88話「勇者と勇者」
勇者マイス。五百年前に魔王軍を全滅寸前まで追い込んだ張本人。
私も直接対峙したことはないが顔を見たことはある。確かに本人に見える。
超人的な力を持つ勇者だが、寿命は人間のそれのはず。
「さて、神世エルフ以外は初めましてだ。俺の名はマイス。そこのルーン君の先代の勇者だ。……なんでそんなに身構えてるんだ?」
マイスは私達が武器を構えているのを見て怪訝な顔をした。当然の反応なのだが。
「お主、なぜここにいる? いや、そういえば最期どうなったかを聞かなかったのう。……そうか、元々エヴォスの差し金だったんじゃな」
「いかにも。俺は我が神エヴォス様に勇者としての力を与えられた後、神の戦士として取り立てられ、いざという時のために待機していたのだ」
「いざと言う時とはなんだ?」
「今みたいな時のことだ。――そこにいる今代の勇者、ルーン君には魔王と戦う気がないと聞いたものでね。俺が直接勇者の何たるかを教えてやろうというわけだよ」
エヴォスによって使われる自分の行動と立場に全く疑問を持っていない。彼にとってはエヴォスは信じる神であり、絶対の存在ということか。
「ここには女神様の試練があったはずですぅ。それはどうしたですかぁ?」
「すべて破壊した。今となっては俺が試練ということで納得してくれ」
「まさかお主を勇者にしたのがエヴォスじゃったとはな……」
「俺としては貴方が勇者に協力していることが意外ですよ、世俗とあまり関わらずに過ごしていたはずですから」
フィンディは私に付き合ってここまで来てくれている面が強い。元来、積極的に世界を変えようとしない立ち位置にいる。その点は奴の言い分が正しいといえる。
その事実よりも私にとっては聞き逃せないことがある。
「五百年前の戦いは全てエヴォスの指示ということか……」
「ん? ああ、半分くらいはそうだな。俺がエヴォス様の名前を知ったのは戦いの後のことでね。その前は時々その叡智を借りながら俺と仲間で魔族を殲滅する方法を考えたのさ」
「…………殲滅か」
嫌な言葉だ。
「気を悪くしたのか? まあいい。俺に用があるのはそこの勇者だ。試練の前に話をしようじゃないか」
なるほど。ルーン以外は眼中に無いということか。
「わかりました。僕も話したいと思っていたところです」
険しい顔でルーンが応じた。
ルーンが一歩前に出てマイスと対峙する。ラナリーは心配そうだ。少しだけ生まれた時間を利用して、私はフィンディとピルンに念話をする。
『今更だが、あの勇者のその後の話はどうなっていた?』
『行方不明です。記録が殆どありませんでした』
『すまん。ワシもよく知らん。勇者の遺産を作った後、いつの間にか名前を聞かなくなったのじゃ。てっきりどこかで余生を過ごしたかと思っておったんじゃが……』
別にフィンディの不手際ではない。役目を終えた勇者は伝承の彼方に消えるものだ。しかし、もっと真剣に過去の勇者について調べるべきだったろうか。いや、調べたところで何らかの対処が出来たとも思えない。
今はルーンとのやりとりを見守ろう。
「さて、話と言っても難しいことじゃない。ルーン君、君に魔王を倒す気が無いというのは本当かい? 魔王を倒すのが勇者の使命。ひいては世界のためなんだぞ? ついでに魔族も全滅できるとより良い世界になる。素晴らしいだろう?」
この男。聞き逃せない言葉しか話せないのか。
「今の魔王さんは僕達と争う気がありません。それに、魔族と人は共存できます。むしろ人間同士で戦争をしている方が問題なんです。必要の無い戦いは、僕は嫌いです」
ルーンの屹然とした態度に、マイスは不思議なものを見るような顔つきになった。
「……わからないな。そうだ、君は魔族の成り立ちを知っているかい?」
「いえ、知りません」
諭すような口調でマイスが魔族について話を始めた。
魔族の成り立ちか、気にしたことも無かった。自分の出自にすら無関心だったからな、私は。
「いいかい。魔族っていうのは失敗作なんだよ。人間、エルフ、ドワーフ、ピット族のように種族として成立できなかった失敗作。ほら、魔族って一言でいっても色んなのがいるだろ? うまく創造できなかった種族を一纏めにしたのが魔族なんだ」
初耳だ。事実確認をしよう。
『フィンディ、この話は本当か?』
『見方によってはそうとも言える、という話じゃな。一部の神にはそう扱う者もおった。主流ではなかったがのう』
奴なりの真実を語っているということか。限りなく不快だが。
