97話「邪神」
「な、なにが起きた。ここは……」
気づけば私は知らない空間にいた。
明るく。何もない。床だけの場所だ。天井も壁もなく、周囲は霧がかかったかのようにうっすらと白い。
「ここはボクの世界だよ。初めまして、バーツ君」
私の目の前に少年が一人いた。
明るい茶色い髪の整った顔つきの少年だ。上等そうな衣服に身を包み、その顔には外見と不釣り合いな、こちらを嘲笑する笑みが張り付いている。
「……邪神エヴォス」
「ご明察。よくわかったね。いや、わからないほうがおかしいか! アハハハ!」
不快な笑い声だった。
見た目は可愛い子供だが、その邪悪さは全く隠し切れていない。
一目でわかった。こいつは命を弄ぶ邪悪だ。
「何の用だ?」
「わかってるでしょ。君の邪魔をするためだよ。いや、君はいつもフィラルディアと一緒だからね。一人になる瞬間を狙うのに苦労したよ」
「今さら私の邪魔をしても無意味だと思うが?」
既にフィンディは破壊神となった。ここで私の妨害をしても、あの世界への干渉できなくなる流れは変えられない。
「そうだね。でも、ボクの気は晴れると思わないかい? せっかくあのゴミ世界を大混乱にしようと思ってたのにさ。ミルスの隙をついて」
「そんなことをして何になる」
「ボクが面白いじゃないか。運命に翻弄される人々、戦に費やされる命とそれに伴って生み出されるドラマ。今回はお人好しのミルスが思った通りにいかなくて困る姿も見られるはずだったのになぁ」
本当に、本当に心の底から残念そうに邪神が言う。
「私とフィンディは的確に邪魔をしていたわけだな」
「その通り、心底ムカつくことにね。しかも、ボクのオモチャそのものまで取り上げようとしている。これは動くしかないだろう」
「私をどうにかしても、フィンディがいるんだぞ」
情けないが、妻の名前を使って脅してみる。
ここで私が殺されるようなことがあれば、フィンディが黙っていない。あらゆる世界をくまなく探し、邪神を始末する。確実にだ。
「そうだね。彼女はとても恐いね。でも、ボクは逃げるのが得意だから大丈夫さ」
自信たっぷりな笑みを浮かべながら、エヴォスは言い切った。
「話し合う余地は無いか……」
「あるわけないだろ? ボクはあの世界の生命が苦しむのを見るのが好き。君はそれを見過ごせない。そういう話だ」
「そうだな……その通りだ」
神樹の枝を構える。これを持っていて良かった。相手が神でも多少はやりあえるだろう。
「その思い切りの良さは嫌いじゃないよ。さあ、始めようか」
「言われるまでもない!!」
叫びと共に、神樹の枝に魔力を通し、攻撃を行う。
私の目の前の空間全体が、エヴォスを巻き込んで大爆発を巻き起こす。
爆風と高温。それを即座に展開した防御障壁でやり過ごす。
「さて、効いたか?」
疑問の答えはすぐに出る。攻撃が終わった後に、無傷のエヴォスが現れた。
いきなりなのであまり魔力を通せなかったとはいえ、駄目か。
「こう見えても神なんでね。並の攻撃じゃ効かないよ?」
エヴォスの手が一瞬輝いた。
いきなり全身に衝撃で来て、吹き飛ばされた。
「ぐっ……。魔法か……」
魔術で姿勢を制御し、何とか着地する。全身が軋むような痛みもすぐに癒やす。まだ戦える。
今の攻撃、魔力の動く気配すら無かった。 私には認識できない理で攻撃している。
魔法というのは本当に厄介だ。
経験上、神樹の枝を使えば、魔法を防御することは可能。
大量の魔力を使い、防御障壁を展開したのと、エヴォスの手が連続で輝いたのは同時だった。
幸いなことに、私の防御障壁は攻撃を全て受けきった。
「へぇ。流石は精霊、しっかり使いこなしてるじゃないか」
「褒められても嬉しくないな……っ!」
魔力を充填し、黄金色になった神樹の枝を振る。
金色の魔力刃がエヴォスに向かって飛んだ。
しかし、攻撃は邪神の直前で煙のようにかき消える。
「いい判断だ。その輝きは、君が魔法の入り口に立っている証拠さ。当たればボクだって傷つくかもしれない。ま、当たれば! だけどね!」
エヴォスが手を振った。
今度は攻撃が見えた。魔法で生み出された刃だ。そこらじゅうの空間から刃が降り注ぐ。
とても避けれる量では無い、防御障壁で弾く。
これでは、障壁で防ぐのがやっとで反撃できない。
「……っ! 神樹の枝よ!」
攻撃が緩んだ隙を利用し、周囲に幻影を生み出す。
色は無色で周囲の空間を歪めて写す幻影。相手の距離感を乱す魔術だ。
「へぇ、力押し以外にもそんな小技を使えるなんてね。意外だよ!」
エヴォスの攻撃の精度が目に見えて落ちる。
今だ。私は周囲に霧を生み出し。可能な限り強力な隠行で隠れた。幻影を大量に生み出し、周囲の空間を滅茶苦茶に歪めて見せる。
「ん? 隠れるのは上手だね。さて、どこにいったかな……」
私はキョロキョロと周囲を探すエヴォスの背後に移動。
そして、金色に輝き光を散らす神樹の枝を振りかぶり、姿を隠したまま、エヴォスに直接攻撃にかける。
今だ!
