86 あの日の違和感 ナギ視点
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noteではこちらの前日譚「0話」も公開中
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みやびと会わなくなって数日が経った。
仕事が終わるとずっと部屋に籠っている俺を天方らが心配し、声をかけてきてくれたが「問題ない」としか言えなかった。
「別れを切り出された」と認めるのが嫌だった。
とはいえ、彼女の為に料理を作ることもなく、夜に外出もせず、彼女の事を話題に出すこともなくなったので寮母たちには感づかれたようだが。
シオンが「私たち第三者が介入することではないでしょう」と、話を聞きたがる隊員らを諫めてくれた。
助かる。
俺もまだ気持ちの整理がついていない。
悪い夢を見ているようだ。
1人で自室に居ても、常に彼女の事が思い出されて、何度も「会いたい」「話をしたい」とメッセージを送ったが、既読になることはなかった。
フェイル名義のSNSもずっと更新されてもない。
ダメ元でそちらにダイレクトメッセージを送ったが、やはり返答はなかった。
俺が差し入れしていた総菜はもうストックが切れているだろうが、みやびはちゃんと食事を摂っているだろうか。
気になる、逢いたい。
だけど、また泣かれたら、また拒絶されたらと思うと、バイト先や家に会いに行く勇気はなかった。
愛してる、でも傷つけたくないという気持ちで葛藤している。
世界から彼女が忽然と消えてしまったようだ。
俺はまた、色の褪せた日常を送る。
とある日の朝礼。
隊長の俺は、協力関係にある異能力者、通称”鳥”たちの護衛や他部署からの要請に応じ隊員たちにそれぞれ仕事を振り分ける。
資格取得や鍛錬の申し出があればそれも考慮しなくてはいけないので、中々面倒な仕事だ。
今日は隊員らのスケジュールに急遽変更が生じた。
「先日の佐久間市の殺傷事件の被疑者の取り調べの為に警察からサトリの同席要請があった。遊佐、石渡、急な変更で申し訳ないが、サトリの護衛いけるか?」
「え……サトリ、ですよね……」
俺にふられた石渡は戸惑った声をあげた。
「そうだ、至急との事なのですぐに発ってもらう」
「御厨隊長、すみません、サトリはちょっと……」
「俺も……あいつは苦手です」
遊佐も石渡も「勘弁してください」とばかりに声のトーンを落とす。
予想はしていたが、やはりか。
ただの”鳥”ならいざ知らず、相手がサトリだとこの展開はある程度読めてはいた。
「おいおい、苦手とか言ってる場合じゃねーだろ。おい、誰か候補はいないか?」と、副隊長である天方が声を張り上げる。
皆、一様に顔を背ける。
「いや、いい。時間が惜しい。俺が行く。天方、後は頼めるか?」
本来は彼らを諫めて指令通りに動かさないといけないのだが、そんな気力もなかった。
そして護衛の為には2人1組が原則だが、相方を探すのも億劫だった。
俺は手にしていたタブレットを天方に渡す。
「それは構わないが……」
「「すみません」」
謝罪をする遊佐らの声を背に俺は執務室を後にした。
「お前ら、仕事の選り好みするんじゃねえよ」
ナギが去った後の執務室で俺は深くため息をつく。
「天方副隊長はサトリの警護したことあります?正直自分の考えを読まれるのって不気味っすよ」
仕事で何度かサトリと会った事はあるが確かに異能力者の中でもサトリは厄介だ。
「その気持ちはわからんでもないが」
思わず同意すると、隊員らが続々と声をあげる。
「俺もサトリ苦手なんだよな」
「わかる。この護衛つまんねーなって思ってたら「あら、ゴメンなさいね」って平然と頭の中の考えに返事してくるんだよ、こえーわ」
