戦争終結
戦争終結
アメリカは、切り札である原子爆弾投下に失敗した。
現在アメリカが使用できる全てのB-29と原爆を用いた作戦であり、予想される最大限の迎撃を受けたとしても、1発は日本機動部隊に落とせるように、確率が高くなるよう計算されて送り出されていた。
直掩機も随伴可能な機体は全て出し護らせたが、戦艦陸奥追撃や夜間空襲による被害で、戦闘機の数が満足できるほど確保できていなかった。
B-29の高高度からの原爆投下作戦では、戦艦陸奥なら投下した原爆を迎撃するのではないかという予想がなされており、原爆を迎撃される確率を下げるため、模擬原爆パンプキンを原爆と共に多数投下する事になっていた。
多数のパンプキンを投下すれば、いかに戦艦陸奥とはいえ迎撃が追いつかなくなり、本命の原爆が炸裂する可能性が上がると考えられていたが、戦艦陸奥はその予想すら超えてきたのであった。
投下に成功した原爆も多数投下したパンプキンも、全て戦艦陸奥が迎撃したのである。
まるで原爆やパンプキンをどのB-29が搭載しているのか、事前に把握していたかのような迎撃を受けたのだった。
カリフォルニアに上陸した日本軍は、内陸への進攻と西海岸確保に軍を分けていた。
内陸への進攻軍は夜襲を行う事から日本軍の最精鋭と見られ、西海岸確保に動いている軍は常識的な軍だった。
とはいえ西海岸は海に面しており、日本艦隊からの攻撃を受ける事になるため、防衛は困難と予想された。
アメリカは本土防衛のため、ヨーロッパ・アフリカ方面からの軍の撤退を決定したのであった。
イギリスを介して講和の話も来ているが、日独に有利な内容なため受け入れる事が出来なかった。
少なくとも、日本軍を米本土から叩き出してから検討すべき物と考えられた。
アメリカの兵器生産能力と、ヨーロッパ・アフリカから戻った軍があれば、まだまだ巻き返せるとみられた。
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新型爆弾の脅威を凌いだ日本艦隊は、その後も陸軍の米本土における作戦を支援した。
特に米西海岸の制圧で活躍し、夜間空襲で米軍拠点や兵器を破壊していった。
陸軍の最精鋭となった異能兵は、中国での戦いの時とは違い、より洗練された戦闘集団となっていた。
米英濠の軍隊は、夜襲突撃すれば敗走する国民党軍とは違ったため、実戦で異能兵の戦い方も洗練されていき、死傷率がさらに減少する結果となっていた。
陸軍の先鋒である異能兵の進軍は、鹵獲した車両を用いるなどもしつつ、急速に進んでいった。
急速な進軍に対応する補給は、三式指揮連絡機と浮遊魔法を用いた方法で行われた。
これも以前より洗練され、懸吊する物資は統一された大きな木箱に入れられるようになり、ソリは離陸と同時に外れるようになっていた。
つまり、後方で大きな木箱に物資を積載し飛行場へ運び込み、ソリに載せて浮遊魔法を掛け、三式指揮連絡機で懸吊し異能兵達の下に落下傘投下したのだった。
夜に夜間空襲と異能兵の進軍があり、昼は迎撃機が中心となって防戦を行った。
アメリカの新型重戦車には手こずる事はあったものの、ほとんどが夜間空襲で破壊されており、許容範囲であった。
海軍は二式飛行艇に魔法や技能を使える者を数人搭乗させ、あるだけ西海岸に投入し米本土に対する夜間爆撃を開始した。
二式飛行艇は航続距離が長く、頑丈で防護機銃も強力な事から、戦略爆撃機として活躍した。
二式飛行艇の夜間に行われる正確な戦略爆撃により、攻撃圏内の地上目標や艦船は破壊されていった。
米夜戦型戦闘機の迎撃に対しても、暗視の技能により丸見えなため、撃退する事がほとんどだった。
1945年9月。米西海岸を制圧後、海軍はパナマ運河攻略を目指した。
西海岸が制圧された事で、ソ連への支援が完全に途絶える事にもなった。
また、ヨーロッパ・アフリカから米軍が撤退したため、ドイツ軍はソ連へ注力し、ソ連は窮地に陥った。
ソ連は1946年4月に、日ソ中立条約が失効するため後がなかった。
1945年10月。モスクワが陥落し、ソ連はドイツと講和した。
独ソが講和した事で、アメリカはようやく講和交渉に応じた。
しかし既にテキサスとそこにある油田は日本軍が押さえており、パナマ運河も制圧していた。
二式飛行艇も大西洋側に進出しており、アメリカの工業地帯に対して戦略爆撃を行っていた。
アメリカは、講和交渉に応じるのが遅すぎたのである。
講和の条件はより苛烈な物を求める事になったが、アメリカはこれを受け入れ、講和が成立したのだった。
だが、これによってアメリカは分裂を起こす事になった。
南部と西海岸で独立の動きがでたのである。