「ざーんねんでした」
「…………くっ……ぬ……うっ」
私の不意打ちは、エヴォスに完全に防がれていた。
金色に輝く神樹の枝が奴の右手に掴まれ、私は魔法で空間に固定されて身動き一つとれない。
嘲笑いながらエヴォスが言う。
「言ったよね? ここはボクの世界だって? なにもかも把握できるし、なにもかもが思い通り。さっきのは隠れて見えないふりをしてただけだよっ!!」
「がぁっ!!」
言葉と同時、攻撃を受けて吹き飛ばされた。私は無様に床に転がる。神樹の枝はエヴォスの手の中だ。
「ふん。フィラルディアの枝か。ちょっと邪魔だね」
そう言うと、エヴォスの手の中で、あっさりと神樹の枝は砕かれた。
存在の残滓を主張するように残った黄金の魔力が、空間に散って消えていく。
「正直、君が戦い嫌いみたいで安心したよ。フィラルディアの持つ魔術の中には、弱い神なら打倒できる代物があるからね。本気で学ばれていたら、と警戒していたのは事実だからね」
もっと真面目にフィンディに戦い方を教わっておけば良かった。
あまり戦いについて教わろうとすると嫌な顔をするから控えていたのだが……。いや、私の怠慢か。争いも、それに関する技術も積極的に学ぼうとは思わなかった。
「でも、それも無い! 安心だよ! そら!」
「があああっ!」
一瞬で目の前に移動してきたエヴォスが手を振り下ろすと、私は地面に押さえつけられる。
神樹の枝が無くとも、反撃せねば。
左手をエヴォスに向け、攻撃魔術を練る。
「おっと、危ないなぁ」
そんな気の抜けた言葉と共に、なんの前触れもなく、私の左手の手首から先が消失した。
断面から血が噴き出す。
「なっ……く……ぐぅ……っ」
激痛はしばらく後にやってきた。気を失わないように歯を食いしばる。魔術でもって止血。しかし、再生しない。
「ここはボクの世界。ちょっと設定をいじったんだ。君は再生禁止だよ。それとこの空間で自由に魔術を放つことも禁止した」
「…………っ」
戦う手段の大半を封じられた。いや、まだ出来ることはある。
攻撃魔術は放てないが、体内の魔力は運用できる。こうなれば、クルッポのように肉体強化で殴りかかるまでだ。
そう考え、魔術を展開しながら立ち上がろうとする――
「あ、立つのも禁止ね」
その一言で、私の両足首が吹き飛んだ。受け身も取れずに、私は再び床に転がる。急いで傷口を何とか魔術で止血する。幸い、止血の魔術は発動した。
しかしそれでも、赤い血が私の左手と両足から少しだけ流れ出た。
「精霊なのに赤い血か。よほど人と寄り添って生きてきたんだねぇ……」
感心するようにうんうんと頷くエヴォス。
それから邪神は急に顔を明るくした。
「そうだ! ここでバーツ君を消さずにおこう! それで君の人格を維持したまま、新しい人格を埋め込んでね。元の世界に帰してあげるんだ。意識だけ残して、自分が戦乱を起こしたり親しい友人を手に掛ける体験をさせてあげるよ! たまに感想を聞くからね! いいよね!? アハ……いいなぁ、それ。楽しいなぁ……アハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
喜びに顔をぐしゃぐしゃに歪めながら、エヴォスは狂った笑い声をあげる。。
「お前は狂っている……くっ」
「当たり前だよ。ボクは邪神なんだから」
私の頭を踏みつけ、邪神は言った。
「さて、思い立ったらすぐ行動だ。ちょっと大変だけど。作業を始めましょうねー」
エヴォスが私の頭に手をかざす。暖かい光が手の平に満ち始める。
