72 予期せぬ出来事 みやび視点
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noteではこちらの前日譚「0話」も公開中
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シャワーの水がお湯に変わる時間が割とかかるから、この家の設備は貧弱だなと思う。
裸でひたすら待つのもマヌケだな。
夏ならともかく冬が厳しいんだよね、この家。
壁も薄いし。
駅から遠いこともあり、その分家賃が安いんだけど。
そういや隣はもう静かになってた。
えっちが終わったのか、寝入ったのか、どこかに出かけたのか知らないけど。
癖で左耳にかかる髪の毛をかき上げようとして「しまった。イヤーカフつけっぱなしだった」と気づいた。
今晩は色々な事があったせいで思ったよりも心に余裕がないらしい。
部屋にはナギも居るからあまり不用心に洗面所に出るのもどうかと思ったけど、イヤーカフを外すくらいの僅かな時間ならかち合うこともないかな、とシャワー室の扉を開ける。
「え」
どうして、ナギが居るの? 洗面所に。
彼も驚いてるようで硬直してる。
右手に握られてるスマホを見て、置きっぱなしにしてたスマホを取りに来たのか、と冷静に分析しつつ、自分が一糸まとわない姿だというのに気づいた。
ナギの視線が私の顔から段々と下におりていった。
時間にするとわずかだっただろうけど、その目線はじっくりと確実に下っていったのがわかった。
突然の事なので、声も出なかったけど臍の下までばっちり見られた。
誰にも見られたことのない、私の体を、見られた……。
こんな形で。
しかも好きな人に。
一瞬、驚いたように固まった後に「す、すまない!!」と我に返ったナギは慌てて洗面所を出て行ったけど、あの態度は完全に……見られたよね。
あまりの衝撃に声にならない声をあげて脱衣所にかがみこんでしまった。
わざとじゃないからナギに対して怒る気はないし、いつかは体を見られると覚悟はしてたんだけど、こんな状況で見られるだなんて。
いつまでもここに閉じこもってるわけにはいかないし、素っ裸で洗面所に座ってる今の状態はかなりアレだ。
あまり時間をかけてナギに心配かけるのもなんだし、気を取り直してイヤーカフを外し、手早くシャワーを浴びる。
けど、どんな顔してここから出て行ったらいいんだろ。
ただでさえ、今日は隣のお姉さんがそういう事しててなんか微妙な空気感だったし。
ナギとなら――とは思うんだけどいかんせんここ壁が薄いんだよね。
情事の声が左隣りのおばさん夫婦に聞こえたらと思うと、もう引っ越すしかない。
隣りのオバさんは悪い人じゃなさそうなんだけど、そういう話が結構好きなのかゴミ出しの時に彼女と偶然会って挨拶した後に隣のお姉さんの声について「あなたの所は特に聞こえるでしょ。それにしても込々で20分ってのはオトコとして情けないわよね。せめて30分以上は……ねえ」なあけすけなことを言ってきた時にはどうしようかと思った。
時間計ってんの?と思ったけど、次に隣室からの声が聞こえた時になんだか気になって時計を見たら大体20分だった。
そして1回で終わり。
騒音に悩まされる隣人としては早め(?)に終わってくれるのはいいんだけど、世間一般的にそれって短いのだろうか。
パジャマを着て、髪の毛を乾かしながら「ナギが帰っていたらどうしようか」と不安になった。
もう終電には間に合わないだろうから部屋に居るとは思うのだけど、その気になったらタクシーも呼べるだろうし。
今晩の内にちゃんと話さないと次にどういう顔をして会ったらいいのかわからない。
そっとドアを開けてみたら、ナギは顔を伏せながらベッドに座っていた。
居てくれたのはいいんだけど、どう話を切りだそう。
なんか色々と思いつめてそうだから、明るく「いやーびっくりしちゃったね」とかかな。
