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109 お馬鹿さんね(アレクサンダー視点)

「リリアナ様が、ヴィクター殿下と?」


 帰宅した父親から聞いた話に、アレクサンダー・リーンハルトは思わず耳を疑った。


「あり得ません! それはなにかの間違いです。あ、もしかして、政略で押し付けられてるんじゃないですか? リリアナ様は不本意なのに、国益の観点から無理やり――」

「違う。乗り気なのはリリアナ殿下の方だ」


 父――リーンハルト公爵はうんざりしたように吐き捨てると、「そもそもあの国王陛下がリリアナ殿下を政略の駒にするわけがないだろう」と言葉を続けた。


「陛下としてはリリアナ殿下を国内に留めることを希望しておられたはずだ。だからお前の婿入りもきっと歓迎して下さると踏んでいたんだが、完全に当てが外れたな。当のリリアナ殿下があの通りではどうしようもない」

「いや、でも、そんな……あり得ません。あのリリアナ様が会ったばかりの男……それもヴィクター殿下の求婚を受けるだなんて!」

「なぜあり得ないんだ。お前はリリアナ殿下と結婚の約束をしていたのか?」

「え、いえ、それは……してませんけど!」


 約束をしたことはないが、自分とリリアナの間には誰にも負けない特別な絆があるはずだ。リリアナは「みんな大好き」と言いながらも、いつだって誰より一番アレクサンダーを優先してくれていた。アレクサンダーを特別扱いしてくれた。

 それなのに、なにがどうしてこんなことになっているのか。

 ヴィクター・バルモアは生来の色事師で女を口説くのはお手のものだと聞いているが、「あの」リリアナが――物事の本質を見抜くリリアナ・エイルズワースが、そんな手管に引っかかるわけがない。これには絶対になにか事情があるはずだ。


「俺、リリアナ様に直接聞いてきます!」


 立ち上がって出て行こうとするアレクサンダーの腕を、父がつかんで引き留めた。


「馬鹿言うな、王宮は今取り込み中だぞ」

「しかし……!」

「せめて明日にしなさい、アレクサンダー」


 横から母が口を挟んだ。


「ただでさえ貴方はクローディアさんの件でユージィン殿下と微妙な関係なんですから。このうえおかしな真似をして、王家から目をつけられては敵わないわ」


 二人がかりで押しとどめられて、アレクサンダーは唇を噛んだ。

 その晩、アレクサンダーはまんじりともせずときを過ごし、朝になってから食事もとらずに王宮へ向かった。到着して取次を頼んだところ、リリアナは自室で籠城中ということだったが、女官がリリアナに「リーンハルト様がお見えです」と声をかけると、「アレクならいいわ!」ということで、あっさり入室を許された。




 

「アレク、良いところに来てくれたわね!」


 リリアナはいつもと変わらぬ明るい笑顔でアレクサンダーを迎えた。


「来てくれて良かったわ。もう退屈で退屈で! 部屋に籠城って初めてやったけど、つくづく私に向いてないわ。でもパパに認めさせるためだもの、頑張らないと!」

「あの、リリアナ様。認めさせるっていうのはつまり」

「ヴィクターとの結婚よ。決まってるでしょ?」


 あっけらかんとした答えに、アレクサンダーはひゅっと息を吸い込んだ。

 ではやはり、昨晩父が言っていたのは間違いではなかったのか。

 結婚。

 リリアナが結婚。

 自分ではない相手と結婚。

 茫然としているアレクサンダーの顔を、リリアナが覗き込んできた。


「どうしたの? なんだか顔色が悪いわよ?」

「リリアナ様はあの男を……ヴィクター殿下を……あ、愛してるんですか?」


 悲壮な覚悟で問いかけると、リリアナは「ううん、私はまだ恋って良く分からないもの」と軽く肩をすくめて見せた。


「でもヴィクターはそれでもいいって言うの。『今はそうでも、いずれ必ず俺を好きにさせて見せる』『俺が君に恋を教えてやる』なんて自信満々に言うんだもの。『じゃあ教えてもらおうじゃない?』ってことになっちゃったのよ」


 てへっと笑うリリアナに、アレクサンダーは「そんな軽い気持ちで求婚に応じないでください!」と思わず怒りの声を上げた。


「アレク、なんで怒ってるの?」

「なんでって……いいですか? バルモア王国のヴィクター王太子といえば、たちの悪い女ったらしで有名なんですよ? わざとパートナーのいる女性を誘惑しては弄んで捨てる悪党です。リリアナ様に相応しい男じゃありません!」

「アレクったら一体どうしちゃったの? そんな風に人の悪口を言うのってアレクらしくないわよ?」

「え、それは……リリアナ様のことが心配なんです」

「心配してくれるのは嬉しいけど、噂で人を判断するのって良くないと思うわ。ヴィクターってちょっと強引なところがあるけど、悪い人じゃないわよ。悪ぶってても心の底は純粋で、とても傷つきやすいハートの持ち主だと思うの」

