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28 夜の森歩き/遭難

 いつも御読みいただきありがとうございます!

 今回はちょっと長いです。




 一見煌びやかな妖精界の闇へげんなりし、夜が更けてきたことへ更に落ち込んだ頃。

 ジャックが突然地面に落ちた。



「ジャック?」

「悪い、ちょっ……!? 」



 立ち上がろうとしたら、グラリと揺れ、倒れたジャック。よく見ると汗で服が滲んでおり、顔色も赤い。息も荒くなり、時折震えていた。



「グッ、大丈夫、まって、ろ……!?」

「ジャック……ジャック? ジャック!?」



 ジャックはもう一度立ち上がろうとしたところで、倒れかけところを支える。その体はいつもより熱い? 熱がある?

 ! いつから? もしやずっと?


 ……無理していたのかジャック?


 地面から拾い上げ、ハンカチで咄嗟にジャックの額を拭う。だが、目は固く閉じられ、意識が無い。指を当ててみるとやはり熱い。



「ちょっと見せてみろ!」



 カル先生の声に顔を上げると、先生が私たちを心配そうに覗き込んでいた……いや、先生だけではなく、カルロとユールも。特にユールは顔色が悪く、うなだれる様に何度も「私のせいかもしれない、いや、私のせいだ」と呟いていた。



「……瘴気、過剰? なるほど……ルル、熱発の処置は?」



 ジャックの様子を診ながら尋ねてくる先生。



「頭だけ冷やして、体は念のため温めておく……ですわよね?」

「正解」



 そう言うと、まるで見ておけと言わんばかりに魔術を展開したカル先生。①保存領域(メモリ)内の術式特定、②術式選択、③術式展開、この2つの作業を1秒以内……



「魔導具作成するのは、この速度とは言わんが最低限この程度できるようになってからだ、わかったか?」



 複数の保存、検索まではできるのだが、その次に特定の術式を選択して展開するところが微妙なのが、課題の出来具合からばれていたか。



「はい……それでジャックの容体は?」


「ああ、単なる『瘴気過剰症』だな……妖精種の中でも善性が強い者以外は瘴気の多い場所で魔力が減っていると罹る病だ。ジャックはわかっていると思うが、悪よりの中立な妖精だから罹りやすかったンだろう」



 この地にいきなり飛んだのも良くなかったことも、賢者は指摘した。



「とりあえずこれから早急に拠点を見つける。今の処置だけでも一旦熱症状は治まるが、魔力欠乏症リスクを排除する意味でも早く休ませたほうがいい。死にはしないが、瘴気は性質を変えるから注意は必要だろう。そんなところか」



 そう呟くと、先生はジャックをポケットに入れて歩き出した。キョロキョロと周囲を見渡し、深い溜息をついた。



「森に何かいるか、流石に……?! 早く移動するぞ、なるべく静かに動け」



 そう言うなり音を殺して、先生は開けた草原から暗い森へと歩みを進めた。私もユールトカーロを肩に乗せて進んだ。



 森の中は、先生に『暗視』を掛けてもらって進んだ。

 これはとてもいい、赤外線カメラ並みによく見える。


 森の中は虫や鳥に溢れた野生動物の宝庫だった。

 鈴虫や轡虫の音が奏でられ、梟が鳴き、そして、ガサガサパキンと野生の鹿や猪が親子連れで歩いていた。鼬や狼なんかもいるのか、断末魔の音と遠吠えする声が時折混じっている。

 そういえばふと、野生動物なのに我々が近付いても警戒していないことに気がつく。狩人の手が入っていないからだろうか。


 ツキヨダケが薄ぼんやりした明かりを帯びていた。そして、その周囲を蛾や甲虫が集い、蹴落としあっていた。

 蹴落とされた羽虫は、まるで妖精が踊っているかの様に宙を舞うと、ぶつかり合う。鱗粉が舞う度舞踏会のスカートを彷彿とさせる優美さがあるも、彼らは必死で縄張り争いを繰り広げているのだろうか。

 そのすぐ下ではゼリー状の不定形生物が体内を光らせていた。よく見ると、落ちてきた虫を食らっていた様だ。満足したのか、深海生物の様に一定のリズムで光を帯びると、クネクネと森の奥へと移動した。



「うぁ……」



 厳しい食物連鎖と、そこで繰り広げられた生命の美しさ。

 思わず息が漏れ、乗り出してもっと見たいという幼い本能に導かれかける。すると、カル先生に肩を叩かれ首を振られた。

 そこで正気に戻り、ハッとする。



 今、私何をしようとしていた?

