87話「神々の館で待つもの」
私達は空中にいた。もはや旅の定番となった隠行と飛行の魔術を使って中央山地へ移動中だ。
神々の館へ向かうのは私とフィンディとピルン、そしてルーンとラナリーの勇者コンビである。あまり大所帯にする理由もないし、援軍が欲しければ転移魔術を設置して誰かを呼べばいいという判断だ。
「そうだ。ルーンに一つ聞きたいことがあるのだった」
眼下に流れる雲と山々を見ながら、私は聞き忘れたことがあったのを思い出した。
「バーツ様が僕に聞くことなんてあるんですか?」
「魔王からの手紙のことだ。差し支えなければ何が書かれていたか教えてくれ」
もし非常に個人的なことを書かれていたら話さなくてもいい、と念のために付け加えておく。
「そうですね。――全てが終わって落ち着いたら。会って話したいそうです」
そう語るルーンの表情は明るいものだった。悪いことは書かれていなかったのだろう。喜ばしいことだ。
「きっとすぐ会えるだろう。その時が楽しみだな」
「ええ、本当に楽しみです……」
「お、見えてきたのじゃ」
私とルーンの会話をフィンディの発言が止めた。目的地に到着だ。
中央山地は四方の山脈の中央に位置し、最も険しい峰が連なる。
人を寄せ付けない地域であり、私も中央山地といえばドワーフ王国で地下から接触したのが唯一の機会だ。
神々の館は中央山地の一角にひっそりと存在していた。私達の位置からだと白い小さな建物が草木の無いわずかな平地に建っているのが見えた。
問題は、その周辺である。
神々の館の上空にはおびただしい数の空飛ぶ魔物が飛んでいた。
白い翼の巨大な鳥であったり、虫の群れであったり、コウモリだったりと、様々な種類の魔物がそこかしこに黒い雲を形作っている。
「ふむ。守護者のつもりかのう」
「目的地はあの魔物の群れの向こうですかぁ。普通ならここで空路は諦めるところなんでしょうねぇ」
そもそもフィンディという神々の館の場所を知る者がいなければ、空を飛ぶ方法があってもこんなに簡単に見つけることができないだろう。
空を飛ぶ魔術も移動手段も乏しいこの世界において、あの魔物の群れは接近を諦めさせるのに十分な脅威と言える。
普通なら地上から中央山地を踏破する方針に変更するだろう。
それは、あくまで普通ならの話だ。
「悪いが、私達にはのんびり登山をしている時間はない」
「その通りじゃ。バーツの隠行のおかげで、あ奴らは気づいておらん」
「やるなら今だな」
私とフィンディが杖を構える。
「バーツ、魔力探知で狙いをつけるのじゃ」
「承知した」
フィンディが展開した魔術陣に光り輝く神樹の枝を押しつけ、魔力探知を行う。凄まじい数の魔物の位置と魔力量が魔術陣を通してフィンディに伝わる。
「どれも大した魔力を持っていないようじゃのう。一掃じゃ!!」
言葉と共に、魔術陣から無数の青い光が発射された。
光は目で追えない速さで、雨粒のように空飛ぶ魔物達に降り注ぐ。
しばらく魔術が続いた後、神々の館の上空にあった黒い雲はすっかり消え去っていた。
「力を貸して頂いている立場でなんですけれど、お二人が味方で良かったです」
「まったくですぅ」
ルーンが驚きに目を見張りながら、ラナリーはしみじみとした様子で、それぞれ視界の晴れた中央山地を眺めながら呟いた。
○○○
神々の館は意外と小さな建物だった。神話の時代に神々がいたというのだから、巨大な宮殿を想像していたのだが、魔王城よりも小さいくらいだ。
フィンディの話によると、ここは神々が世界への出入り口として設置した建物だから小さいとのことである。
神々は中央山地の各所にそれぞれ自分の住処を作っていたらしい。
傷一つ無く、驚きの白さを保っているが、これといって特徴の無い四角い建物に入る
