112 邪神クローディア誕生秘話
「お父様、ただいま戻りました」
クローディアが立ち上がって挨拶を返すと、父はふっと顔を曇らせた。
「おや、少し顔色が悪いようだが、もしかして王宮でなにかあったのかい? 今日は王妃様から大事な話を聞いてくると言っていたけど、厳しいことを言われたとか?」
「まあ、光の加減じゃありませんこと? 王妃様はとても優しい方ですし、なにも厳しいことなんて言われませんでしたわ。色々と未来の王妃としての心構えをうかがって、その後は王宮のサンルームでユージィン様とお茶を頂きましたの。とても楽しい時間を過ごせましたわ」
クローディアはそう言って笑って見せた。
その後いかにも何気ない調子でしばらく言葉を交わしてから、自室に戻ったクローディアは、ドアを背にしてずるずると床に座り込んでしまった。
頭の中では先ほど浮かんだ疑惑がぐるぐると渦を巻いている。
(違う……お父様がペンダントを渡した犯人のはずがないわ)
父ではない。絶対に父ではない。だって父はクローディアを愛している。そのことを誰よりよく知っているのは他でもないクローディア自身である。
かつてのクローディアは父の愛情を疑っていた。義母ヘレンと再婚したことに反発し、自分のことなど邪魔なのだろうと頑なに思い込んでいた。しかし転生前の記憶を取り戻したことで、父の深い愛情を知って和解することができたのだ。
そうだ。少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』の世界において、父は邪神と同化したクローディアを救うために、必死で駆けずり回ってリリアナとアレクサンダーの邪魔をしていたではないか。その父がクローディアを邪神の依代とするなんて、そんなおぞましいことあるわけが――。
いやちょっと待て。
ラングレー伯爵が邪神退治の邪魔をしていたのは、娘に対する愛ゆえだったのか? 本当に? 父が邪神を復活させた張本人であるならば、復活させた邪神が退治されないように立ち回るのは、実に当然の行動ではないのか。
(でもあり得ないわ、絶対にあり得ないわ、お父様がそんな……!)
そのとき、背後から響いたノックの音に、クローディアは文字通りすくみあがった。
慌ててドアから飛びのいて、おそるおそる返事をすると、父である。
「なんですの? お父様」
平静を装って問いかけると、父は「うん、やっぱり気分が悪いように見えたから、これを持ってきたんだよ」といって盆を差し出した。
盆の上ではティーカップが湯気を立てている。
クローディアはカップの中をまじまじと覗き込んでから、ふっと力を抜いて微笑んだ。
「……もしかしてお祖母様の考案したっていう特製ハーブティですの?」
「ああ、やっぱり体調が悪いときはこれだからね。ちゃんと蜂蜜も入れてきたよ」
照れたように笑う父の姿に、遠い日の面影が重なった。子供のころ、父はよくこれをクローディアに作ってくれたものである。苦くて嫌だというクローディアのために、とびきり上等な蜂蜜をいつもたっぷり入れてくれた。
「本当に体は大丈夫なんですけれど、せっかくだからいただきますわ。ありがとうございます、お父様」
父が退室したあと、クローディアはゆっくりとハーブティを味わいながら、ひとりごちた。
「そういえば、お父様って結構心配性だったわね……」
大切なことを失念していた。そもそも何故クローディアが館に引きこもっていたかといえば、「アレク様を殺して私も死ぬわ!」とアレクサンダーを襲いに行って返り討ちに遭い、顔面が焼けただれていたからである。
娘の痛ましい姿に、父はさぞかし胸を痛めたことだろう。そんな折に、誰かから「火傷に効くアミュレットがあるから貸してあげよう」と言われたら、大喜びで飛びついてしまうのではなかろうか。
おそらくはそれが、少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』における邪神クローディア誕生秘話だ。
(疑ってごめんなさい、お父様)
クローディアは目の前にいない父に対して、心の中で謝罪した。
