23話「それぞれの事情(クラーニャ編)」
私達の旅は基本的に町から町を飛行魔術で移動する。そのため、野営する必要がない。故に野営をするという機会は非常に珍しいと言える。
そんなわけで、ピルンが林の近くの広場に焚き火を用意してくれたのを新鮮な気持ちで私は眺めていた。私とピルンとクラーニャは焚き火を囲んで、時折木の枝を火に放り込んだりして時間を潰す。
フィンディが風騎士を連れてくるのを待っているのである。
「流石ピルンじゃ。準備が早いのう」
程なくして、暗がりからフィンディが現れた。その後ろを、風騎士がふわふわ浮かんでいる。
「風騎士は、その、大丈夫だったか?」
「安心せい。お主の打撃で気絶しただけで、後は鎧が守っておった。起きると面倒だから、魔術で眠らせておるがな」
「流石はバーツ様、王都の守護者を一撃とは」
「やっぱりバーツ様は強いですわね。ワタクシ、そろそろそいつに負けそうだと思っていましたのに……」
「なに、武器の性能だ。今後はもっと穏便な使い方を模索したいな」
私としては、ああまで見事に風騎士を撃墜できるとは思っていなかった。神樹の枝、使いこなすには時間がかかりそうだ。
「まあ、風騎士のことは取り敢えず良いじゃろう。ワシが解除するまでこのまま永遠に眠るしのう。まずは、そこのサキュバスから話を聞くんじゃろ、バーツよ」
さらっと怖いことを言いながら風騎士をその辺に雑な感じで降ろしたフィンディが、焚き火の近くに来て、私の隣に座る。
「はじめまして。クラーニャと申しますわ。サキュバスですの」
全員が揃ったのを確認して、クラーニャが上品な動作で礼をして名乗った。
「フィンディじゃ。バーツの古い知り合いじゃよ」
「まあ、まさか、あの神世エルフのフィンディ様っ。お話は聞いておりますわ。それにしても、なんと可愛らしい。将来はさぞお美しくなることでしょう」
「ワシ、ずっとこの外見のままじゃ……」
フィンディの言葉を聞いて、何故かクラーニャが物凄い悲痛な顔になった。
「おかわいそうに……。雌としての悦びも知ることが出来ないままその姿なんて。地獄ですわ」
「おいバーツ。こやつワシに喧嘩売っとるぞ。少しキツめにいって良いか?」
不味い。フィンディの弱い所に直撃だ。どうにか諌めなければクラーニャが危ない。
「すまないフィンディ。彼女はサキュバスだからその辺りは種族的にどうしても気になってしまうんだ。クラーニャ、失礼だぞ。あと、サキュバスとはいえ女性なんだから下品な物言いは控えなさい」
「申し訳ありません、フィンディ様。ワタクシ、サキュバスですから、そっち方面に思考がいきがちですの」
「ふん。種族の特性なら仕方ないの」
有り難いことに、フィンディはすぐに引き下がってくれた。それを見て、ほっとした様子のクラーニャが言葉を漏らす。
「想像より寛大な方で嬉しいですわ。バーツ様は「意外と短気で危険だから決して怒らせてはいけないぞ」と言っておりましたから」
フィンディがすごい顔でこっちを見ている。いかん、矛先が私の方に。余計なことを言わないで欲しいものだ。
「バーツ、少し話し合いたいことがあるんじゃが」
「う、うむ。まあ、そうだろうな」
配下たちがフィンディに逆らわないようにするための忠告が、こんなところで裏目に出るとは思わなかった。後で謝っておこう。
そんな私の危機を救ってくれたのはピルンだった。
「あの、それはそれとして、クラーニャさんに聞いておくべきことがあるのではないでしょうか」
「そ、そうだな。フィンディ、すまないがその件はあとにして良いだろうか? クラーニャに色々聞かなければ」
よく出来た配下だ。ここはあるべき話題に戻して、有耶無耶にしてしまおう。
「まあ、いいじゃろう。ワシもそのサキュバスの話には興味がある」
よし、とりあえずは助かった。
「質問なら何でも聞いてくださいませ。バーツ様になら知っていることを全てお話致しますわ」
「おう、その前にちょっと失礼するのじゃ」
フィンディが杖を取り出して、クラーニャの頭に宝玉を押し付けた。
宝玉内に魔術陣が現れたと思うと、クラーニャの全身が輝き始める。
「な、なんですの! なんですのこれ! あばばばばばば!」
「怪しい魔術がかかってないかの確認じゃ。もう少しだけ我慢するのじゃ」
「あばばばばば! もっと優しく! 優しい方法はなかったんですの!」
「ない」
容赦ない返答の後、フィンディの魔術は5分ほど続いた。
「よし、大丈夫じゃ。これでお主は綺麗な身体じゃぞ」
「き、綺麗な身体って、まるで何かあったかのような……」
