24 黒化/夜中の一時
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黒っぽい粒子をまとったジャックは、私の側へと一気に飛んできた。
その天使みたいな顔には、いつもの皮肉っぽく余裕な笑みはない。代わりに、怒りと病みを孕んだような笑顔と、危うい表情の目があった。
[ねえルルちゃん、許せないからこいつ潰したい。いいかな? いいよね? だってどうせこんな下端囮役は情報持っていないよ]
他にも尋問要員は確保したし。
そう呟いたジャックは、止める間も無くあっという間に貴族を縄で束縛し、蹴り転がした。一応殺してはいないようだが、首元へ絶妙に食い込む縄ともがき苦しむ様子から時間の問題だと察した。
[ジャック……少しは緩めて差し上げて]
[やだね]
振り返ったジャックの目は、ハイライトが完全に消えていた。そして、少し責めるような口調で言った。
[こいつはさぁ、ルルちゃんとかルルちゃんのお母さん拐っておもちゃにしようとかクソなことほざいていた下衆野郎の仲間だよ?
きっとこんなやつ、去勢して拷問して生まれたこと後悔させてもクソみたいな性格は治らないよ。だから、生きる価値なし! 死んでも誰も気にしないだろうし、むしろ喜ばれるんじゃないの?]
呟くように話すと、体から吹き出す黒い霧はますます濃くなった。
[それにさ、どうせこいつ死ぬよ?
公爵邸に不法侵入したってことだけでも罪重いだろうけど、公爵令嬢と公爵夫人の誘拐未遂でしょ? 器物破損、違法薬物使用、他にも余罪はたぁくさん]
綺麗過ぎる笑みを浮かべ、振り向いたジャック。
表情だけ見ればいつもの皮肉っぽい笑みより天使だが、行動が暴力的だからなのか恐怖を感じた。
[そういえばこいつら隣国の連中だから、こいつの首一つで下手したら膨大な賠償金と王族の首複数くらいは本国に請求できそうだね? それとも切り捨てられるかなぁ]
どっちでもいいけど、生きて帰れても地獄だね。
呻くエイ○ア……プレ○ターをゲシゲシと足でしばきながら、キャハッと黒く嗤ったジャック。
[……後はお父様に任せますわよ。この辺にしておきなさい、ジャック]
仕方がなく、内心震え上がった自分を叱咤して、声だけは堂々と告げた私。でないと、顔面怪物貴族は裁く前に殺されてしまう。そうなってしまえばイスカリオテ公爵家を嫌う連中が騒立てることは確実だろう。
こんな顔面○レデターの命なんてどうでもいいけれど、面倒。
何より、さっきからジャックが怖い……一体この連中何を言った?
淀んだ目のジャックはだが、頬を膨らませて抗議の声を上げた。[捉えた僕に最後まで殺らせてよ]等と。
間髪入れずに私は却下した。
[隣国なら余計に後から言いがかりつけてくるかもしれないじゃないの、ジャック。私、面倒ごとはごめんですわよ? それに人生は有限なのだから、こんなことで貴重な時間を使うよりもあなたとお茶を楽しむ時間の方が大事でしてよ]
そう続けると、[そっか、そっか……それもそうだね!] などといつもの目に戻ったジャック。安心して溜息が漏れた。
だが、ここで黙っていられないのがジャッククオリティー。
皮肉っぽく口角を上げて、[それなら今回の報酬で、僕のためにルルちゃんお手製クッキーでも焼いてよ。できるでしょ?] などと、早速無茶振り要求してきた。
「わかりましたわ、約束は守ります……クッキーですわね?」
「うん、甘くないやつお願いね〜」
ジャックの調子が戻ったことへ安堵しつつ、クッキーどうしようかとちょっと悩んだ。というのも、調理室には入れても怪我が怖いと公爵令嬢に料理はさせないからである。どう料理長を説き伏せようか。
いや、無理か。無理だろう。
でも、私の中には作らないという選択肢はなかった。
クッキー要求が、なんとなく懐かしかったのである。
前世で夫にせがまれて散々焼いたクッキー。
夫は甘過ぎるものが割と苦手で、苦いものが結構好きだった。だから、毎度クッキーを焼く時は抹茶、生姜、珈琲等、甘さ控え目なビターフレーバーにしていた。
レシピは全部頭に入っている。魔術で詳細設定すればオーブンの扱いも楽勝。
よし、後日厨房不法侵入して作るか。
どうせ牧は使わないのでバレはしまい。食材を少しばかりちょろまかすが、問題にはならない筈(どうせ今もどんぶり勘定だし)。
「改めてジャック、助けて下さり感謝します」
「いいよ、別にそういうのは。それよりアイツ助けなくていいの?」
転がされたままのアルドへ慌てて近づく。すると、妙な臭い香りがした。
そして、気がついたら倒れていた。
[ごめん、言うのを忘れていたけどその辺しびれ薬が漂っていたよ?]