「……失敗作だから、何が問題なんですか? 僕にはそれがわかりません」
「わからないかな? まあ、俺が大分数を減らしたからね。今は暴れる魔族が少ないのかもしれないな」
「貴方は何を言いたいんですか?」
「簡単さ。つまり、魔族っていうのは世界にいなくてもいい存在。ゴミなんだよ」
一瞬、手が動いた。今すぐにでも目の前の男を消し飛ばそうと思った。
しかし、隣のフィンディが私の手を握りしめ、それを押しとどめた。小さな手に見合わない強い力だ。
『バーツ。気持ちはわかるが、落ち着くのじゃ』
『…………わかった、難しいがな』
この勇者がどうしてあれだけ魔族に容赦なく対処できたのかようやくわかった
そもそも、こいつは魔族を生命ある者と見なしていなかったのだ。
処分すべき対象、廃棄物として扱い、可能な限り効率的な手段を模索した結果が五百年前のあの地獄というわけだ。
「俺が生きた時代には悪い魔族が沢山いてね。本当に酷いものを見てきたよ。街一つ丸ごと生きる屍にされたり、洗脳された王族のせいで大戦争が起きたり、目の前で女子供に惨いことをされたりね」
「…………」
それもまた事実だ。悪い人間が沢山いるように、悪い魔族も沢山いる。しかし、それが多数派ではない。平和に人間と交流する魔族は当時も存在した。
「それでね。エヴォス様から話を聞いて俺は安心したんだ。――ああ、あいつら殺していいんだってね」
「その話が僕と何の関係があるんですか?」
険を帯びた表情でルーンが言う。全くもって、良い感情が芽生えない会話だ。奴はそのことに気づいていないのか。
「関係あるさ。君も魔族なんかに変に友情みたいなのを感じなくていいんだ。あいつらはいらない存在なんだから、容赦なくやっちゃっていいんだよ。それが世界のためだ」
身振り手振りを加えて必死に話す元勇者。
驚いたことにマイスはこれで説得しているつもりのようだ。
こんな乱暴な話、ルーンはおろか、この場の誰も納得しない。
しかし、彼の顔に張り付いた笑みには自信が漲っていた。ここでルーンが勇者としての使命に目覚めると確信しているかのようだ。
「……本当に、世界のためなんですね?」
じっくりとマイスの言葉を吟味した後、ルーンがそう問いかけた。
マイスは笑みを深め、即座に応じる。
「勿論だ。今言ったように、魔族も魔王もこの世界に居てはいけないもの。世界を綺麗にして平和に――」
「それは嘘です。たとえ魔族がいなくなっても、今度は残った種族で争うだけです。平和というのはそんな簡単に手に入らないんです!」
気分良く演説するマイスを遮ったルーンの叫びで、奴の笑みが消えた。
奴は冷たい、怒りの感情を含んだ目つきでルーンは睨む。
「……何を言ってるんだ君は? 魔王は世界の淀んだ魔力の塊。いてはいけないものなんだぞ」
「それはみんなで何とかします。勇者マイスさん、貴方の生きた時代、魔族は本当に邪悪で、憎くて、どうしようもない存在だったのかもしれない。……けど、今は違うんです。そういう時代じゃないんです!」
「君はそれでも勇者か? 与えられた使命があるだろう!」
詰問するマイス。しかし、ルーンは奴の望む答えは絶対に返さない。二人の勇者は生きた時代が違いすぎる。
「僕は『魔王も魔族も殲滅しろ』なんて使命を与えられた勇者じゃありません。それに、そんな酷いことが勇者の役割だなんていうなら、僕は勇者じゃなくていい……」
「なんだと……」
ここに来てついにマイスが剣呑な気配を発した。
自然と二人の距離が開く。
近くでラナリ―が静かに剣を構えた。私達三人は既に戦う準備は出来ている。
ルーンが剣を抜いた。
魔族と共存するグランク王国で作られ、元魔王である私が強化した剣を。
刀身から白銀の輝きを散らしながら、現代の勇者ルーンは宣言する。
「もうこの世界には勇者なんていらないんです! 貴方の言っていることはただの人殺しだ!!」
「……いいだろう。その言葉、受け取った」
静かにそう言うと、マイスも腰の剣を抜いた。鞘から出るなり、その刀身は青白い光を帯びる。
「エヴォス様の言った通りになったな。俺が代わりに勇者としての使命を果たしてやろう。勇者交代だ」
自信たっぷりに元勇者マイスはそう言い切った。
いい気になっているのも今のうちだ。思い知らせてやる。
元勇者はルーンしか見えていませんが、こういう時に横合いから殴りつけるのが大好きな人がこの場に二名程います。