「それがあったのじゃ。恐らく新魔王じゃと思うが、定期的に無意識に情報を発信する魔術がかかっておったぞ」
「な……。それは、ご迷惑をおかけ致しましたわ」
フィンディが事も無げにととんでもない事を言った。新魔王、油断ならない相手のようだ。
「改めて質問をしてもいいだろうか。まずは元気そうで何よりだ、クラーニャ」
「改めまして、お久しぶりですわ、バーツ様。ご無事で何よりです」
微笑しながら挨拶するクラーニャ。彼女はサキュバスらしい言動や行動を除けば、非常に常識的な女性なのだ。
「聞きたいことはわかっているだろう。私の前から魔王城ごと消えた後、何があったか教えてくれ」
「承知致しましたわ。順を追ってお話いたします。でも、ワタクシ、あまり説明というのが上手くないと思いますの」
「聞きたいことがあったらこちらから口を挟む。話すが良いのじゃ」
「では遠慮なく。もう3週間ほど前のことでしょうか。ある朝起きたら、魔王城が全く別の場所に移動しておりましたの。城内の全員は無事、ただ、バーツ様だけがおりませんでしたわ」
「うむ。私だけ何もない北の大地に置き去りにされていたからな」
あれは実に寂しかった。今でも、フィンディが500年前と同じ場所の住んでいてくれなかったらと思うとぞっとする。
「お察しのようですが、魔王城の玉座にはバーツ様に代わる新しい魔王様がおりましたわ。それは、とてもとても可愛らしい少女の姿をした魔王様が」
「ほう、今代の魔王は少女か。具体的にどんな感じの奴じゃ?」
フィンディの問いに、クラーニャが少し考えながら答える。
「外見は人間の少女に近いですわ。燃えるような赤い髪の、気高く力強いお方。戦ったわけではありませんが、ワタクシでは到底勝ち目がないくらいの魔力を備えておいでのように見えました」
「それで、その魔王はどんな奴だった? お前達に無茶なことを言ってこなかったか?」
「それが、魔王様は特別何も命令してきませんでしたの。数日、魔王城で過ごした後、「私は情報を集めてくる。お前達は好きにしろ。ただ、人間を徒に刺激するな」と言って、どこかに出かけてしまいましたわ」
「今代の魔王は魔族の統率を出来ない状況にあるはずだ。そのための情報収集だろうか」
魔王の証が私の手元にある限り、魔王は魔族に命令できない。もしかしたら、証を探すために出かけたのではないだろうか。
「ああ、魔王の証のことでしたら、魔王様はバーツ様のことを把握しているみたいでしたわ。でも、魔族の統率も戦争も、興味が無さそうなお方に思えましたわ。出かけたのも、純粋にこの世界について興味があるからといったご様子でした」
「……すると。私に代わり新たな魔王が現れたが、世界の脅威となりえないと考えていいのだろうか」
「さあ、何とも言えません。ただ、ワタクシにはそう見えた、という話ですわね」
「なるほどのう。お主一人の話だから真偽を見極めるには難しいが。魔王が人間相手に戦争をしかけるつもりは、今の所なさそうじゃのう」
「何故、そのように思うのですか?」
じっとメモを取りながら聞いていたピルンが質問した。
「バーツが魔王の証を持っていることを把握しておるのに、目の前に現れなかったじゃろう。魔王らしく戦争をするつもりなら、能力を駆使してワシらの前に現れておる。魔王はそれなりの力を持って生まれるからの、魔王の証を見つけるくらいは難しくはない」
「では、新魔王は今でも情報収集とやらで世界のどこかにいる可能性が高いと?」
「ワシは、そう思っても良いと思う」
「そうだな。私もそう思う。しかし、新しい魔王は不思議な存在のようだ。通常なら、すぐにでも行動を開始すると思うのだが」
「そうですわね。バーツ様に似ているわけではないですけれど、方針的に近い感じはいたしましたわ」
「クラーニャに魔術を仕込むあたり、抜け目はないようじゃから。注意は必要じゃろうのう」
「そうだな。情報の把握をしてから行動に移るつもりなのかもしれない」
話を聞いて新魔王に一度会ってみたくなった。これから先、勇者が現れたらどうするつもりか聞いてみたい。魔王軍を無駄死にさせたくないと考えているなら、色々と協力してもいいくらいだ。
かつての配下は全員無事。
新魔王に(今のところ)戦争を起こす気はなさそう。
新魔王の性格や行動方針が気がかりだが、ある程度、疑問が解けたのは非常に嬉しい。
クラーニャからの情報のおかげで、私達の今後の行動だって選択肢が増える。
フィンディと共にグランク王国を目指す前に、魔王城まで行って配下に挨拶するのも良いかもしれない。
