99 二人の婚約と仲間たちへの報告
「もう夏も終わりね……」
窓外の景色を眺めながら、クローディアはほうとため息をついた。高い空は鱗雲に彩られ、目に痛いほどに眩しかった夏の日差しは力を失いかけている。
――それなら、今度一緒に出掛けないか? その、芝居とか、演奏会とか。
ユージィンに誘われて初めて一緒に出かけたのは、もう一か月近くも前のこと。
あの日二人はピアニストの奏でる甘く切ない調べを堪能したのち、高台にあるレストランで食事を共にした。二人で演奏会の感想を語り合いながら名物の鶉料理を味わったあと、ゆったりお茶を飲みながら夕日に染まる王都を眺めることしばし。ユージィンが改まった調子で「今日は君に伝えたいことがあるんだ」とクローディアに切り出した。
夕暮れの中、真摯な眼差しでこちらを見つめるユージィン。
恋愛小説のような展開に胸の高鳴りを覚えつつ、「まあ、一体なんでしょう」と尋ねるクローディア。
しかしユージィンが「私は――」となにか口にしかけたところで支配人が現れて、「失礼いたします。レナード侯爵夫人が殿下とお嬢様のお姿をお見かけしたので、ぜひご挨拶がしたいとおっしゃっていますが、いかがいたしましょう」と恭しく問いかけたため、結局有耶無耶になってしまった。
その後も二人で演劇や美術展に出掛けたものの、ユージィンがなにやら改まった調子で言いかけるたびに誰かしらの邪魔が入って、毎回有耶無耶になってしまう。王都の人口は百万近いはずなのに、この遭遇率はなんなのか。
そうこうしているうちにユージィンに遠方の公務が入ったり、クローディアが宮廷魔術師団の魔獣狩りに参加することになったりして二人の予定がかみ合わず、気が付けば夏季休暇も残りわずか。
明日の午後にはライナスが、明後日の午後にはルーシーとエリザベスが王都に戻ってくるので、クローディアはラングレー邸で昼食会を催して、ユージィンも交えた五人で盛り上がる予定である。
ちなみにユージィンが多忙になったのは「国王陛下よりもユージィン殿下に来て欲しい」という現地の要望によるもので、次代の王として期待されている証である。
またクローディアの魔獣狩りにしてみても、まだ学生の身で呼ばれるというのは大変名誉なことではあるし、なにより邪神が復活した暁には魔獣の集団暴走を伴うのだから、その素となる魔獣を極力減らしておくにしくはない。むろん邪神の復活そのものを阻止するために全力を尽くす所存ではあるが、万が一復活した場合に備えるのもまた重要なことである。
以上を鑑みれば、この夏季休暇は大変有意義に過ごすことができたとは思う。思っている。
とはいえたった一度しかない十六の夏の思い出が「狩って狩って狩り尽くしますわ!」という血生臭い戦いで大半を占められていることについて、一人の乙女としては若干思うところがないでもなかった。
ゆえにユージィンから「急な話で済まないが、明日、一緒に植物園に行かないか?」というメッセージが届いたときには、クローディアが「この夏最後の思い出作りに!」とはりきったのは実に当然のことだった。
「……そういえば、今日って休園日でしたよね?」
王立植物園についてから、クローディアが当然の疑問を口にすると、ユージィンは「そうなんだが、ちょっとわがままを通してもらったんだ」と苦笑した。
王族が王立の施設を私的に使うのはままあることだが、他でもないユージィンがやるのは珍しい。クローディアが怪訝に思っていると、ユージィンは「今日は特別だから、誰にも邪魔されたくなかったんだ」と神妙な調子で付け加えた。
その後クローディアはユージィンにエスコートされながら、ゆったりと珍しい花々や木々を鑑賞して回った。子供のころから父に連れられて何度も訪れたことのある植物園だが、他に来園者がいない状況は初めてのことで、なにやら不思議の国に迷い込んだような、秘密めかした楽しさがある。