 ジャックは熱発し、苦しんでいる。それに、この森は危険だと再三言われた。


 加えて、ユールの件もあるので今も何かに監視されている可能性さえある。



 申し訳なくて頭をさげようとすると、先生は首を振って行くぞと促す。目が物凄く怒っていたので、後でお説教は甘んじて受けよう。

 カル先生がいるからって、油断しすぎていた。精神年齢の件は自分でもわかっているはずなのに、制御は未だなっていないか。


 そうして歩いて移動すること暫く、ようやく先生の歩みが止まった。



「ここなら……この場所なら大丈夫そうだ、な」



 そう呟きながら結界を張った先生。ポケットからジャックを取り出すと、切り株の上へタオルを用意して寝かせた。



「こんなもんかな……さて」



 私の方へと振り向いた先生。自分でも驚くぐらいビクリと肩が揺れる。それに、膝も若干だが揺れているのを感じた。

 怖いという感情が、何故か浮かんでくる。


 私は一体何を恐れている?

 この場所は結界が張ってあって、しかもドラゴン倒す様なカル先生がいるので、大抵の敵には対応できる。だから、この場所を恐れているわけではない。

 だったらホラー要素か。だが、あれだけ森の自然を堪能するくらいホラー要素がこれといってなかったのに?


 ジッと見つめる先生の目線を感じて顔を上げる。

 だが、私は先生と目を合わせることができなかった。


 怖い、恐い。

 幼い私が内心で悲鳴をあげる。

 こわい。


 嗚呼なるほど、確かに怖いし、恐ろしいな。



 カル先生に、失望されるのが。



 ようやく恐怖の正体が分かったところで、どうしようもない。

 本能の赴くままあんな風に勝手をしかけたのだから、自業自得である。何故あんな風に不謹慎で無鉄砲な真似ができたのか。


 この一件で賢者として不適合と言われるのは、ああ確かに怖い。だがそれ以上に、この人から軽蔑されるがもっと怖い。


 だが、その恐怖に抗わねば……結果と向き合い、今後を考えよう。



 顔を上げ、先生と目があう。

 すると、予想以上に穏やかな先生がいた。私を見守っていた様な、何か懐かしい様な眩しい様なものを見る、慈愛に満ちた目だった。

 あまりに優し過ぎて、息が止まった。



「分かっているなら、別に怒らない……そこから今は学べばいい」



 そう言いながら、頭を撫でられた。そして、「怖かっただろう? 頑張ったな」とつぶやかれた。

 パタパタと自分の頬が濡れるのを感じて、初めて泣いているのだとわかった。それに、足腰に力が入らず思わず座り込んでしまう。

 足もそういえば擦れているのか、ジクジク痛んだ。


 その痛みに、堪えきれなくなった涙腺が完全崩壊した。

 生きている。そう実感できたからだ。


 恐怖で体が強張っていたこと、歩みを止めないために現実逃避していたことが今になってわかった。

 食物連鎖は美しいが、残酷だ。

 互いの命を奪い合い、勝利直後に敗者に転じることはありふれている。そして、敗れ去った者は何も残さず、消える。そう、何も、生きた痕跡を残せず消え去るのである。


 本当はその様が、凄く怖かった。


 加えて、第一次脱走でミミックスライムに喰われかけたことがしっかりトラウマとして残っていたのである。潜在的にだから、この森を見た時点で尋常じゃない怖さを感じていたのかもしれない。

 昼間もあんな危険なのだから、夜はもっと危険だろう、と。


 知識でしか知らなかった夜の森はそして、本当に危険な場所だった。

 賢者がいなかったら何度食われたことだろう。



「よしよし……」



 優しく抱きしめながら背中をポンポンとあやす先生に、段々力が抜けていく。歩いたのと泣いたので、たぶん相当疲れていたのだろう。

 貴族令嬢は普段出歩かない分、体力がやはり無い。


 スゥッと次第に意識がなくなっていった。




 そして、次にハッと目を覚ました頃にはユールと2人きりになっていた。



「え……」



 まさか、置いて行かれた……あるいは逸れたか?