「クラーニャ。魔王城の現在の位置はどの辺りだ? 出来れば、皆に挨拶をしたいのだが」
別れるなら、せめて言葉を交わしてから。そんな私の願いがようやく叶いそうだ。
しかし、クラーニャの返答は残念なものだった。
「新しい魔王城の位置はわかりませんわ」
「なんだと。どういうことだ。魔王城からここまで飛んできたのだろう」
私の問いかけに対して、クラーニャは「確かにそうですが」と申し訳なさそうに答えながら、言葉を続ける。
「バーツ様。隠していたわけではないのですが、ワタクシ、実はかなりの方向音痴ですの」
「は? それはどうことだ?」
「この500年は魔王城の中にいたから気にならなかったのですが。魔王様に好きにしろと言われたワタクシは、久しぶりに趣味と実益のために外の世界に飛び出したのですわ」
「うむ。それはわかる」
500年間、サキュバスとしての行動が取れなかった。禁じたのは私だが、それがいなくなって自由を得たなら当然の行動だろう。
「方向音痴のワタクシですが、かなりの速度で空を飛べますの。だから、人の気配がする方に向かってフラフラと飛んでいるうちにこの町に辿り着きましたの」
つまり、この再会も、彼女の活動も、何か意図あってのことではない。ドーファンの王都フィラルに来たのは全くの偶然ということになる。
「なん……だと……。いや、山とか海とか川を越えただろう。そういう地形的な手がかりは」
「よくわかりませんの。何度も飛び越えたのは覚えているんですのよ?」
本当に、クラーニャは「よくわからない」という顔をしていた。
これは、これ以上追求しても無駄そうだ。
「あー、バーツよ。良ければ、こやつの頭の中を覗いて、無理矢理にでも魔王城の位置を調べても良いのじゃぞ?」
「神世エルフは恐ろしいことを平気で言いますわね! そんな怖そうな魔術をうけるのは御免ですわ!」
フィンディの申し出に本気で怯えるクラーニャ。
うむ、これはどうしたものか。フィンディの提案も魅力的だが、怯えるクラーニャも可哀想だ。
いや、そもそも、元配下に挨拶したいというのは私の感傷だ。先に新魔王との出会いや、グランク王国への到達を果たした後でも良いだろう。
「気持ちはありがたいが遠慮しておくよ、フィンディ。かつての配下が無事ならば、魔王城よりも、新魔王やグランク王国を優先したい」
「そうか。お主がそう決めたならそれで良い。ところでクラーニャよ。お主はなんで風騎士に狙われたおったんじゃ?」
「久しぶりに人の多い街についたので、サキュバスとしての生を楽しんでいたところを、襲われましたのよ。あの鎧の向こうからイケメンの気配がしたので、ちょっと遊んでいたら、段々追い詰められるようになりましたの。ほんと、バーツ様達に助けていただかなければ危なかったですわ」
「そ、そうか。それは良かったのう」
呆れた様子のフィンディがこちらに視線をよこす。「もういいか?」ということだ。
「とりあえず、聞きたいことは聞いた。せっかくだ、風騎士の話も聞いてみよう。王都の守護者と呼ばれる者だ、何か興味深いことに関わっているかもしれない」
「承知した。少し待っておれ」
言いながら、焚き火から離れた場所に放置されていた風騎士を魔術で引き寄せるフィンディ。その作業を眺めながら、私は彼女に問いかける。一点、クラーニャに対しての扱いで気になる点があったのだ。
「ところでフィンディ。クラーニャの身体検査に使った魔術、痛みを付与する必要はあったのか?」
何らかの魔術にかかっていないか調べた上で解除する魔術。私も使えるが、クラーニャが悶絶するような痛みがあるものではない。 私の問いに、フィンディはちょっと意地の悪い表情になって答えた。
「ワシの外見をからかった報いじゃ。そのくらい、良いじゃろう」
「…………」
やはり、怒っていたらしい。この件に関しては下手をすると私にも飛び火しそうなので、沈黙しておこう。
「ワタクシ、バーツ様とフィンディ様には絶対に逆らいませんですわ」
「わたしもです」
横で呟いたクラーニャに、何故かピルンも同意した。
クラーニャは思慮深いようで、行き当たりばったりで行動するタイプです。なまじ常識的に見えるのが厄介。
ところで彼女、どうやって帰るつもりだったのだろう……。
バーツさんが魔王をクビになってから、ここまでの期間を3週間ということにしてみました。
描写されていないところで、何かやっていたと思って頂けると助かります。
そのうちそっと修正するかもしれませんが。
次回は「それぞれの事情(風騎士編)」の予定です。