「俺なんか、通りすがりの子をスタイル良くて可愛いなって思ってたら軽蔑した顔されたぞ」
「それはお前が悪いだろ」
「いやいや、普通に思うだろ」
壱番隊はいつしか新人育成を任され、ナギも俺も自由気ままなこいつらを指揮するのに難儀している。
いまだ学生気分が抜けないやつらも多い。
弐番隊隊長の加賀宮に「ちっ。新卒は全部壱番に回せ」と押し付けられた結果だ。
「適材適所という言葉もあるし、ごめんだけど御厨ちゃんお願いね」と長官に命令されては仕方がない。
長官も加賀宮には人材育成は向いていないと判断したのだろう。
かといって五行率いる参番隊は論外だしな。
流石に毎年新卒を壱番だけで引き受けるわけにはいかないので、他の隊と分散させているが、それでも壱番隊の負担は大きい。
警護隊の隊長の中でもナギは人材育成が一番良いと評価されている。
「腕輪念珠で思考盗聴の結界でも貼ったらいいだろ。今、ただでさえナギは色々問題抱えてるのに俺たちが仕事でも負担かけてどうするんだ」
俺たちただの人間が異能力者を相手にするために、様々な霊具を支給されている。
「いやいや、念珠使用すると敬神の会のやつらに使途をしつこく聞かれて鬱陶しいんすよね」
俺は術師ではないからよくわからないが、霊力を込めるのも結構大変らしい。
そして腕輪念珠の悪用を防ぐために、使用後には事細かに使途を聞かれる。
「ってか、隊長になんかあったんですか?」
「見りゃわかるだろ、番いちゃんと上手くいってないんだよ」
この数か月、人が違ったみたいに幸せそうだったあいつがここ最近は暗い顔をして部屋に閉じこもっている。
「わかるかよ。元々隊長はあまり表情に出ないだろ」
同期からすかさずツッコミが入る。
番いちゃんと出会う前はナギはあまり表情を出すことがなかった。
うっかりほほ笑むとそれを見た女性たちに自分に気があると思い込まれて厄介だと零していたこともあったか。
「そういや寮でもずっと部屋に籠ってるよな」
「へ~、喧嘩でもしたんすかね」
「それならまだいいんだがな……」
ただの喧嘩ならナギも俺たちに相談してくるだろう。
「彼女を怒らせてしまったようなんだが、どうしたらいいだろうか?」と潮垂れながら。
それすらないということは……かなり状況が悪いだろう。
一体、何をしでかしたんだろうか、ナギは。
親友の初めての恋、俺に出来る事があるのならなんでもしてやりたいが……。
「天方副隊長?」
「いやなんでもない。さて、お前らきりきり働け!!」
「ういっす!!」
駐車場でサトリたちを見つけ、駆け足で近づく。
すぐに駆け付けたので、なんとか指定時間に間に合ったようだ。
「護衛を担当させていただく、御厨ナギです」
過去何度か警護を担当したことがあるが、一応と自己紹介をする。
柔らかい雰囲気を醸し出すサトリは「かしこまらなくていいのよ」と微笑みながら話す。
俺の母親とそう年が変わらないくらいの女だ。
異能力を悪用し凄腕占い師として街で荒稼ぎをしていた所、その力を見抜かれ護国機関警護隊によって保護された。
護国機関からの協力の申し出もあっさりと許諾した。
いわく「この暮らしにも飽きちゃったわ」との事だったらしい。
今後の生活に制限がかかるのを嫌がる異能力者が多い中、かなりの変わり者だ。
「久しぶりね、隊長さん。今日は違う隊員さんだと聞いていたけれども?」
柔和な笑顔をこちらに向ける。
人当たりがいいが、悪びれもせずに平然とこちらの思考を読むので油断ならない。
「こちらの都合で人員変更が起き、申し訳ありません」と頭を下げる。
「あら」とサトリは首をかしげる。
「今日はずいぶんと乱れてるのね、心が。楽しくなりそうだわ」とふふっと笑う。
サトリには人の心を読んで反応を楽しむという悪癖がある。
その言葉には答えずにサトリを連れ、用意されていた車へと乗りこむ。
