。」


低く、掠れた様な声。

それは私が初めて聞く、自信に満ちた碧さんの、揺れ動く呟きだった。

弱音。


「本当は、あの夏の日・・・あの日に会って、それで済ませるつもりだったんだ。でも君は・・・・。」


そこまで言って、彼はやっと顔を上げた。

射るように見つめる私の眼差しを、切なげに柔らかく受け止める。

私の髪を、優しくそっと掻き上げた。


「君もわかってんだろ?俺は、君を傷つけると思う。なのに今更、止まる事は出来ない。知りたい気持ちを無視する事は出来ない。」

「・・・・・。」

「でも君が近くにいると、・・・色々、気持ちが揺らぐんだよ。・・・やめたくなるんだ。やめて・・・君に触れたくなるんだ。」

「・・・・。」

「真っ直ぐな君を、壊したくない。・・・・ごめん。」


彼が指しているのは、事件の事。

まるで自分の気持ちを持て余しているかの様に、とつとつと言葉を繋いでいく彼。

そしてゆっくりと笑う彼はやっぱりとにかく綺麗で、こんなに素敵な人がいるんだと惹かれずにはいられなかった。

なのに、その自分勝手な言動。


「・・・言ってる意味が、全然わかんない。碧さんの何が、私を傷つけるっていうの?」

「・・・・。」

「私が事件を何か知っていて、それで傷つくの、私?」

「・・・綾ちゃん・・・。」


この人は、最初っからそうだった。最初から自由奔放で自分勝手で、私を振り回していた。

私は、自分の殻が破けていくのを感じた。胸が、焼けつくように痛い。


「・・・・碧さんは、ズルイ。」


私は、私の髪を掻き上げながら撫でている碧さんを、精一杯睨みつけた。

怒りのあまり、唇が震えているのが分かった。

もう、言葉が止まらない。気持ちが止まらない。

進みだした事態は、止められない。


「碧さんばっかり、言いたい事言って、碧さんばっかり、聞きたい事訊いて、碧さんばっかり、私を混乱させておいて。都合が悪くなったら、逃げて。」

「・・・・ああ。」

「傷つけたくない、とかさ、壊したくない、とかさ、ただの言い訳じゃない。自分が傷ついたり、壊れたりしたくないからだけでしょ?」

「・・・・ああ。」

「私の何を知っているって言うんですか?私の何を見ているって言うんですか?馬鹿にしないで下さい。私、自分の始末くらい、自分で付けられますっ。」

「・・・・ああ。」

「そもそも、会わない様にするって、まだ3回しか会ってないしっ。そんなの、宣言しなくったって済む事だしっ。黙って消えれてくれればいいじゃないっ。」


ああ、冷静に筋の通った事を言い続けているハズだったのに。

今まで想い溜めていた事を相手にぶつけているハズだったのに。

もう、自分が何を言っているのか分からない。

すごく、取り乱している。喚いている。

これじゃ、別れ話で手のつけられなくなったヒステリー女と同じじゃない。


碧さんの胸を叩こうと両腕を上げた瞬間、彼の両手が私の手首を掴んだ。

気付くと、歩道脇の建物の壁に、体ごと押し付けられていた。



彼の、荒々しいキスが降ってきた。

私は、言葉も息も、彼に絡み取られてしまった。



「わかったよ。そうだよ。俺が悪かったよ。・・・だから、泣くなよ。」


言われて気付いた。自分が泣いている事に。

悔しいっと思う気持ちも、目の前の出来事に掻き消されてしまう。


「馬鹿にしないで下さいっ。私っ、大人ですっ。」

私はまだ喚き続けた。

彼は私の唇の端ギリギリの所に、まだ甘さの残る自分の唇を滑らせてくる。


「うん。そうだな。」

「自分の独りよがりで、守っちゃっている様な事、言わないで下さいっ。」

「うん。そうだな。」

「碧さんなんて、最初に会った時から、嫌いですっ。」

「うん。そうだな。」


彼の唇が、再び私の唇を軽く掠めた。


「知ってるよ。でも・・・。」


彼は少し顔を離して、私を見た。

その瞳は、潤んでいてとても色っぽいものなのに、眉根に皺を寄せて私を見つめるその表情は、まるで少年っぽさを覗かせている様だった。

そのアンバランスさに、状況もわきまえずにドキンとする。



「俺は、最初に会った時から、・・・・君が頭から消えないよ。どうしようもなく。」


そう言って再び、今度はとても、甘い、甘いキスが降りてきた。


涙が、出てくる。

不甲斐無い相手に、涙が出てくる。

独りよがりの相手に、涙が出てくる。

あまりの甘いキスに、熱い吐息に、痺れる舌先に、涙が出てくる。




恋愛っていうものは独りよがりで。

誰もが相手に振り回されながらも、自分のルールで動いていて。

それが上手く、タイミングが合わない限り、先には進めないんだわ。

きっと、私達は、タイミングが悪すぎた。



彼が自分のルールで、私達の間に幕を引こうとするのであれば。

私が、先手を打ってやる。


私の人生は、私が決めたい。

この時の私のそれは、碧さんに縋りつく事ではなく、彼と離れてでも対等に立つ事だった。





長い、長い、目眩を誘う様なキスを終えた後、私は揺れる瞳で、まだ焦がれる様な唇で、彼に告げた。


「私、15年前に人が刺された所を見ました。」


彼の息が止まったのが分かった。

瞳が大きく見開かれ、驚愕の色が見てとれる。私は言葉を続けた。


「一人の男子生徒が、倒れている生徒の上に覆いかぶさり、ナイフか何かで刺している所でした。」

「・・・・・。」

「私は怖くなってその場を逃げました。後の事は知りません。それでいいですか?」

「・・・倒れている生徒を、刺していたのか?」


彼の口調はもう甘さを残してはおらず、低く、鋭い声色だった。

彼の中で、何かがオンになったのが分かった。


「前後関係はよく分かりません。そもそもよく見えてなかったので。裸眼だったんです。そう見えました。」

「・・・・・・。」

「正当防衛には、見えませんでした。いいですか?これで。」

私はまた、自分の視界が濡れ出したのが分かった。情けない。


「これで、もう、貴方とは会わずに済みますか?貴方の事、考えずに済みますか?貴方の事・・・・。」


真剣な表情で私を見つめる彼。

私の、精一杯の告白。最初で最後だから。


「想わないで済みますか?」



彼の瞳がキュッと細くなった。奥歯を噛み締めている様だった。

「ごめん・・・・ありがとう。」


こめん。ありがとう。

なんて典型的なフリ文句かしら。校舎裏の高校生じゃないのよ、私達。


そんな突っ込みを心の中で出来る私に、私は安心する。


大丈夫。まだ立てる。

私は自分の足で、まだ立てる。




「俺が言える台詞じゃないが・・・もう忘れるんだ。この件も、見た事も、全部。」


彼は私の両肩を両手で掴み、体を曲げて、覗き込むように私の瞳を捕らえた。


「全て、忘れろ。君にはもう、関係ない。」


よく言うわね。あなたが思い出させたくせに。

そもそも、私は殆んど忘れていたのよ、あなたと出会うまでは。

なのに、どこまで自分勝手な事を言うの?



「その顔、好きだな・・・すごく。」


彼は切なげにふわっと微笑むと、私をそっと、でもしっかりと抱きしめた。

彼の指が、私の髪の中に埋まって、爪を立てる。



プチン。


私達の唯一の繋がりが、切れた音がした。





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