父に対する疑惑はこれで消失した。
では、次の問題に移ろう。娘を思う父の愛情に付け込んだ卑劣な犯人は誰なのか。
いくら父がお人よしだとは言っても、正体不明の人間からもらった怪しげなものを娘に使うことはないだろう。相手は父にとってそれなりに信用のおける人物であるはずだ
少し考えを巡らせたのち、クローディアは父の執務室を訪れた。
「お父様、特製ハーブティありがとうございました。美味しかったですわ」
クローディアが礼を述べると、父は嬉しそうに微笑んだ。
「それは良かった。なんだかさっきより顔色が良くなったような気がするよ」
「ええ、やっぱり少し体調が悪かったのかもしれませんわ」
「お前はここんとこずっと忙しかったからなぁ。晩餐までの間仮眠したらどうだ?」
「そうしたいところなのですけど、このあと街に行く用事がありますの」
「そうなのか? 大変だな」
「大した用事じゃありませんから大丈夫ですわ。ただその前にひとつお願いしたいことがあって………実はお父様が親しく付き合っているお友達と、仕事上の付き合いが深い相手と、それから交流のある親族について教えていただきたいのです。その、王妃様がおっしゃるには、王家として未来の外戚の交友関係を把握する必要があるそうです」
クローディアが用意しておいた口実を述べると、父は「ああ、なるほど。王家に輿入れともなると、そういうこともあるだろうな」とうなずいた。
「はい、ごめんなさい、お父様」
「別に謝ることはないさ。王家としては当然のことだと思うよ。ちょっと待ってて」
父は便箋に数人の名前をしたためて、クローディアに渡してくれた。
三十分後。クローディアは渡されたリストを手に、ブラウン法律事務所へと向かう馬車に揺られていた。
顧問弁護士のブラウン先生は、以前レナード侯爵夫人に渡す「プレゼント」を作成するときにお世話になった人物だ。弁護士は訴訟の証拠集めの際に探偵を使うことが多いそうなので、彼に頼めば容疑者の動向を調べるのにふさわしい人材を紹介してもらえることだろう。
(紹介してもらった探偵に不足があれば、そこからさらに同業者を紹介してもらえばいい話だわ。幸いお小遣いは潤沢にあるし、探偵の百人や二百人、雇ったところで支障はないもの)
そんなことを考えながらリストを見直しているうちに、クローディアはふと不安に襲われた。
本当にこのメンバーの中に犯人がいるのだろうか。
漏れている人物はいないだろうか。
(この他にお父様が受け入れる可能性のある人物……そうね、アレクサンダーならありえるかも知れないわね。当時は一応まだ婚約者だったわけだから。火傷の元凶なわけだけど、お父様がその辺の事情を知らなかった可能性もあるし)
娘の婚約者であるアレクサンダー・リーンハルトが見舞いと称して「火傷に効くアミュレット」を渡して来たら、父はおそらく受け取るだろう。
とはいえ彼は少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』における「突っ込み役」「振り回され役」の一人であって、彼の内心はモノローグという形で頻繁に公開されていた。その内容を鑑みるに、彼が犯人ではありえない。
(他に考えられるとしたら……)
そこでふと、「犯人は元からの知り合いではないのかも」という考えがクローディアの脳裏に浮かんだ。
たとえ知り合ったばかりの相手でも、社会的地位の高い人間ならば、それだけで信用してしまう可能性はある。「これほど立派な肩書を持つ人物なのだから、いい加減な真似をするはずがない」というのは割とあり勝ちな感覚である。
社会的地位の高い人間――たとえば、高位貴族とか。
(あとは宮廷魔術師って線も考えられるかしら。その二つについても併せて調べさせることにしましょう。だけど探偵だけだと、高位貴族に関してはちょっと荷が重いかもしれないわね)
高位貴族に対しては、異なるアプローチも必要だ。そこで思い浮かんだ協力者は、やはりいつもの仲間たちだった。
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