ユージィンによれば、今の時間帯は職員もこのエリアに立ち入らないようにと申し渡してあるとのことで、その甲斐あってか、周囲から聞こえるのは木々のざわめきと小鳥の囀る声ばかり。あの花が美しいとか、あの木の形は南方の特徴らしいとか、他愛もないことを語り合いながらあちらこちらを見て回り、やがて二人は睡蓮の浮かぶ池のほとりで足を止めた。
咲き乱れる睡蓮の間を、紫色の水鳥たちがすいすいと泳ぎ回っている光景は、なんともいえずロマンティックな趣がある。
クローディアがうっとりと眺めていると、ユージィンが「クローディア嬢」と改まった調子で呼びかけた。
「今日は……今日こそは、君に伝えたいことがある」
ユージィンは決然とした表情でクローディアを見据えて言った。
「まあ、一体なんでしょう」
クローディアは胸の高鳴りを抑えつつ、そ知らぬふりで問いかけた。
「私は――」
しかしユージィンがなにか言いかけた瞬間、クケーッという甲高い鳴き声が響いて、科白の続きをかき消した。
見れば紫色の水鳥が二羽、互いに向かってクケーックケーッと優美な姿に似合わぬ耳障りな声をあげている。続いてケキョケキョケキョケキョとけたたましい二重奏を奏で始めたのを見ると、どうやら番になったらしい。そうしているうちに、また別の二羽がクケーックケーッと鳴きかわし始めた。
クケーックケーッケキョケキョケキョケキョケキョクケーックケーッとう大合唱を聞きながら、そういえばこれは夏の終わりに恋のシーズンを迎える珍しい水鳥だったな、とクローディアが遠い目をしていると、ユージィンが無言で周囲に結界を張った。
一瞬にして辺りがしんと静まり返る。
「まあ、見事な防音結界ですわね」
「ああ、こんなこともあろうかと、今日のために練習しておいたんだ」
ユージィンは照れたように言うと、再びクローディアの方に向き直った。そして真摯な眼差しでクローディアを見据えて言葉を続けた。
「クローディア嬢、私は君を愛している。これからの人生を私と共にして欲しい」
ストレートな告白に、クローディアは顔が火照るのを覚えながら「私もユージィン殿下をお慕いしています」と即答した。
「それはつまり、家臣としてではなく」
「はい、殿方としてお慕いしています。これからの人生を殿下と共に歩んでまいりたいと思います」
クローディアが笑顔で答えると、ユージィンもほっとしたように破顔した、次の瞬間、防音結界がぱちんと弾けて、二人の周囲からどっと音が押し寄せてきた。
クケーックケーッケキョケキョケキョケキョケキョクケーックケーッと鳴きたてる水鳥の声を聞きながら、二人は愛する人と心が通じ合った幸福感と、ついに難敵を打倒したような達成感に包まれていた。
数日後。ラングレー邸で開かれた昼食会の席上で、クローディアとユージィンが婚約したことを仲間たちに報告すると、その場から温かな拍手と祝福の声が湧き起こった。
ルーシーは「おめでとうございます、ユージィン殿下、クローディア様。お二人とも凄くお似合いです」と笑みを浮かべ、ライナスも「ご婚約おめでとうございます、ユージィン殿下、クローディア嬢もおめでとう」と祝福した。
エリザベスも「ユージィン殿下、おめでとうございます、クローディアさんもおめでとう」と祝福の言葉を述べたのち、「それにしても驚きましたわ、まさか殿下がクローディアさんと婚約だなんて!」とにこやかに言葉を続けた。
「お二人とも全然そんなそぶりを見せないものだから、私たち全然気づきませんでしたわ。ねえライナス、ルーシーさん」
「え、いえ、その」
一方、同意を求められたルーシーは困ったように視線をさまよわせ、ライナスは「お前だけだよ……」とため息をついた。
「え、なによそれ、もしかして二人とも気づいてたの?」
「ええ、まあ、なんとなく」