――邪神の手先になって殺戮を行うなど、死んでもご免だ。
私は体内の魔力をある魔術の形に運用を始めた。
肉体強化では無く、自分自身を中心に爆発する魔術だ。
どれだけ強力な爆発でも、魔術である限り、神であるエヴォスは傷一つつかないだろう。
一矢報いることすら出来ないのは無念だが、奴の思いつきに荷担するわけにはいかない。
できるだけ派手に、できればこのエヴォスの世界とやらを荒らす大爆発を起こしてやる。
魔力の運用に優れた私は順調に準備を進める。
エヴォスの手の輝きが増し、私の眼前が光に包まれれいく。……なんとか間に合うか。
「ん? おお、自爆かい!? なかなか覚悟が決まってるんだね! いや、力が強いだけの腰抜けさんかと思っていたよ、これは失礼!」
そう言いながら、エヴォスは凄絶な笑みを浮かべて私の頭を掴んできた。
「だからこそ、これからが楽しみだよ。アハハハハハ!!!」
――すまないフィンディ。ずっと一緒というわけには、いかないようだ。
私が心の中で、伴侶に対して謝罪した瞬間だった。
「アハハハハハハ! アペェッ!!!!」
エヴォスが笑いながら遠くに吹き飛ばされた。
何が起きた? と疑問を浮かべる前に、慣れ親しんだ声が聞こえた。
「どうやら、間に合ったようじゃの」
目の前で白い衣が揺れていた。
そこにいたのは、よく見知った小柄な銀髪の少女。宝玉を中心に翼の装飾の浮かぶ杖を持ち、彼女は当たり前のようにそこにいた。
「フィンディ……来てくれたのか……」
「当然じゃ。ワシがお前様を見捨てるわけなかろう。……随分やられたようじゃのう。それに何じゃ、その魔術は」
私の惨状を見たフィンディは顔をしかめながら言う。
「エヴォスに洗脳されて、元の世界で殺戮をする羽目になりそうだったのでな」
「ほう……」
フィンディの目が細まり、周囲の温度が少し下がったように感じた。
彼女は立ち上がりかけたエヴォスに視線をやる。
「フィ……フィラルディアだと……」
「黙っておれ」
「ぐああっ!」
冷たく言い放ったフィンディが杖を振ると、エヴォスは光の鎖で拘束された。
エヴォスは身動き一つとれない。
流石は破壊神だ。強い。
「色々と思うところはあるが、手短に説明するのじゃ。これはワシの幻影じゃ。破壊神の力で無理矢理ここまで道を開き、父上と母上の力も借りて、ギリギリの所で維持しておる」
驚きだ。これだけのことが出来るのに、本人が助けに来てくれたわけではないらしい。
「そうなのか……では、どうすれば」
「安心せい。策はあるのじゃ」
笑顔でフィンディは言い切った。
そして、杖を持たない左手を、倒れた私に差し出した。
「ワシの手を取るのじゃ、お前様。この幻影は神樹と直結しておる。多少強引じゃが、お主を神に引き上げるのじゃ」
「無理をしたものだな……」
「お前様を失うのに比べれば、何でもない苦労じゃよ」
「果報者だな。私は……」
フィンディのその言葉に、何とか笑みを浮かべる。空間同士を繋げ、儀式を行うなど、義両親でもやったことがないだろうに。
私はどうにか右手を動かし、妻の左手を掴む。
その瞬間、フィンディの幻影が消えた。
そして、力が流れ込んできた。
神樹の魔力だ、と理解した瞬間、私は自分自身が急速に作り替えられるのを感じた。
そもそも精霊である私の構成素材は元の世界の魔力だ。それが全て神樹由来のものに書き換わっていくのがわかる。
より高次元で、より多くのことをなせる存在へと。
精霊から神へと、私は変わっていく。