 サッと青ざめ、軽く状況確認するがわからない。

 だが、眠る前の場所と比べて違うことは分かった。


 緊張と興奮に息が上がっているのを感じる。過呼吸は起こしていないが、パニックになりかかっているか。

 なるべく呼気を長く、肺から全部息を吐き出す様にして、なんとか落ち着いた。前世で200人を対象とした講演会の前にパワハラ上司が見かねて教えてくれた方法だったが、案外役に立った。覚えておいてよかった。


 さて、落ち着いたところで確認する……何が違う?


 周囲をもう一度冷静に見回すと、明らかに違う点が次々上がっていく。

 何森の地形、木の配置、その全てが違う。地面も落ち葉が多かったし、複数あった切り株がこの場には無いない。



 そこで、私の脳裏に『移転』という言葉が浮かび上がった。

 同時にユールを見やると、何かしら魔法の残骸があった。


 崩れておりわからないが、何かしらの力が働いたのだろう。



 どのくらいカル先生から離れてしまったのか。ジャックは無事なのか。ここはどこなのか……不安が続々と出てきたが、ふと、持ってきたカバンも一緒だったことに気がつく。

 食糧難は免れた様だ。


 空を見上げると、まだ夜明け前。森歩き素人の私が、ここから動くのは危険か?


 いや、留まるほうが危険か。

 何者かに転移させられたのならば、この場所には何かがあるだろう。


 一先ずユールを起こそう。



[ユール? ユール、大変ですので、早く起きて下さいまし!]



 不愉快そうに眉をひそめるユール。

 私の手を払ったユールの頬をプニプニしてみる。すると、うなされた様に「ウ〜ン」と唸り声をあげた。かまわず、私は彼女を揺さぶった。


 そうして起き上がったユールは私を確認し、空を見上げ、不満気な視線を送ってきた。



[……どうしたのだ、我が主人よ?]



 呑気な様子で未だ状況を理解していないユール。



[落ち着いて聞いて下さいまし……私と貴女、今どうしてなのでしょうね、カル先生から離れてしまいましたわ]



 何か心当たりは御有りでは?

 そう問いかけると、みるみるうちに青ざめるユール。



[また、なのか……いやだ、嫌だぁああ!!]

「!? ユール!!」



 酷く取り乱し、到頭吐いてしまったユール。

 涙を流し、ずっと「またなの、もう、いやなのに……ごめんなさい、ごめんなさい……」と呟く様にブツブツ言い続けるユール。あまりの取り乱し様に、私自身は却って冷静になっていた。


 落ち着かせるにはどうしたらいいのか、そういえば心音がいいって誰かが……ああそう言えば、夫が何度かやってくれていた。


 一定のリズムで背中背中を優しく叩きながら、私の心音を聞かせる。ドクン、ドクンと一定のリズムを刻むその音は、赤子等も落ち着かせる効果があるらしい。

 数分間そうしていると、ようやくユールは落ち着いた。



[すまない……見苦しいところを見せた]


[いいのですよ、ユール]



 こちらこそ、ごめんなさい。

 トラウマへ触る発言をしたことを謝ると、ユールは首を振って[むしろ、聞いてくれて正解だよ……心当たりしか無い] などと、悲しそうに呟いた。



[誰の仕業かわからないのだが、前もあった……その時は王妃陛下が、お義母様が助けてくれたが]



 私付きの騎士が一人、身を挺してくれたからここに今いる。

 そこで、何かに気がついた様に息を飲み、真剣な顔で話し出した。



[私が言うのもあれだが、ここから早く離れねば……恐らく、奴らが来る]



 オーク鬼が、死者の国から。

 そのことを聞いた私は血の気が引くのがわかった。違和感の正体が分かったからである。


 違和感は植生にあったのである。


 先生と一緒にいた森はどちらかといえば落葉樹が中心の植生だった。樹木が健康なのに葉が赤色や茶色に変色して落ちていたので、間違い無いだろう。

 一方この辺は落葉が少ない……それに葉を見ればわかるが、これは広葉樹か。ドングリ等の硬い殻のある木の実が落ちているのを考えると、カシやナラの木が中心。


 ! 成る程……オーク、ね。


 今まで何故出てこなかったのか不明だが、これはここに留まってはダメだ。今すぐ移動せねば、ユールの言う様に襲われる。

 パッと見た感じ茂みはある。シダ植物なのだろうか結構茂っていていい感じに隠れられるだろう……何とかなるか?


