64話「大神官リンネル その2」
リンネルの出てきた小さな小屋の中に通された私達は、大きな丸テーブルの周りに着席していた。大神官自ら用意したお茶が振る舞われると、落ち着いた空気の中、話が始まった。
施設の物々しさに反して、穏やかな場所での邂逅である。
「改めまして。大神官リンネルと申します」
挨拶と共にリンネルが丁寧にお辞儀をした。キリエに似ているが、少ない所作の端々から品の良さを感じる人物だ。話によると高貴な出でもないので、後天的に身につけたのだろうか。
「キリエです。さっきも言ったようにあなたの子孫です」
「ダイテツだ。大陸北東部にあるグランク王国の国王をやっている」
「ピルンです」
「バーツだ。ただの冒険者をやっている」
「フィンディじゃ。同じくただの冒険者じゃ」
私達が順番に名乗ると、リンネルがくすりと笑った。
「フィンディ様。貴方は世界最後の神世エルフですね。強大な力を感じます、ただの冒険者には見えませんよ」
隠すつもりもなかったが、フィンディの素性はお見通しか。彼女は大昔から有名人なので、仕方ない。
そう思っていると、リンネルはこちらにも向いて言ってきた。
「バーツ様も同じくです。ただならぬ方のようですね」
なんだかフィンディと同類扱いされてしまった。喜ぶべきかどうか、微妙な線だ。
「今の私とフィンディはただの冒険者としてダイテツ達に同行する身だ。そう理解して欲しい」
今回の私達はあくまでもダイテツ達の同行者。護衛としての側面が強い。変に注目されると面倒なので説明すると、リンネルは静かに頷いた。
「わかりました。そのように理解した上で、お話を伺いましょう。グランク王国というのは聞いたことのない国名です。外ではそれなりに時間が流れたようですね」
「リンネル様はここでずっと暮らしていたのですかー?」
「いえ。来たるべき時に備えて眠っていました。アミュレットを持った貴方がやって来て、施設と同時に目覚めたのです」
なるほど。別に彼女の寿命が長くなっていたとかいうわけではないらしい。しかし、子孫のキリエも長いこと眠っていた。事情は大分異なるが、封印されがちな一族である。
「じゃあ、代表して俺が説明するぜ。ピルン、足りないところがあったら補足を頼む」
ピルンがメモ帳片手に頷いた。彼ならメモしながらでも適切な発言をしてくれる。
「まず、貴方がいた時代から、もう500年たってる。大陸全体は概ね平和だ。この地域以外はな。神殿の権威が落ちた関係で内戦状態になってる」
「500年ですか。思ったよりも短かったですね。勇者様と私は次の魔王まで最低でも1000年はあると思っていました」
「その辺の事情はわからないな。まあ、俺が来た理由は魔王じゃなくて、この地域についてなんだが……」
「神の加護は失われて久しく、ただの人となった神官にこの地域を治めることは出来なかったのですよ」
真面目な話だからか、キリエが真面目な話し方をしている。表情から緊張が伝わってきた。なにせ、彼女にとっては伝説上のご先祖だ。その上自分たちの失敗を話さなければならない。不安を覚えないはずがない。
「残念です。魔王と共に神が去れば加護も衰えるもの。それまでに神官が為政者としての能力を身につけることを期待していたのですが」
「も、申し訳ありませんー」
頭を下げるキリエに対して、リンネルは穏やかに微笑みかけた。人によっては聖母の微笑みといいそうなくらいの優しさと包容力を感じる笑みだ。流石は大神官といったところか。
「キリエ、貴方のせいではありませんよ。私も含めた、神殿という組織全体の問題なのですから。それでダイテツ、魔王はどうなのですか? この場所は魔王が復活した際に人が訪れるのを想定しているのですが」
どうやらリンネルは魔王にかなりのこだわりがあるようだ。当然か、魔王と戦うための施設で、500年も眠っていたのだから。それこそが自分の役割として第一に考えているのだろう。
しかし、訪れた我々にとって魔王は大事な議題ではない。
「魔王はいる。だが、俺達は魔王と戦う気はない。問題があるのはこの地域だけなんだ」
説明不足なダイテツの言葉にピルンがメモの手を止めて補足に入った。
「わたし達は魔王と和解し、同盟しています。魔王を倒すべき勇者はおらず、戦争らしいものが起きているのはこの地域だけなのです」
「リンネル様。情けない子孫で申し訳ありません。ですが、どうか力をお貸しください」
キリエが再び頭を下げた。ダイテツにピルン、それと私もつられて頭を下げる。フィンディも会釈程度だが視線を下げた。これは驚くべき事である。
私達の様子をじっと観察したリンネルは、しばらく考えたあと、にっこりと笑った。
「……素晴らしく愚かですね。貴方達は」
大神官リンネルは聖母のような笑顔で、冷たくそう言い放った。
場に沈黙が満ちた。
「……それは、どういう意味か教えてくれるか?」