ニヤリと効果音の付きそうな声が耳元で聞こえた。なんだかくすぐったい。動けないから払うこともできないなんて。
[ルルちゃん動けないね(無防備ですごくかわいいよ)。僕が(ルルちゃんの代わりに)動かしてあげるよ]
耳音へ息がかかり、ジャックの高目な声が聞こえた。とても近くにいることがわかった。話せているということは、しびれてもいないのだろう。
一瞬唇に柔らかく暖かい感覚がした直後、あっという間に浮遊感を感じた。
目も開かないので状況が読めない。
返事をしたくとも、抗議の声を上げたくとも、口が動かない。唯一、フィルターみたいなもので私を覆ってくれたことだけは臭いでわかった。
[(かわいいなぁ、ずっとこのまま僕に……いや、ダメだね。よし、ルルちゃん部屋に行こうね……って)ルルちゃん?]
何を言っているのかよく聞こえなかったが、心配そうな声がしたなと思った直後、私は意識を失った。
*〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜*
目を覚ますと、夜中だった。
部屋は暗く、三日月の薄い光が窓から僅かに部屋を照らした。
「あ、晩餐……」
カル先生に出そうとあんなに意気込んで、料理長と一緒に考えたのに。
……いや、ワンチャン明日出す可能性だってあるか。幸い保存性は高いものにしていた筈だし。
そう思いつつ、多分無理だろうなと察していた。せめて冷蔵庫の術式があれば。
私が気絶しなければ……いや、仕方がなかったか。
安心したのと力が抜け始めたタイミングでのしびれ薬。精神的に極度の緊張状態にさらされたのだから、あの時点で限界だったのだろう。
自分でも時折忘れるが、肉体は6歳。精神も年齢に引っ張られて30代ではない。せいぜい10代半ばだろうか。
不法侵入者に親しい受付を倒され、誘拐未遂に遭ったのである。その前にお父様と賢者の喧嘩に巻き込まれたのだって追加すれば、疲れ切っていても仕方があるまい。
そうだ……ジャック。助けに来てくれた私の妖精。
私の探し人は君?
君は私の夫?
だが、想像してみていや違うと速攻で否定した。
夫は私にゲロ甘くて、甘すぎる人だった。
意地悪はしないし、自分から傷つけることは絶対にしない。一度懐へ入った後は、私が傷つくことへ人一倍敏感だった。
そして、恐らくだが、彼は自分の手を随分汚していたと思われる。バレないと思って血なまぐさいことや黒いことを私に見せないよう、色々やっていたのだろう。
結局私のために何をやっていたのか、最期まで聞くことは叶わなかった。一緒に背負う覚悟はしていたのに。
生前はとても悩んだ、そんなに私を信用してくれなかったのかと。
同時にだけれど、わかっていた。彼は、なんとなく嫌われたくなくて、そういう一面をなるべくみせなかったのだろうと。
彼は臆病過ぎて告白できず、ストーカーになってこじらせたような人なのだから。
元はそんな、かわいい性格の人なのである。
だけど彼は完璧に隠したそばから表情で隠しきれておらず、察していた。その上、会社倒産やセクハラパワハラ無能元上司への刑事告訴は、割と大きな会社だったがために新聞に出ていた。
私を含む当事者しか知らないことばかりで、バレバレだった。
それなのに、彼は私を表に出さなかった。大変な時期も家に入れて隠した。
終わった後察して尋ねてもはぐらかし、結局話してはくれなかった。
もともと寡黙な人だったけれど、それでも酷い。
そんなことで彼を嫌いになるなら最初から彼とは結婚していない。それ以前にストーカー時点でドン引いて警察呼んでいないことから、彼に関して大抵のことを許せる人だったことに気付いてほしかった。
そんな、臆病で、ちょっと病んでいる優しい狂気の夫。