私達を迎えたのは異常な光景だった。
「……なんか、物凄く荒れているんだが」
「おかしいのう。いつ神々が戻って来てもいいように設備はしっかり保全されているはずなんじゃが」
綺麗な見た目とは裏腹に、内部は荒れ果てていた。
うっすらと輝く天井の下、そこかしこに何らかの残骸が散らばっている。石と金属が多い。ゴーレムなどの守護者だろうか。
全員が武器を抜き。周囲を警戒する。
残骸を調べながら、緊張した面持ちでピルンが言う。
「物凄く良く切れる刃物と魔術による破壊ですね。それも、ごく最近です」
「それって、何かいるってことですかぁ?」
「うかつに進まぬ方が良い。こんな乱暴な方法、ミルスがとるとは思えん」
「邪神の仕業か……」
女神ミルスは温厚な神だ。こんな退廃的な演出をすることは考えにくい。
つまり、既にこの場に邪神の手が入っている可能性が非常に高いということだ。
フィンディが何も言わずに魔術で内部を調べ始めた。
私も念入りに魔力探知を行う。精神を集中させると、この建物内の魔力の状況がよくわかる。
現在の神々の館には、私達以外の魔力の反応が一つだけ存在した。
建物の奥に何かがいる。魔力の感じは人間に近いのだが、とても変わっている。
神々の魔力に近い気配を感じるのだ。
「奥に一人いるな。人間のようだが、少しおかしい」
「うむ。ワシも似たようなことを考えておった。何じゃろうな、これ」
「行かなきゃわからないってことですかぁ」
不安そうに言うラナリー。気持ちはわかる。しかし、邪神の罠が待ち受けているとわかっていても、引き返すわけにはいかない。
「道中の罠や守護者も破壊されておる、幸か不幸かそちらの安全は確保されておるのう」
「よし、行くとしよう」
私達は警戒しつつゆっくりと館の奥へ進んでいった。
フィンディの言うとおり、内部に設置されていた守護者や罠は全て破壊されていた。そして、そのどれもが似たような壊れ方だった。
つまり、勇者ルーンが仲間達と挑戦するはずだった試練を一人でぶち壊した存在がいるということである。
館の最深部、壁、床、天井と正体不明の文字が青白く優しく輝く部屋に、それはいた。
「おや? 思ったより早いと思ったら、まさか神世エルフが一緒とは。どうりで地上から来る気配が無いわけだ」
気楽な調子で話しかけてきたのは白い鎧を着た人間だった。
背の高い男性で、年齢は二十代の中頃くらいだろうか。爽やかで健康的な印象を受ける顔立ちの金髪の青年だ。
その身に纏った鎧はどことなくフィンディの出す装備品を思わせる外見をしており、無駄に見えるほど複雑な形の柄を持った長剣を腰に着けている。
その男を見た瞬間、フィンディの歩みが止まった。
フィンディは目を見開いて驚いていた。彼女らしくない表情だ。
知っている人物だったか? と思った瞬間、私も男の正体に思い至った。
「……なんということじゃ」
「…………馬鹿な」
「お二人とも。お知り合いですか?」
突然固まった私達を訝しむピルン。警戒を解かずに武器を構えているのが彼らしい。ルーンとラナリーも同様なのは、流石といえる。
「…………っ!!」
驚きから我に返った私は反射的に神樹の枝を掲げて魔術の準備にかかった。
しかし、その動作は途中で止められる。
フィンディが私のロープの袖を引っ張っていた。体格に似合わない強い力で私の動きを止めている。
一瞬だけ、私を不安げに見上げた。「気持ちはわかるが、落ち着け」とその目が言っていた。
私は魔術を取りやめ相手を見据えた。あれは、目を離して良い相手ではない。
そして、フィンディが仲間達に目の前の男の正体を告げる。
「あやつの名はマイス。500年前に魔王を倒した勇者じゃよ」




