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111 ペンダントを奪われることのないように

「……触れてみても良いですか?」


 ユージィンが気を取り直したように問いかけると、「一瞬なら構わないわ」との返事。


「長く触れると悪影響があるんですか?」

「分からないわ。ただ魔力量が少ない人だと触れるだけで昏倒してしまう代物だから、多い人でも影響は完全にゼロではないと思う。長く持っていると悪意を増幅させるとも言われるし……だから一瞬だけね」

「分かりました」


 ユージィンは頷くと、指先で軽くペンダントに触れて、すぐに離した。


「……どんな感じですの? ユージィン様」

「いや、なんというか、普通だな。もっと禍々しい気配を感じるかと思ったが、特になにも感じない」

「貴方は魔力量が多いから、そうでしょうね。クローディアさんも同じだと思うけど、興味があるなら試してみる?」

「え、いえ、私は良いですわ」


 今の自分が触れても邪神に乗っ取られることはないと思うが、やはり前世のあれこれを考えると、あまり気分の良い代物ではない。


「そうね、無理に試すこともないと思うわ。――そろそろ戻りましょうか」


 その後、ヴェロニカ王妃は先に立って階段をのぼりながら、ふと「魔力量のこともあるけど、もしかしたら邪神はだいぶ弱ってきているのかもしれないわね」と口にした。


「このままいけば貴方たちの次の代か、次の次の代くらいで、邪神は自然に消滅するかもしれないわ。だからそれまで、お願いね。このまま何事もなく、平穏無事に次代に引き継いでちょうだい」


 王妃の言葉に、ユージィンが「はい。そう努めます」とうなずいた。

 一方、クローディアはなにも答えることができなかった。

 




 その後、王妃は執務に戻り、クローディアはユージィンに誘われて、王宮のサンルームでお茶を頂くことになった。

 初めて入った王宮のサンルームは柔らかな日光と緑の植物で満たされて、楽園のように心地よい。暗い地下の記憶が残っているため、余計にそう感じられるのかもしれない。

 給仕の者が退室してから、ユージィンは「今回の話は私にとっては結構ショックだったよ」と苦笑した。


「アスラン王は子供のころから憧れの存在で、目指すべき理想だったから、まさか邪神討伐に失敗していたとは思わなかった……。だけどある意味、身近に感じられるようになったよ。私も目の前で大切な人たちを殺されたら、冷静でいられる自信がない」

「ええ、それはとても人間的な感情だと思いますわ」


 クローディアが「そういうユージィン様が好きですわ」と付け加えると、ユージィンは照れたように微笑んだ。

 実際のところ、ユージィンは冷静なように見えて情に厚い性格だ。もしクローディアが邪神に殺されたら、あるいはライナスが、ルーシーが、エリザベスが、ヴェロニカ王妃が、いや相手が顔も知らない市井の人々だとしても、無残に殺されたなら、怒りと悲しみを覚えるだろう。そして討伐は失敗し、邪神はまたも生きながらえることになる。

 そうならないためには、まだ被害が出ていない段階で倒してしまうより他にない。むろんそれより良いのは、そもそも邪神を復活させないことである。ヴェロニカ王妃が言っていた通り、邪神を眠らせたまま自然消滅させることができれば、それに越したことはない。

 そのために、今クローディアがやるべきことはなんなのか。


「ユージィン様、万が一にも悪しき者にペンダントを奪われることのないように、王宮の警備体制について見直していただくわけにはいきませんか?」


 クローディアの言葉に、ユージィンは「今の警備には問題があるということか?」と怪訝そうに問いかけた。


「いえ、具体的にどう問題が、というわけではないのですが、やっぱりあの予言のことがありますから、少し不安なんですの」

「予言? ……もしかして、あの隠遁していた占星術師の予言のことか? リリアナがいずれ邪神と対峙するという」

「はい。リリアナ殿下はバルモアに嫁がれることになりましたが、バルモアで邪神と対峙することはまずあり得ないと思うんです。バルモアは海を隔てているので交通手段は限られていますし、もしペンダントを盗んだ人間がバルモアに持ち出そうとしても、その前に港が封鎖されてしまうでしょうから。つまりリリアナ殿下が邪神と対峙するとしたら、バルモアに嫁がれる前……今から遅くても二、三年以内ということになりますよね?」