「籠の中でもあなたに番いが出来たと聞いて嘆き悲しむ”鳥”たちが沢山居るのよ」
「そうですか」
彼女以外の女なんてどうでもいい。
敬神の会らの結界や、彼女らを差配している籠ノ守部らによって守護されている異能力者らが住んでいる集合住宅が籠と呼ばれている。
その異能力を護国機関の為に使うという契約の元、ある程度の特権は与えられるが自由に外には行き来できない。
まさに鳥籠だ。
車を走らせてすぐにサトリに声をかけられた。
「その腕輪念珠で私たちの声が漏れないように結界を張ってもらえないかしら?」
警護隊員らが腕に嵌めている「腕輪念珠」には敬神の会らの神官、巫女らによって様々な加護が授けられている。
異能を持たない人間や術師でない人間でも念じれば簡易結界などが張れる。
「必要ないでしょう」
今は警察署に向かう車中で、運転席の人間も護国の人間だ。
「そう?じゃあダイレクトに聞くわね。番いさんとはどう?もう男女の関係になったのかしら?」
「……」
腕に嵌められている腕輪念珠に「音声遮断」を念じ、結界を張る。
彼女に関わる事なら、あまり他者に聞かれたくはない。
その様子を見てサトリは満足げに笑う。
「あらあら、まだしてないの?隊長さんは意外と純情なのね」
「俺の私生活については立ち入らないで頂きたい」
今一番触れられたくない話題なので、心がざわつく。
不快だ。
サトリはそれすら見抜いてるのだろうが。
「どうせ結婚するのなら四の五の考えずにさっさと抱いちゃえばいいのに……あら、まだ未成年なのね。それはちょっと躊躇ちゃうわね」
考えが筒抜けなのが忌まわしい。
みやびと知り合う前はサトリ相手でも問題なく接していられたのだが。
心を読む異能力者相手にも対応できるようにある程度思考はコントロールできるが、みやびの事となると自制できない。
「番いって未成年が相手でも託宣を受けられるのね。じゃあ生まれたての赤子だって視られるのかしら。だとしたらなんか人生が決定されてるようでちょっと嫌よね」
ふうとため息をつきながらサトリは自分の頬に右手を当てる。
「いや、未成年が相手だと巫女は依頼人には教えないらしい」
正しくは「成人後、その相手に現在付き合っている人間が居なければ依頼人に教える」だったか。
いちいち考えを読まれるのもわずらわしくなり、本来第三者には打ち明けないでいい話をしていた。
それに相手が脳内を読み取る能力を持つ「サトリ」なら抵抗も無駄だろう。
依頼主が託宣を受け、その番いが子供だった場合、監禁したという話も以前聞いたな。
馬鹿らしいと思っていたが、今となってはそいつの気持ちがわからなくもない。
こうして彼女を失うくらいならいっその事……と何度思った事か。
そして、その度に自己嫌悪に襲われたが。
「あらそうなの。知らなかったわ」
「一般には知られてない情報だ。実際俺も託宣を受ける前はしきたりを知らなかった」
「まぁ」
サトリはしばらく何かを思案していたが「じゃあ何故番いさんはそれを知ったの?そのせいであなたたち今喧嘩してるのよね?」と言った。
それは……そうだ。
何故、彼女が知ってた。
番いに関する事細かな決まりは依頼人である俺でしか知らないはずだ。
みやびに別れを切り出された時にどこか引っかかっていた事だ。
思い出せ、あの時の会話を。
彼女が小声でつぶやいていた言葉。
「……お客さんが言ってた通りだ……」
客?
確かにそう言っていた。
あの時は頭が真っ白になってその言葉の意味に気が付かなかったが。
あの日、朝のメッセージのやり取りでは普通だった。
夜に彼女を迎えに行ったらすでに様子がおかしかった。
バイト中に誰かが接触したのか。
誰が、何のために?
みやびが俺の番いだと知っていて、排除しようとした?