「いや、普通気づくだろ? むしろどうやったら気づかずにいられるんだよ!」
「え、だって、どこにそんな兆候があったのよ」
「どこにって……いいか? まず創立祭でクローディア嬢のダンスパートナーが――」
ユージィンが軽く咳払いをしたことで、ライナスは我に返ったように口をつぐんだ。
「……申しわけありません」
「いや、別に謝ることではないが……まあ、とにかくそういうことだから、みんなよろしく頼む」
「皆さま、よろしくお願いします」
二人の言葉に、改めて温かな拍手が湧き起こった。
その後は二人がそれぞれの家族に報告したときのエピソードが披露され、ヴェロニカ王妃が「乳母探しを主導して下さったお嬢さんなら、私にとっては恩人だわ」と大歓迎していた話やら、クローディアの父が「うちの娘が次代の王妃様に……!」と感涙にむせんでいた話などで盛り上がった。
ちなみに国王マクシミリアンの反応についてユージィンは言葉を濁していたが、その後の顔合わせのときの不機嫌な態度からして、聞かずともおよその想像は付く。それでも一応了承はしているのだから良しとするしかないだろう。
一方義母ヘレンと異母妹ソフィアは二人そろって大いに祝福してくれたし、愛犬ジャックもいつもよりはしゃいでいるように思われた。まあ家族全体がお祝いムードだったのをなんとなく察しているのだろう。
そんな風にして和気あいあいと過ごしたあと、そろそろお開きというころになって、ルーシーがふと思いついたように、「そういえば、宮廷魔術師はどうなさるのですか?」と問いかけた。
「ラフロイ侯爵に訊いてみたら、王妃になっても続けられるそうですから、なんとか両立させるつもりですわ。これまでに王族が宮廷魔術師団長になった例もあるそうですの」
「まあ、素敵ですわ。クローディア様ならきっとなれますわ」
目を輝かせるルーシーに、クローディアは「ええ、ちょっと狙ってみるつもりですわ」と微笑んだ。
昼食会の終了後、帰宅する皆を見送りながら、クローディアは先日ラフロイ侯爵と交わしたやり取りを思い返した。
――君には期待しているんだから、今さら辞められては困るよ。職務については融通を利かせるから、王家に嫁いだあともぜひ続けてくれたまえ。
ラフロイ侯爵は力強い口調でそう請け合ってくれたものである。
なんでもラフロイ侯爵の息子は若いころに亡くなっているため、宮廷魔術師団長の座は実力派の部下に継いでほしいと前から考えていたそうで、まだ学生の身で邪神の眷属を退治する大金星を挙げ、この夏の魔獣狩りでも見事な働きを見せたクローディアには大いに期待しているとのことだった。
なんとしても邪神復活を阻止したいクローディアにとって、最前線で戦う宮廷魔術師団との繋がりは確保しておきたいところだし、将来の団長候補としてのポジションは願ってもない話である。
もっとも「そこまで見込んで下さっているなら、邪神の依り代となる三つ目の条件もさくっと教えていただけないでしょうか」とそれとなく尋ねてみたところ、それはやはり正式に宮廷魔術師団入りするか、王太子妃になってからになるそうだ。
生真面目で堅物なラフロイ侯爵らしい話だが、正直言ってもどかしい。
(宮廷魔術師団入りもユージィン様との結婚も、王立学院を卒業してからの話になるから、あと一年は待たなきゃならないってことなのよね……)
一つ目の条件「高い魔力」と二つ目の条件「光の神、あるいはその加護を受けた者に対する激しい憎悪」に続く三つ目の条件が分からないことには、取れる対策も中途半端なものにならざるを得ない。なんとかしてもっと早くに知る方法はないものか――などと思い悩んでいたわけだが、その件については、後日、意外な形で道が開けることになる。
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