「それは……予言が成就したら、そういうことになるわけだが」

「それだけではありませんの」


 クローディアは軽く咳払いすると、改まった調子で「ユージィン様」と呼びかけた。


「ユージィン様は我がラングレー家が王国きっての資産家となった経緯をご存じですか?」

「え? それは先々代の当主のときに、領内で希少な鉱物を産出する鉱山が多数発見されたから、と聞いているが」

「ええ、その通りですわ。そしてこれは我が家の極秘事項なのですけれど、領内で鉱山を発見することができたのは、ひとえに占いの力によるものなんです」

「え」

「その当時我が家にはお抱えの占星術師がおりまして、それはもう神のごとき能力で様々な物事をぴたりと当てたそうですの。で、その占星術師が亡くなる前に邪神の復活を予言しているのですが、その復活する時期というのが、まさに今から三年以内。これは果たして偶然なのでしょうか。二人の才ある占星術師が邪神の復活を予言して、復活する時期までまるで同じであることを、『たかが占い』と言って見過ごして良いものでしょうか」


 クローディアはそこまで一気に言い切った。対するユージィンはしばし考え込んでいたが、やがて「……それは確かに、放っておけない気はするな」と結論付けた。


「もし外れたとしても、警備を厳しくする分にはそれほど弊害はないだろうし……。分かった、この後、一緒に警備責任者のエヴァンズ騎士団長に話しに行こう」

「ありがとうございます、ユージィン様」

「ところでクローディア、ひとつ聞いてもいいかな」

「なんでしょう」

「ラングレー家には極秘事項がいくつあるんだ?」

「それは申し上げられませんわ。極秘ですから!」


 クローディアはきっぱりと言い切った。




 夕刻。ラングレー邸へと帰る馬車の中で、クローディアは今日の出来事を思い返した。

 ユージィンとのお茶会が終わったあと、クローディアはユージィンと共にエヴァンズ騎士団長の元へ赴き、警備の強化を要請した。エヴァンズ騎士団長はクローディアの「情報源は明かせませんけど、聖剣の間に侵入を試みている一派が存在するようですの」という言葉に困惑していたようだったが、ユージィンが「信頼できる情報だ」と横から保証してくれたことや、ヴィクター王太子の街歩きの件でクローディアの「予想」がぴたりと的中していたことなどもあり、素直に承諾してくれた。


 ただクローディアにとって意外だったのは、その際に説明された王宮内の警備体制が、既にかなり厳重だった点である。

 いくら特殊事情があったとはいえ、幼い王女が誘拐されるくらいなのだから、さぞやいい加減なのだろうと思っていたら、エヴァンズ騎士団長いわく、まさにそのリリアナ王女誘拐事件をきっかけにして大々的な警備体制の見直しがあったとのこと。

 今日は王妃や王太子が同行していたことや、クローディアが準王族であること、事前に知らされていたことなどから、ほぼノーチェックで聖剣の間まで通されたものの、本来なら外部から来た人間は、あそこに至るまでに複数回チェックを受ける仕様らしい。

 少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』においても、同様の警備体制がしかれていたはずである。ペンダントを盗み出した犯人は、いかなる手段で警備の目をかいくぐることができたのか。なにか特別なコネのある人間か。あるいはまさか、内部の人間だったりするのだろうか。


(その辺りは、改めて検討する必要があるわね)


 クローディアは一人うなずいた。

 不可解なことはもうひとつある。

 原作におけるクローディア・ラングレーは邪神に取り憑かれた当時、学院にも行かずに引きこもっていたはずである。犯人は屋敷内にいるクローディアの首に、いかなる手段でペンダントをかけることができたのか。

 使用人の仕業ではありえない。新興伯爵家であるラングレー家に勤めているのは、そのほとんどが魔力量の少ない平民だ。侍女のサラは男爵家の出だが、魔力量が少なすぎて王立学院に入学を許されなかったと聞いている。そしてあのペンダントは、魔力量が少ない人間には触れることすら難しい代物なのだ。

 ペンダントをクローディアの元まで届けることができる人間。それはすなわち――。


(まさか……)


 やがて馬車は伯爵邸に到着し、いつものようにソフィアとジャックが邸内から駆け出してきた。


「お姉様、お帰りなさいませ!」

「ただいまソフィア、ジャックもただいま!」


 クローディアが一人と一匹を抱きしめて歓迎の挨拶を受けていると、ふっと頭上に影が差した。


「お帰りクローディア」


 顔を上げると、父が常と変わらぬ人の好さそうな笑みを浮かべて、クローディアたちを見下ろしていた。


お読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
モートン先生ならお見舞いにアレクといっしょに来てたかもしれない 魔術師団に入ったし…あやしい とか考えてしまいました
これはペンダントが盗まれるとゆうフラグがたった?!
更新が楽しみで毎日覗きに来てしまいます。 1話から読み返して、ふと気づきました。 第一章 2 クローディアとアレクサンダー 「それからどうやって伯爵邸まで帰ったのか、クローディアには記憶がない。」 …
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