対するジャックは確かに黒化したけれど、夫みたいに隠しもしなかったし、それに、普段から私を傷つけることも実は厭わない。黒いところも平然と私に見せる。加えてものすごい自信家。ナルシスト。
夫と比べて……うん、違う。全くの別人だな。
断言できる。
「やはり探さねばなりませんわ」
「ふ〜ん、誰を?」
その声にガバリと起き上がる。
すると、ジャックがいた。
「変な時間に起きちゃったね」
見ると、いつものジャックだった。
皮肉っぽく、私をおちょくって困った顔を嗤うジャック。似非英国紳士……は言い過ぎかな。でも、それくらい皮肉っぽい、余計な一言で火に油どころかガソリンを注ぐ煽りジャック。
「夕飯逃してしまいましたわ……カル先生は如何したかしら?」
「ん? ああ……公爵、お前のお父様と一緒に食べていたよ。料理長が張り切っていたやつだろ? 心配せずともあの賢者も満足していたよ」
ただ、料理長がすごく残念がっていた。
ジャックのその言葉に、私もひどく残念に感じた。
同時に安心もした。ちゃんと、私がいなくともオペレーションが恙無く行われたのだと。これで今後、お父様の大切な親しいお客人に対しても、今までみたいな酷い料理を出さずに済む。
でも本当に残念。ワンチャンなかったか。
昔食べたイタ飯屋のディナー参考にしたのに。オリーブたっぷりのフォカッチャ食べ放題で、それに合うオードブルを考えたのに。
……残念だ。
「そうそう、代わりに食べておいたよ!」
美味しかったと仕切りに報告してくるジャック。特に、鰆のムニエルは白身だと思えないほど身が柔らかくて最高だったと、具体的に私の昼夜食事を抜いた胃袋を煽ってきた。
グゥという音と空腹で力なく睨みつけると、仕方がないとばかりに口角を上げるジャック。そして、私の表情を見て笑った。
多分私は今、非常に情けない顔でもしているのでしょうね。なんだか空腹で寒くて悲しくなり、下を向いた。
「……あ、わ、悪い、ごめん! ちょっと煽り過ぎた。ちょっと待っていろ、えっと、あれ?」
顔を上げると、彼は自分の亜空間を探っていた。時折「あれ、どこだっけ?」 と聞こえるので、整理整頓が苦手だということがわかった。
しばらく見ていると、彼は何かを取り出した。
途端、ふわりと香ったガーリックとオリーブの香ばしい塩気。目を見開き、驚く。
「はいお待たせ、じゃじゃ〜ん! 料理長と僕のフォカッチャサンド」
ジャックから恐る恐る包みを受け取る。湯気がまだ上がっており、暖かい。だけれど、中身が漏れないよう丁寧に包んだことがわかった。
まだまだあるから大丈夫! などと天使の笑みを浮かべたジャック。
「ジャック……」
少しほろっとしながら、私は包みを解いて一口。
空腹は最高のスパイスというけれど、それ以上にジャックと料理長の気遣いが嬉しくて……なんだか胸がいっぱいになった。
「おいしい……あたたかい」
涙が漏れると、ジャックがオロオロしているのがわかった。けれど、なんとなく涙が止まらなくなった。
「ありが、とう……ございますね」
年齢に引っ張られるとか関係なく、悲しくもないのに、ただただ泣きたくなったので泣いた。悲しいどころかむしろ嬉しい。けれど、なんか本当の意味で安心したら泣けてしまったのである。
味わって食べる上ではダメだと思いながらも、やっぱり涙がこぼれた。
ううん。安心したからというもあるけれど、多分前世の食事形態に一番近かったからかもしれない。味も食べ方も、カフェで出しているやつと近くて、懐かしい。
今日は色々ありすぎたからね……晩餐、案外出られなくてよかったかも。
「泣かないで、ルルちゃん泣かないで……大丈夫だよ」
僕ずっと一緒にいるから。離れないから。
その間もずっと頭を撫でてくるジャック。平時では考えられないくらい優しい手つきとやわらかな声だった。
尚、ジャックの言葉の最中にある『()』に関しては、ルルちゃん聞こえておりません。