最初に口を開いたのは私だった。ダイテツ達はあまりのことに絶句している。いつもならすぐに文句を言いそうなフィンディは難しい顔で黙っているので、発言できそうなのは私だけだった。
私達は、それまでの印象と全然違う発言をしたこの大神官の真意を問わなければならない。
「貴方達は何もわかっていません。魔王は世界のために死すべき存在です。神世エルフ、フィンディ。貴方ならわかっていることでしょう?」
審判でも告げるような冷たい口調で言葉を放つリンネル。これが先ほどまで聖母のような印象を与える態度をとっていた人物と同一とはとても思えない。
「わからぬな。確かに魔王は世界の魔力バランスを維持するために生み出される存在じゃ。じゃが、作り出された時点である程度世界の魔力の流れは安定する。魔王が存在し続けることで起きる問題はゆっくりと……」
「そうではありません!」
フィンディの否定の言はリンネルの感情的な叫びによって打ち切られた。
あまりのことにフィンディまで沈黙してしまった。そして、リンネルが再び持論を展開する。
「魔王を、魔族を倒せというのはあの人の願いです。私はそのために神から加護を賜り、眠りについていたのです。魔王も魔族も滅ぼすべき存在。それが、神の意志なのです」
どうにも様子がおかしい。魔王に関して話した途端、別人になってしまった。この一連の発言を聞く限りでは、クルッポやキリエの話と目の前の人物が繋がらない。
「話に聞いていたのと大分性格が違うのだが。クルッポが会ったのは別人か?」
「その名前は聞き覚えがありますね。あの時は見逃した私が愚かでした」
どうやら本人で間違いないらしい。勇者を諫めたというのは本当だろうか。今の言動だと、むしろ煽る側に見えるのだが。
「リンネル様。落ち着いてください。ボク達は必要がないなら戦いたくないんです。今はそういう時代なんです」
「いえ、貴方達は何もわかっていません。魔王と魔族は滅ぼすべき存在。それがこの世界の摂理です」
「何言ってやがる。戦争なんか無い方がいいに決まってるじゃねぇか……」
とうとうダイテツ達が言い争いを始めてしまった。残念ながら良い結論に到達しそうにない。いや、彼女の態度を見る限り、話し合いにすらならない。
私はフィンディの方を見る。彼女は険しい表情でリンネルを見据えていた。
「おい、おかしくないか? いきなり別人のようになったぞ」
「うむ。今すぐにはなんともいえぬが、これはおかしいのう。もしかしたら、リンネル自体に何らかの仕掛けがされているのかもしれん……」
「なんだと」
もしかして、後の世の魔王対策として、彼女はここに置かれていたということか。それも、色々と仕込んだ上で。
「これ以上話しても無駄ですね。貴方達は愚かですが、収穫はありました。魔王と、それと同盟する愚かな国。どちらも看過できません。私の手で鉄槌を下しましょう」
話を唐突に打ち切ったリンネルは、そう宣言すると、私達の目の前から消えてしまった。
本当に一瞬だ。私とフィンディが介入する余裕もない。魔力を感知する前にリンネルの体が光に包まれて、消えたのだ。
「な、どこ行きやがった!」
全員で立ち上がり、辺りを探す。私も慌てて魔力探知を始める。とりあえず、周囲にはいない。
「転移魔術にしては展開が早いな。魔術具か?」
「いや、今のは神の加護の力じゃな。一部の魔術を術式無しで発動できるのじゃ」
「それは恐ろしいですね」
「あの、何か、動き始めてますよ-」
キリエの言葉通り、施設が微細に振動していた。明らかに流れる魔力が強くなっている。
「不味いな。施設が起動したようだ。フィンディ」
フィンディを見れば、彼女は既に杖で周囲を探っていた。杖の宝玉内で複雑な魔術陣が何重にも展開している。もしかしたら、話の途中から彼女はこの状況を想定していたのかもしれない。
「リンネルは施設の外に出たようじゃ。まずいのう、施設全体が全力稼働しておる」
「とりあえず外だ、奴ともう一度話したい。駄目だったらコイツを使う」
銃を出しながらダイテツが言った。流石に切り替えが早い、既にリンネルを敵と認識しつつある。
「フィンディ、頼めるか?」
「勿論じゃとも。バーツ、念のために防御障壁を展開しておくのじゃ。ゴーレムが稼働を開始しておるからな」
「承知した。全員、武器の用意をしておいてくれ」
私の言葉に全員が武器を構える。神樹の枝を軽く振って全員を守る防御障壁を展開しておく。
それを確認したフィンディが杖を振り上げた。
「正直、話し合いで解決できそうにないのは残念じゃ」
ダイテツとピルンがフィンディに微妙な視線を向けていたが、私はそれをあえて無視することにした。
「うむ。私はいつもそう思っているよ」
「たまには平和的にいきたかったんじゃがなぁ……」
そんなぼやきと共に、フィンディの魔術が完成し、私達は施設の外へと転移した。
一応、フィンディも「平和的解決」という言葉を知ってはいるのです。