……あの日の「tranquillité(トランキリテ)」の客を洗う必要があるな。
店の周辺には監視カメラがあるからそれになにか残っていたらいいが。
「……誰かが彼女に告げ口した、のね。悪趣味な」
サトリは眉を顰める。
誰が、何のために彼女に接触した。
個人的に誰かの恨みを買った覚えはない。
そもそも偽の複数の番い情報が同時期に流されたので、俺と彼女が番いであることは知られていないはずだ。
となると。
「ノラネコ……?」
俺の思考とサトリの声が重なった。
護国機関と敵対している異能力者集団「ノラネコ」
異能力者を保護、異能力が暴走した彼らの制圧を担当する俺たち警護隊とやつらは衝突している。
異能力者たちで構成されるノラネコたちは、異能力者たちを保護するという名目で彼らの行動を制限する護国機関に対して反感を抱き「異能力者にも自由を」という信念の元、俺たちと対峙している。
「あなたに敵意を抱くのなんてそれくらいのものよね。ノラネコなら巫女の託宣の情報も把握していてもおかしくないし」
そう言うと、サトリはしばらく後にまた口を開いた。
「今の護国機関の上層部は25年ほど前のあの時から腐敗が進んでるようね。隊長さん、気を付けて。うちの”鳥”の中にも異変を感じてるものが居るわ」
「25年前……?」
その頃に生まれてない俺はもとより、護国機関に所属していた祖父もその頃には退職していたから何があったのかは知らない。
「酷い実験があったのよ。いえ、実験というよりも人ならざるモノたちの血を引いている異能力者を異端だと蔑むやつらが加虐嗜好を満たす為の行為ね。被害者が数名居たと聞いたわ。緘口令が敷かれていたのでみんな口をつぐんでいたけど、私は思考を覗かせてもらったわ」
サトリは一旦口を閉ざすと吐き捨てるように「……人の思考を見なきゃよかったと後悔したのはアレが初めてよ、人ってとことん残酷になれるのね」と言った。
腐敗。
この間の長官の話にもあったが、やはり護国機関の動きがノラネコに読まれているのか?
護国機関には内通者が居るのだろうか。
だからやつらの戸籍の乗り換えなどがこの時期に行われたのか?
しばらく思案していたら、車が目的地に到着し、警察署員らが出迎えてきた。
「あとはこちらで引き継ぎます。お疲れさまでした。取り調べ終了後にまた連絡します」
「あなたがあんなに恋愛に臆病だとは思いもしなかったわ。おかげさまで楽しめたわ。帰りもよろしくね」と、サトリは愉快そうに笑い去っていった。
臆病か。
それは俺自身もそう感じる。
拒絶されただけでこんなにも絶望を抱えるとは思いもしなかった。
本当は今すぐにでも会いに行きたい。
顔を見たい。
声を聴きたい。
抱きしめたい。
だが、あの時のみやびの声が脳裏から離れない。
俺を憎々しげに睨んだあの目が忘れられない。
初めて見た彼女の涙を思い出すと胸が痛い。
サトリの護衛を終え、監視カメラに残っていた映像をチェックしていたら、猫耳フードのついているパーカーを愛用している茶髪の人間が映っていた。
両耳のサイドに白色のメッシュ、頭頂部は新しく伸びた地毛の黒髪が目立ち、毛が3色であることから「ミケネコ」と呼称されている。
尚、いつも体形を隠すパーカーを着用しており性別は不明。
加賀宮の調査でもこいつの素性は知れなかった。
「ベンガル」と呼称される大男とたいてい行動を共にしているらしいが。
カメラに対してわざと猫耳フードを脱ぎ、顔を向け、無表情の顔から一転、張り付いたような笑顔を見せる。
ふざけたことに、右手を挙げ招き猫のポーズを作り、その唇の動きから「にゃあ」という猫の鳴き声の真似が見て取れた。
「間違いないです、ミケネコですね。厄介な……」
シオンが眉間に皺を寄せる。
ノラネコの情報に一番明るいのは弐番隊ということもあり、確認の意味を込めて加賀宮らにこの映像を見てもらった。
以前の会議でも情報がまわってきたノラネコメンバーの一人「ミケネコ」
他のメンバーは警戒して滅多に姿を残さないが、やつだけはわざと護国機関を煽るような行動をとる。
猫耳フードのパーカーもやつなりの挑発だ。
資産家殺人事件の実行犯である異能力者、喪服の女通称「クロネコ」はその目立つ服装の割に一切目撃情報が無いくらいノラネコには隠ぺい力がありながら、ミケネコだけはその姿を隠そうとはしない。