「そりゃリリアナ様は、人の良いところしか見ませんから! 俺はそんなリリアナ様だからこそ心配なんです。それにバルモアに嫁ぐなら、リリアナ様はバルモア語を覚えなきゃならないんですよ? 文化や風習だってエイルズワースとは違うし、色々と大変な生活が待ってます。リリアナ様はこのままエイルズワースにいて、女公爵か伯爵になった方が絶対いいです。俺がずっと傍でリリアナ様を支えます。けして苦労はさせません」

「確かにアレクの言う通り、この国でパパやアレクと一緒にいる方がずっと楽で安心よね。……だけどね、そういうのって私らしくないじゃない?」


 リリアナはそう言って片目をつぶって見せた。


「ヴィクターと一緒にバルモア王国に行ったら色々と大変かもしれないけど……それも含めて、ちょっとわくわくしてるのよ。知らない場所に行って、知らない人たちと出会って、これからまた新しい冒険が始まるんだって!」


 そう言うリリアナの背中には、真っ白い翼が見えるようだった。

 どこまでも自由な天使の翼が。

 天使は今、アレクサンダーのもとを離れて新たな場所へと飛び立とうとしている。

「心配」などという言葉では、天使を地上に留めることなど出来やしない。

 引き留めるには、本物の、心からの言葉が必要だ。

 アレクサンダーは震える手でリリアナの肩をつかみ、そのつぶらな瞳を覗き込んだ。


「それでも……行かないでください」

「アレク?」

「お願いです、行かないでください。あんなぽっと出の男に貴方を奪われたくありません」


 言葉は、自然と口をついて出た。


「どうしたの? アレク。そんな言い方して……まるでヴィクターにやきもち焼いてるみたいよ?」

「そうです。俺はヴィクター殿下に嫉妬しています。貴方が好きだから、あんなぽっと出の男より、ずっとずっと好きだから……お願いです、行かないでください!」


 アレクサンダーは必死で言葉を紡いだ。

 思えば自分は今までリリアナに真正面から愛を告げたことは一度もなかった。

 臣下としていつも一線を引いていた。

 リリアナの方から垣根を飛び越え、来てくれるのを待っていた。

 だからこうしてヴィクター・バルモアなんぞに奪われそうになっているのだ。

 だけどもう間違えない。ためらったりしない。


「リリアナ様、俺は貴方が好きです。誰にも奪われたくなんかありません。ですからどうか、これからもずっと俺の傍にいて下さい」


 アレクサンダーの一世一代の告白に対し、リリアナはしばらくの間きょとんとした表情を浮かべていたが、やがてさもおかしそうに笑い出した。


「奪われたくない……誰にも奪われたくないって……ふふっ、お馬鹿さんねえ、アレクったら! 必死な顔をして一体なにかと思ったら……私をヴィクターに取られちゃうって考えてたのね」


 切れ切れにそんな言葉が聞き取れる。

 リリアナはひとしきり笑ったあと、その細い指先で慈しむようにそっとアレクサンダーの頬に触れた。


「ねえアレク、そんな不安そうな顔をしないで。大丈夫よ、私は誰にも奪われたりなんかしないわ。これからもずっとアレクの傍にいるって約束する。だって私もアレクのことが大好きだもの!」

「え、そ、それじゃ……!」


 歓喜に包まれるアレクサンダーに対し、リリアナは笑顔で言葉を続けた。


「バルモアに行っても、ヴィクターと結婚しても、今までとなにも変わらないわ。離れていても心は繋がっているはずだもの。同じ空の下にいる限り、私たちはいつも一緒よ」


 リリアナが笑う。

 どこまでも明るく軽やかに。

 初めて会ったころと少しも変わらない、無垢で透明な天使の笑顔。


「ねえアレク、私たち、死ぬまでずうっとお友達よ……!」




 それからどうやって公爵邸まで帰ったのか、アレクサンダーには記憶がない。

お読みいただきありがとうございます。

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いつも魅力的なお話を綴ってくださり、ありがとうございます。 ここまで読んで、リリアナ王女はほぼ天真爛漫純真無垢系ヒロインの言動なのにそれが不気味に感じてしまえるのが本当にすごいです。 別の意味で「人の…
真っ白い羽根ではなく羽虫の羽ですよねー 都合のいいお友達w どうせ嫁いでも花嫁修業だか教育だかで閉じ込められてまともな貴族がいれば言葉も習得出来ない妃など幽閉でしょうか。ヴィクターは手に入れた女は途端…
ここまで人の心、感情がわからず自分の価値観(みんなお友達よ!)で取巻きをぶったぎっていくリリアナはもしかしてヒロインという名のNPCなのでは? Aというセリフに対してはBと返す、Cという行動にはDと返…
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