南部と西海岸の独立の動きに日独は即座に対応し、南部にはドイツが、西海岸には日本が付く事で、アメリカからの独立を支援した。
北部はこれを認めなかったが、もはや阻止する力もなく、南部と西海岸は独立し、ヨーロッパの各国も承認していくのだった。
戦争は枢軸が勝利した。
世界は日独の二強体制となったが、ここまで巻き返せたのは陸奥が異世界から持ち帰った力があってこそであった。
魔法と技能、そして異世界の勇者となった陸奥の力は絶大で、まだまだ研究の余地があり、発展途上ともいえた。
日本は魔法と技能がある事で、世界に対して優位性を持っていたのである。
イギリスやドイツがしきりに日本の特異な力を求めてきたが、優位性を自ら捨てるわけもなく、のらりくらりと惚けてかわしていた。
しかし、イギリスはかなりのところまで掴んでおり、魔術の技術公開を求めてきていた。
正式な外交交渉の場で魔術の名を持ち出したのである。イギリスは確信しているとみられた。
イギリスは見返りとして、様々な好条件を出してきており、悩ましいところであった。
アメリカの核技術は日独で接収し、アメリカでの研究を禁止した。
ウラン濃縮・プルトニュウム生産工場は閉鎖され、全ての研究成果は日独が抑えた。
ユダヤ人科学者を中心に、人材は日本が引き抜く事になり、日本国内や満州で研究が続けられた。
同様にドイツ勢力圏内のユダヤ人は、主に満州で受け入れる事で合意し、希望する者はアメリカへの渡航も認めた。
何はともあれ戦争は終わり、日本軍は各地から兵を引き、パナマ運河や西海岸、ハワイ諸島に駐留軍が残りつつも、大規模な復員が行われた。
何故なら日本が戦争をしている間に、大東亜共栄圏は中国人に乗っ取られそうになっていたからである。
新国民政府による新たな中華民国は、日本の傀儡国家であった。
日本の官僚や政治家、将官が中国を訪れる事も多く、中国人は接待攻勢を掛けていたのである。
接待や賄賂で便宜を図ってもらい、中国人達は大東亜共栄圏で経済を握ろうとしていた。
どうにか日本国内に大挙して入られる事は防げていたが、いつの間にか米西海岸にも入り込んでいたのである。
日本はとんでもない国を懐に抱え込んだ事を知り、頭を抱える事になるのだった。
日本は負担を減らすためにも、ハワイは独立させ、外地の駐留軍も出来る限り減らしていった。朝鮮半島や台湾も、独立に向けて自治区としていった。
軍隊は異力に適性のある者だけが徴兵されるようになり、適性のない者は志願制となった。
魔法や技能が使える者を増やすため、女性の光石による選別も行われる事が検討され、実行に移されるようになっていった。
異力適性があり条件に合致すれば男女問わず徴兵するようになる事から、女性参政権も検討されていき、選挙権が与えられるようになっていった。
また、学制も改められる事が検討され、遅咲きの子供もいる事から、年齢で区切らない個人の成長に合わせた教育が行われるようになっていった。
これにより、数学を中心とした高等教育を全ての児童が受けられるようになり、異力の適性を得た者は大部分が魔法を使えるようになっていった。
日本軍はその規模を縮小させたものの、魔法や技能を使える者の割合が増え、精強な軍となっていった。
特に通話魔法による通信は秘匿性が高く、現状魔法を独占している事から傍受される心配はなかった。
戦後の世界秩序は、日独の勢力圏下の国々が枢軸国に加盟していき、後にイギリスもこれに加盟した。
常任理事国は、日本、ドイツ、フランス、イギリス、中華民国になるのであった。
中華民国は日本が掲げていた、大東亜共栄圏や八紘一宇を持ち出し、共に世界を盛り立てていきましょうと、非常に経済活動に積極的だった。
共産党を打ち倒した事で磐石な政治体制を築く事ができ、軍隊も近代化され常任理事国に相応しい国力を持つまでになっていったのである。
日本は、傀儡国家を築いたはずが、強力な競争相手を生み出してしまったのである。
安定した中華民国は急速に近代化を進め、人口も多い事から日本を追い抜く勢いがあった。
日本では復員した兵士達が経済活動を再開し、今度は軍隊ではなく経済という戦場で戦っていく事になった。
勢いのある中国人との経済競争が主であり、舞台は世界であった。
中国の市場を求めて始った戦争であったが、気が付けば中国含めた東南アジアの国々が独立し、大義名分として掲げた大東亜共栄圏が実現してしまっていた。
日本は各国に影響力は残しているものの、各国が軍備を増強する程にその影響力は弱くなっていった。
日本はアジアを開放した。
それが事実であり、現実となったのであった。
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