ナギが私の気配に気づいて顔を上げたけど、なんかちょっと――視線が痛い。
なんだか居たたまれなくなって、いつもより少し距離を取ってベッドに座ってしまった。
沈黙が続くのが嫌で、ついわざとらしく「タイミングが悪かったね」とやや大き目な声で「お互い不幸な事故だったね」というように強調する。
そう、事故なんだからお互い気にしないでいよう、と言いたかったんだけど「いや、あの――綺麗だった……」と言われてしまった。
綺麗って何が、言葉選び間違ってない? ってかやっぱり最後まで見たの? あの短い間で全部見たの? 鉢合わせして驚いた割に全てを見るなんて余裕あったんじゃないの? 誰にも見せたことのない部分までしっかりと見たの? と混乱してしまい「う゛~~~~~~」と唸り声をあげてベッドにダイブしてしまった。
「恥ずか死ぬ!!!!!!!!!!!!!」枕に顔を押し当て声にならない声が出てしまった。
うつ伏せの格好でしばしジタバタする。
ナギがベッドに横たわる気配がしたかと思ったら、横から抱きしめられてしまった。
彼に対して怒りの感情はないから誤解させたくなくて、ナギが抱きしめやすいように体勢を変える。
慈しむように背後から優しく抱きしめながらも、力強く体を引き寄せられた。
こういうところが男の人って感じがする。
私とは全然違う体つきだし元から体格が良いし、しかも鍛えてるから余計に安心感がある。
とはいっても、他の男の人のハグなんて知らないけど。
そもそも私はお父さんの記憶が一切ない。
お父さんが居たら子供の頃はこんな感じで抱きしめられていたんだろうか。
気付くとナギには語ったことがない、父の話をしていた。
好きな人に後ろから優しく抱かれているのに、父親の話をするのってどうかと思ったのだけど、心に蓋をしていた家族の話がとめどなく流れた。
今まで誰にも語ったことのないお父さんへの思い。
見たこともないし、名前すら知らない。
どんな人だったのかも知らない。
お母さんにも聞く勇気が無かった。
私のお母さんとの「高校卒業したら実家に帰る」という約束がある事はナギにはしたくなかったけど、いずれ話さなければならない。
ナギと一緒に居られるようにお母さんに許しを得なきゃ。
今はまだ怖いけど。
ナギとならお母さんと面と向かって話せるかもしれない。
しばらくそうしていたけど、ナギが「こっち向いて。向かなきゃキスしてやる」なんて言いだした。
今の顔を見られたくないと断ったけど、無駄な抵抗だった。
耳を舐められ、甘噛みされ、ナギの吐息を感じる。
観念して彼に顔を向ける。
慈愛に満ちた目で穏やかに微笑んでくれる。
彼はいつもそうだ。
私を無条件で愛してくれる。
なんだか恥ずかしくて直視できない。
つい目を逸らして「これで満足?」なんて可愛げのないことを言ってしまった。
なのにナギは嬉しそうに額にキスを落としてきた。
「結局キスするんじゃない!」
騙された気分だ。
でも唇じゃなかったのが内心残念だったりする。
ナギのキスは好き。
「するよ。みやびが好きだから」
「ずるいな、怒れない言い方された」
この人、本当に女嫌いだったのかと思うくらい私へは甘い。
さっきから翻弄されてる気がして、悔しくて軽く胸を叩いた。
その逞しい体をもっと感じたくて、彼の胸に顔をうずめる。
ナギの心音がとくんとくんと優しく聞こえる。
「心地よい。心臓の音って気持ちいいね」
「そう?」
心音は胎児の時に聞いていた音と同じで安心するんだっけか。
「しばらくこのままでいい?」
「ああ」
「好きだよ。ナギが好き」
全然記憶にないんだけど、何故かお父さんに抱かれていた気になった。
もしかしたら、私が覚えていなく、お母さんにも言われた事はないけれど、赤ちゃんの頃にはお父さんが居てああやってあやしてくれていたのだろうか。
ナギの心音を聞いていたらいつしか眠りについてしまっていた。
その夜、とても幸せな夢を見た気がする。