「あのクソガキ、ふざけたことをしやがって」と加賀宮も不愉快そうに顔をゆがませる。
「ミケネコの能力は、精神感応の一種だと推測されています。思考を読み感情を操作するのでこちら側の追尾系異能力者の集中力を削がれるので、ストーキングの異能が発揮できずにノラネコの他のメンバーを発見してもやつが居ると撒かれるという面倒くさい相手です」
「精神感応……」
「サトリ、みたいなもんか?」
天方が首をかしげる。
「若干違うみたいですが。完全に相手の心を読むのではなく、弱みを視るというか。今回でいうと、みやびさんを精神的に揺さぶり、番いそのものに対する疑念を植え付け、負の感情を爆発させたって所ですか」
ただでさえあの頃にはみやびが未成年だと知って俺の様子がおかしかった上に、さらに「未成年が番いの託宣を受けることはない」というようなことを吹き込まれたら、みやびとしても不安で仕方がなかっただろうな。
……俺がもっと早く打ち明けてさえいたら。
「今まで弱点らしい弱点が無かった白の貴公子さまに出来た唯一の弱みだからな。そりゃああいつらも狙ってくるか」
天方もため息交じりに呟く。
「ミケネコの場合は「面白そうだから」が一番の理由かもですけどね」
ポケットの中にある彼女の指輪を握りしめる。
あの時突き返された番いの指輪だ。
いつか彼女に返せるように常に持ち歩いている。
あいつがみやびを惑わせた……。
「どうするんですか?ミケネコの能力で彼女の感情が暴走させられたのなら今はもうある程度は落ち着いてるとは思いますが」
ちら、とこちらを伺うようにシオンが言う。
「送ったメッセージは今もずっと未読無視されてる」
「それは……キツイですね」
「ナギ……かといってこのままあの子と黙って別れる、なんて出来ないだろ?」
「ああ」
机に置かれた先ほど長官から渡されたとある書類を一瞥する。
それには10年ほど前の「藤原母娘」の写真も含まれていた。
人のよさそうな丸顔で垂れ目な女性と、顔立ちが女によく似ているくせ毛が特徴的な幼い少女。
みやびはもちろん、母親も別人だ。
彼女が以前「似てる」と言っていた女優とは似ても似つかない。
母娘揃って戸籍を奪ったのだろう。
現在、藤原忍と名乗ってる女の素性は護国機関でも追えなかったらしい。
みやび曰く「母親は他人と接触するのを好まない」という通り、今母親が1人で住んでいる場所には近隣に家もなく他者との交流は皆無。
さらに食料品などの買い物もネットスーパーを利用しているらしく、姿を確認できないらしい。
気になっていた金銭の流れも不明で、まとまった金額が「ツキノワ」名義で定期的に口座に入金されているらしい。
「しかし、この母親ってのは何者なんだ?」
天方が書類を前にしきりに首をかしげる。
「わからない」
みやびも自分の母親については知らないだろうが「自分のバイト代だけで生活をしたい」という気持ちは恐らく母親について何かを感じ取ってるのだろう。
あの時には「限界が来るまで母から貰った生活費には手を付けたくない」と言っていたか。
――俺の知っている彼女は、藤原みやびではなかった。
だが、俺はこの事実を知ってどうするべきなんだ。
彼女はそれを知らない。
もう彼女を傷つけたくはない。
戸籍の事は絶対に言ってはならない。
正直、なにをしたらいいのかまるでわからないが、今晩にでもみやびに会いに行こう。
巫女とはまだ連絡がつかないが、彼女が戸籍では未成年である「藤原みやび」でないというのなら、俺の番いという巫女の見立てには間違いがないのかもしれない。
なにより俺自身が彼女を恋しくて仕方がない。
以前教えあっていたシフト通りなら今日もバイトのはずだ。
俺を避けるためにシフトを変更しているかもという思いがあったが、人に迷惑はかけたくないという彼女の性格上それは可能性が低いだろう。
正面から「愛してる」と告げ、それでも俺が許せないというのなら……もう身を引こう。
ノラネコが絡んできた以上、俺がつきまとって彼女に迷惑をかけられない。
俺は一生彼女と共に過ごしたかったが、それを強いるわけにはいかない。
彼女にはいつまでも笑顔で居てもらいという気持ちに嘘は無いから。