 隠れ、音を立てない様移動する。

 ユールの不安が、彼女の震え具合から伝わってきた。肩に乗った彼女を下ろすと、可哀想に青を通り越して土気色になって、涙目になっていた。

 頭を親指で優しく撫で、懐にそっと入れ。ここなら外が見えないから、トラウマ誘発要因から少しは遠ざけることができるだろうか。


 ここでふと、ジジーッ……ジジーッと空間の軋む音が聞こえた。それも、不自然なほど一定なリズムだ。

 しかも、これから向かおうとした茂みの向こう側。


 そして、背後からも音は大きくなっていく。恐る恐る振り向く。



「!?」



 咄嗟に口を押さえた判断は正しかった。思わず悲鳴をあげそうになったからである。

 震える足を叱咤して、何とか音を立てず木陰に身を隠す。


 黒い靄……ジャックから噴出していたソレとは比べものになら位くらい濃度が高く、明らかに危険だと分かる雰囲気を醸し出していた。

 よく見れば靄麓の植物は例外なく茶色くひしゃげ、ボロボロと風化していく……まるで、触れたら死んでいく様に。


 観察を続けると、何かが出てきた。黒色の物体……不定形で、ウネウネと動く実体を持った何か。だが、スライム等とは違い、靄がかっている。


 ガタガタ震えが強くなったユールを懐越しに撫で慰めながら、ジッと身を潜めた。



『#!##!#$$#”$!!%!%』

『#”$$#%!%!$(&%(‘%&#$%#&#』

『……#!$!#!!$””#$&%$”#』



 震える自分を再び叱咤しながら頭を上げると、不定形の靄から次々とオーク鬼が出現するのが見えた。


 闇妖精ですならない出来損ないのオーク鬼。

 前世では醜く太った二足歩行の豚みたいに描かれることが多かったオーク鬼。物語やゲームによってはどこか愛嬌さえ感じられる剽軽な豚みたいな容姿だったが、現実は違った。

 決して、そんな可愛いものではなかった。


 『オルクスの死人(オークナス)』の名の通り、屍色の不定形な人型。ボロボロの葬儀服を纏い、傷口から黒緑系の暗いモヤが噴出している様な姿であった。

 壊れた録音機を最小限の音量で再生させた声、縦横無尽に夜闇を蠢めく赤く光った無表情の目。そして、ちらりと見えた、薄汚れた鋭い爪と牙。赤黒く見えるのは、多分血が固まったものだろう。

 その容姿はどれも、殺意を帯びていた。


 ホラー耐性の有無にかかわらず、これは怖い。

 濃厚な死の気配……この言葉が一番合致するか。


 それが、それが私とユールへ向けられている現状。カル先生も、頼りになるジャックも今はおらず、まだまだ弱い私と未知数なユールで逃げるか戦うかしないとならない。

 これ、生き残れるのかな……思わず膝が震えた。


 生者は奴ら『オルクスの死人』へ触れてはならない。

 一度その肌へ接触すると、瞬く間に死者の国へと引きずり込まれる。そうなってしまえば最後。永遠に深淵で囚われ、従僕か餌にされると言われている。


 嗚呼怖い、怖い。

 逃げたい、逃げ出したいこの現実から。


 やった瞬間死ぬことは分かっているし、ユールがいるのでやらないけれど。


 だからこそ、震えている場合ではない……さっきまで私のいた場所を嗅ぎまわっており、このままここにいればいずれ見つかる。

 急いで逃げねば。



[……し訳ない、……申し訳ない、……申し訳な……]



 消え入るように泣きそうな声でそう繰り返すユールを撫でながら、賢者講義の『敵地での遭難対策』を必死に思い出していた。こんなことなら実践編まで自習中に終わらせておくべきだった……


 いや、今は終わったことなんてどうでもいい。

 この絶体絶命な状況から何とか逃げねば。




挿絵(By みてみん)

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